ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

大洞弁財天 Ⅱ

2011-03-25 05:00:00 | 
山門を振り返ると遠くに彦根城が望めます。彦根城は4年前の秋に蕎麦打ち教室の際に寄ったので、再度行きたいとは思っていません。でもこういう眺めはいいものですね。逆に彦根城の方からこちらを見てもお寺は見えないのだと思います。

ここまで登ってくるのも一苦労だったのですが、こうして見ると彦根城も同じくらい小高いところに建っています。このお寺は階段を一気に登りますが、彦根城は建物の間を徐々に登っていくので、このお寺に登ってくるよりはずっと楽です。

             

陽が当って、ひっきりなしに雪解けの滴が落ちてきます。こういう光景は大阪や南紀ではあまり目にすることがありません。

             

山門の裏側、これは狐のようです。でも狐ってこんなに逞しかったか、もっと細くて小さいような気がします。

                  

こちらは阿形の方、鼻や目が人っぽくないですか。何となく眉毛もあるようにも見えるし。これだけ逞しければ、人など騙す動物には仕立て上げられなかったでしょうに。

             

これでやっとここが大洞弁財天であることが確認できました。お寺の名前は長寿院、大洞は何と読むのかと思っていましたが、「おおら」と読むみたいですね。立て札の下部が朽ちてきています。

                  

山門の表、仁王さんではないけど・・・まさか悟空じゃないでしょうね。龍玉の上に座っているなんて。

                  

こちらは影になっていてお顔がよく見えません。

             

この立て札を見て気付きました。今まで山門だとばかり思っていた門は楼門と呼ばれるものです。祀ってある神は毘沙門天と堅牢地神と書いてあります。きっと毘沙門天が影で顔が見えない方、悟空のように髪を逆立てているのが堅牢地神なのでしょう。

大黒天が4000体も安置されていると記されていますが、外からは見えません。お寺建立以来300年が経過し、その像の傷みが激しいので、修復するのに一躰3800円の募金を訴えていました。像の裏には奉納者の名前が記されるそうです。

日本三大弁財天のうちの一つの弁天様はどうしたかって?安置されているはずの本堂には入ってみましたが、暗くて何がなんだか判りませんでした。          

                  gooリサーチモニターに登録!
     


最新の画像もっと見る

コメントを投稿