河内と言っても大阪の東部から東南部にかけてのことではありません。古座川町と旧古座町の境を流れる古座川の清暑島のことを地元では『河内(こうち)さん』と呼んでいます。この島については以前にも紹介してあるので、今回は省略します。
24日の朝から再び古座川町役場に車を停めて、近所の互盟社や神戸神社を散策です。船を走らせるので、ダムから放流されて水かさが増しています。その川に向かいの山がきれいに写りこんでいて、民家さえなければ東山魁夷の絵を見ているようです。
来る途中、古座観光協会で貰ったガイドブックに神戸神社というのが載っていたのですが、そのような所に神社があったかな?と半信半疑で探してみました。
役場から古座橋東詰へと続く道を南へ歩いていくと、川沿いへと道が分岐しており、少しそちらの道を採ってみると、古座川に対峙するように鎮座しているこの碑がすぐに目につきました。
何の気なしに撮ったのですが、帰っていざPCに取り込むと『日露戦○紀念碑』の○の字が読めません。隷書体で書かれているので、おそらく行人偏に天か丈のような字が書かれていますが、意味も考えるのですが、そんな字は記憶にありません。
ガイドブックにもこの碑は載っていませんでした。ガイドブックを創った人もこの字が読めなかったので載せなかったのかも知れません。
元の道に戻って、更に南下を続けると、互盟社が見えてきて、その手前の奥に神戸神社がチラッと見えました。これでは車で走っていると、とても見えるものではありません。
境内ですが、何も置かれていないので、だだっ広く感じます。いや何も置かれてないのではなく、奥に案内板と物置が写っていますね。
この社叢が町指定の文化財で、この地方独特の照葉樹林の宝庫だそうですが、珍しい樹がありますね。イスノキは椅子を作るのに適した樹なのでしょうか?ミミズバイなどという樹の名前は聞いたことがありません。ミミズが這っている樹ですかね?それからバリバリノキとなるといったいどんな樹なのか、是非見てみたいものです。
唯一祠がありました。真ん中ではなくて、右端なのです。こちらの地方の社殿の壁は朱ではなくて紅に近い色で塗られていることに気付きました。
神社の表通りですが、こうやって見ると結構広い神社なのです。社叢とありましたから、裏山もこの神社の一角なのでしょう。
獅子舞の練習や祭りの相談をするという互盟社です。普段はひっそりとしているのですが、この日は8時前だと言うのに沢山の人や車がやってきていました。祭りの段取りで忙しいのでしょうね。
帰途につくとやけに遠い所まで歩いてきたもんだと気付きました。そして正面の山の上、鉄塔の下に赤い鳥居が見えています。これはおそらく日吉神社の上あたりではないのでしょうか?ということは、あの狭い日吉神社はこの上まで続いているということなのでしょうか?
24日の朝から再び古座川町役場に車を停めて、近所の互盟社や神戸神社を散策です。船を走らせるので、ダムから放流されて水かさが増しています。その川に向かいの山がきれいに写りこんでいて、民家さえなければ東山魁夷の絵を見ているようです。
来る途中、古座観光協会で貰ったガイドブックに神戸神社というのが載っていたのですが、そのような所に神社があったかな?と半信半疑で探してみました。
役場から古座橋東詰へと続く道を南へ歩いていくと、川沿いへと道が分岐しており、少しそちらの道を採ってみると、古座川に対峙するように鎮座しているこの碑がすぐに目につきました。
何の気なしに撮ったのですが、帰っていざPCに取り込むと『日露戦○紀念碑』の○の字が読めません。隷書体で書かれているので、おそらく行人偏に天か丈のような字が書かれていますが、意味も考えるのですが、そんな字は記憶にありません。
ガイドブックにもこの碑は載っていませんでした。ガイドブックを創った人もこの字が読めなかったので載せなかったのかも知れません。
元の道に戻って、更に南下を続けると、互盟社が見えてきて、その手前の奥に神戸神社がチラッと見えました。これでは車で走っていると、とても見えるものではありません。
境内ですが、何も置かれていないので、だだっ広く感じます。いや何も置かれてないのではなく、奥に案内板と物置が写っていますね。
この社叢が町指定の文化財で、この地方独特の照葉樹林の宝庫だそうですが、珍しい樹がありますね。イスノキは椅子を作るのに適した樹なのでしょうか?ミミズバイなどという樹の名前は聞いたことがありません。ミミズが這っている樹ですかね?それからバリバリノキとなるといったいどんな樹なのか、是非見てみたいものです。
唯一祠がありました。真ん中ではなくて、右端なのです。こちらの地方の社殿の壁は朱ではなくて紅に近い色で塗られていることに気付きました。
神社の表通りですが、こうやって見ると結構広い神社なのです。社叢とありましたから、裏山もこの神社の一角なのでしょう。
獅子舞の練習や祭りの相談をするという互盟社です。普段はひっそりとしているのですが、この日は8時前だと言うのに沢山の人や車がやってきていました。祭りの段取りで忙しいのでしょうね。
帰途につくとやけに遠い所まで歩いてきたもんだと気付きました。そして正面の山の上、鉄塔の下に赤い鳥居が見えています。これはおそらく日吉神社の上あたりではないのでしょうか?ということは、あの狭い日吉神社はこの上まで続いているということなのでしょうか?
でも、梅原猛の本をかなり読んで、日本古来の神や仏教というものが、この日本国にとってどのような影響を与えてきたのかということが、おぼろげながら解ってきたと思います。
25日は昼間では晴天だったけど、その後どうなるか判らないので、昼過ぎに帰りました。やはり定住するようにならないと、ゆっくり見ることが出来ませんね。
そうです、こおったま関連は対象がほぼ、ぼんくらさんです(はははは)。でも、読んだ誰かが「こんなところもあるんだ」と古座・串本を知ってくれればいいから・・・。やって来てお金を落としてくださいなぁ~
花火は25日だったかな、雨が降ったりやんだりだったけど。
宵宮に出かけたのですが、狭いテントの中で獅子舞があり、それでも何処かでポンポンと花火の音がしていて、笛の音の邪魔になっていました。川原からは花火自体は見えません。
時間的に私が行動するのとは違う時間だったので、取材は24日までしかしていません。河内祭は、たぶん4回に分けて掲載します。
後、大賀ハスも未だ咲いていましたよ。
今年はお天気が怪しかったから花火はあったのかしら。私なんぞは日曜の草刈りのために体力を温存していて、出かけませんでした。
ガイドブックを手にされたようですね。ぼんくらさんの感性に答えられたかしら?