ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

鷲林寺

2008-05-28 04:50:00 | 大阪にて
神呪寺から西へ2Kmほど行くと、鷲林寺(じゅうりんじ)というこれも又真言宗のお寺があるというので行ってみることにしました。

途中、北山貯水池という西宮市民のための水源がありました。
と言ってもあまり大きな池ではありません。

       

池の手前の林の中によく見ると我社の記念植樹の跡がありました。
昭和48年10月、西宮市で電話10万台突破記念と書かれています。

35年ぐらい前は、未だ西宮市でも電話は10万台しか繋がっていなかったんですね。開通させるのに72000円の設置負担金が要り、当時のサラリーマンの家庭ではなかなか手が出せるものではありませんでしたが、企業活動には必須のものであり、商売をする人たちにも熱望され、申し込んでもなかなか電話は開通できませんでした。

今は光ファイバーで繋ぐインターネットが主流になりつつありますが、当時のように開通するまでに数ヶ月を要する地域もまだ沢山あるようですが、今や工事するのにもお金はかかりません。

       

池の西から東側(来た方向)を撮ってみました。

            

これより5丁とあり、1丁は約100mとして、500mぐらいですか。
でも信じられません。

       

ここから300mと言うことはあの丁石から200m来たことになりますが、とんでもありません。あれから随分歩きました。
でもここからの300mは正確だったかも知れません。

       

高野山・真言宗・六甲山・鷲林寺って、山の名前が2つもあるのはややこしくありませんか。

       

ここには武田信玄の墓と書かれていますが、平安末期から鎌倉初期に造られたとする塔婆は信玄の墓である筈がなく、ここで出家・剃髪をした信玄が頭髪を埋めたのだという説の方が信じられなくても、真実味があります。

       

信玄の墓がこんなに雑然としているのも可笑しいし、越後・諏訪・駿河辺りで忙しい信玄がはるばる甲斐の国から摂津の国まで何をしに来たと言うのでしょう。

            

真ん中の手摺さえ無ければ、熊野古道のように年輪を感じさせる杉と古めかしい階段です。

       

個人の菩提を弔うためにお寺の庭を提供する寛大さは何処から来るのか解りませんが、震災での倒壊を契機に被災者の菩提を弔うように変わったのは良かったのではありませんか。

     

やっとの思いで本堂のある境内の一段下まで到達、丁石から20分程度歩いたでしょうか。いくら遅くても500mを歩くのに20分はかからないでしょう。

            

ここにも西国八十八箇所巡りと関連した処がありました。
この像を一回りすると、四国八十八箇所巡りしたのと同じご利益があるそうです。

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