やっとの思いで、鷲林寺の本堂に辿り着きました。
このお寺のお坊さんは拳法を修めないのでしょうか、少林寺拳法に対して、鷲林寺拳法な~んちゃってネ。
こちらは多宝塔、建物は皆新しいもののようです。
裏山にあった・・・何なんでしょう?左は白山大権現と彫られているし、右は不動明王です。どんな趣でこういう風に並べたのか是非説明が必要だと思うのですが、如何なものでしょう。
一番上の荒神堂です。鳥居の額には三寶荒神と書かれています。三寶とは(仏・法・僧)と説明があります。
833年に弘法大師がこの地にお寺を建立しようとした時、この地を支配していたソラン神が大鷲に姿を変え入山を阻止しようとしたので、大師は霊力を用い桜の霊木にソラン神を封じ込め、その木で十一面観音を造りこの寺の本尊とし、寺の名前を鷲林寺としたと記されています。
話が巧く出来すぎているような気がします。
神呪寺も清荒神もソラン神と関係があるらしい。
ソラン神は麁乱神と書くのですが、ソランといえば私らの年代では『宇宙少年ソラン』というマンガがあったのを覚えているだけです。
荒神堂から戻る途中、多宝塔から本堂の屋根が見えたので撮ってみましたが、紅葉の頃にはもっときれいになるのだろうと思います。
キョロキョロしてると、こんなものも見つけました。
鳥居の額には若宮神社とありました。
この社がこの境内で一番古いものだろうと思います。
おやっ?見た事のある詩です。これは行基の詩ではなかったのか。
行基とは関係の無い高野山・真言宗が無断で用いてもいいものなのか?
ここにもお地蔵さんの祠がありましたが、神呪寺ほど多くはありません。
四国八十八箇所巡りのご利益が得られると言う弘法大師の像を裏側から見てみました。
弁財天の祠です。池には鯉が泳いでいますが、判りますか?
祠の右で白い鯉が2尾が泳いでいます。
弘法大師が彫ったといわれる十一面観音像は見ることができませんでしたが、ここへ至る道は『かんのん道』と呼ばれているのですね。
木の向こうに甲山が見えています。
このお寺のお坊さんは拳法を修めないのでしょうか、少林寺拳法に対して、鷲林寺拳法な~んちゃってネ。
こちらは多宝塔、建物は皆新しいもののようです。
裏山にあった・・・何なんでしょう?左は白山大権現と彫られているし、右は不動明王です。どんな趣でこういう風に並べたのか是非説明が必要だと思うのですが、如何なものでしょう。
一番上の荒神堂です。鳥居の額には三寶荒神と書かれています。三寶とは(仏・法・僧)と説明があります。
833年に弘法大師がこの地にお寺を建立しようとした時、この地を支配していたソラン神が大鷲に姿を変え入山を阻止しようとしたので、大師は霊力を用い桜の霊木にソラン神を封じ込め、その木で十一面観音を造りこの寺の本尊とし、寺の名前を鷲林寺としたと記されています。
話が巧く出来すぎているような気がします。
神呪寺も清荒神もソラン神と関係があるらしい。
ソラン神は麁乱神と書くのですが、ソランといえば私らの年代では『宇宙少年ソラン』というマンガがあったのを覚えているだけです。
荒神堂から戻る途中、多宝塔から本堂の屋根が見えたので撮ってみましたが、紅葉の頃にはもっときれいになるのだろうと思います。
キョロキョロしてると、こんなものも見つけました。
鳥居の額には若宮神社とありました。
この社がこの境内で一番古いものだろうと思います。
おやっ?見た事のある詩です。これは行基の詩ではなかったのか。
行基とは関係の無い高野山・真言宗が無断で用いてもいいものなのか?
ここにもお地蔵さんの祠がありましたが、神呪寺ほど多くはありません。
四国八十八箇所巡りのご利益が得られると言う弘法大師の像を裏側から見てみました。
弁財天の祠です。池には鯉が泳いでいますが、判りますか?
祠の右で白い鯉が2尾が泳いでいます。
弘法大師が彫ったといわれる十一面観音像は見ることができませんでしたが、ここへ至る道は『かんのん道』と呼ばれているのですね。
木の向こうに甲山が見えています。