摂津本山への道をJR沿いに採ると、JRの車窓からは気付かなかったこのような何とも不思議な空間があり、私の興味を惹きました。
石塔が建っていなければ全く気が付かなかったかもしれません。日蓮の南無妙法蓮華経の文字が見えるのでお寺かと思うのですが、お堂もありませんし、おそらく和尚さんもいないのでしょう。お寺の定義を知らないので何とも言えません。
案内板を少し読んだだけで、どうも腑に落ちません。昭和9年に10mぐらいの日本一のお題目法塔が建っていた・・・と、昭和9年に建っていたではなく、昭和9年に建てられたのではありませんか?
由来の碑ですが、書かれている内容とは裏腹に石が新しいようですよ。
隣に置いてあった賛成員の名前も古いのですが、やはり刻まれた字は新しい。
こういうのを読んでいると、宮沢賢治や石原莞爾も加盟していた、国柱会を想起します。国柱会の実態は知りませんが、八紘一宇などの右翼思想を造った新宗教、キナ臭いところです。
ただ宮沢賢治が右翼思想を持っていたのかというと、それは疑問なのです。
何やら石像があちこちにあり、質より量という感じですね。
日蓮聖人の胸像もあり、花もきれいに活けられています。
不動明王や水子地蔵が並んでいますが、何故不動明王が2体あるのか、それに対して水子地蔵が何故一体なのか解りません。
この空間、私の感想では一貫性がないというのを強く思ってしまいます。そんなことでいいのですか?
どなたかの寄付なのか、小さな坐像。大黒尊天と書かれていますが、私の知ってる大黒天とは様相が違うようです。
石塔が建っていなければ全く気が付かなかったかもしれません。日蓮の南無妙法蓮華経の文字が見えるのでお寺かと思うのですが、お堂もありませんし、おそらく和尚さんもいないのでしょう。お寺の定義を知らないので何とも言えません。
案内板を少し読んだだけで、どうも腑に落ちません。昭和9年に10mぐらいの日本一のお題目法塔が建っていた・・・と、昭和9年に建っていたではなく、昭和9年に建てられたのではありませんか?
由来の碑ですが、書かれている内容とは裏腹に石が新しいようですよ。
隣に置いてあった賛成員の名前も古いのですが、やはり刻まれた字は新しい。
こういうのを読んでいると、宮沢賢治や石原莞爾も加盟していた、国柱会を想起します。国柱会の実態は知りませんが、八紘一宇などの右翼思想を造った新宗教、キナ臭いところです。
ただ宮沢賢治が右翼思想を持っていたのかというと、それは疑問なのです。
何やら石像があちこちにあり、質より量という感じですね。
日蓮聖人の胸像もあり、花もきれいに活けられています。
不動明王や水子地蔵が並んでいますが、何故不動明王が2体あるのか、それに対して水子地蔵が何故一体なのか解りません。
この空間、私の感想では一貫性がないというのを強く思ってしまいます。そんなことでいいのですか?
どなたかの寄付なのか、小さな坐像。大黒尊天と書かれていますが、私の知ってる大黒天とは様相が違うようです。
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