先週土・日曜日、私の所属する労組ではない組合の愛知支部の主催で『蕎麦打ち体験』が岐阜の中津川で開かれたので参加しました。
はるばる中津川まで車で走るだけでは勿体ないので、途中築城400年を迎える彦根城に寄ったのでした。
彦根城といえば徳川家大老・井伊直弼の居城、日米修好通商条約に調印した直弼は、1860年3月3日江戸城桜田門外で水戸の攘夷派に討たれたのでしたが、条約に調印した英断は讃えるべきものだと私は思う。
まずは京橋口から外堀を・・・と思っていたら、これ外堀ではなくて中掘、外堀は何処にあるのでしょうね。
これは重文『天秤櫓』ですが、狭くて全体が写せません。
太鼓櫓を通って、天守閣へと出ますが、以外に小さいお城です。
初代から第14代までの260年間、一度も国替えや城攻めも無く安泰に聳えてきました。
屋根裏の柱組みです。直線の木でないのが面白い。
廊下も狭いし、階段も非常に急勾配で、下から攻め上がったら全て鑓で一突きといった按排です。
天守から琵琶湖が一望でき、左にポツンと浮かんでいるのが沖島とか。
はるばる中津川まで車で走るだけでは勿体ないので、途中築城400年を迎える彦根城に寄ったのでした。
彦根城といえば徳川家大老・井伊直弼の居城、日米修好通商条約に調印した直弼は、1860年3月3日江戸城桜田門外で水戸の攘夷派に討たれたのでしたが、条約に調印した英断は讃えるべきものだと私は思う。
まずは京橋口から外堀を・・・と思っていたら、これ外堀ではなくて中掘、外堀は何処にあるのでしょうね。
これは重文『天秤櫓』ですが、狭くて全体が写せません。
太鼓櫓を通って、天守閣へと出ますが、以外に小さいお城です。
初代から第14代までの260年間、一度も国替えや城攻めも無く安泰に聳えてきました。
屋根裏の柱組みです。直線の木でないのが面白い。
廊下も狭いし、階段も非常に急勾配で、下から攻め上がったら全て鑓で一突きといった按排です。
天守から琵琶湖が一望でき、左にポツンと浮かんでいるのが沖島とか。