サクラも満開の4月第1週の日曜日、試合も練習も無かったので、そろそろきれいに咲くでと言われた談山<たんざん>神社に行ってみることにしました。
1ヶ月半も前のことで申し訳ありません。
ここは多武峰<とうのみね>と言われる山で、古事記の時代より有名な所ですが、訳有りでここに神社が祀られているのです。
サクラを撮るにはちょっと早かったのですが、所々違う種類のサクラが咲いていて、とてもきれいなところもあります。
ここは誰も訪れようとしない藤原不比等の塔=お墓です。
不比等が嫌われているのか、こちらの方面に行こうとは思ってないのか、殆ど誰も来ていません。
まぁ、本殿の方とは全く違った所にあるし、不比等は直接この多武峰とは関係がありません。
関係があるのは親父の鎌足です。
幹は完全にサクラなのですが、花がかなり小さくて赤っぽく、なかなかきれいです。
どこかで見たような碑、亀の上に碑文が建てられています。
鎌足公が中大兄皇子を補佐して中国の律令制を導入、日本の今日の基礎を築いたと絶賛しています。
長子・定慧、次子・不比等がこの多武峰の地に墓を改葬、十三重の塔を建立し供養したと刻まれています。
定慧が渡唐していたので、このような中国式の碑を建てたのでしょうね。
南北朝動乱が開始された年(1331年)、後醍醐天皇がこの燈篭を寄進したらしい。重要文化財ですが公開されています。
ここまでが境内に入る前でした。
1ヶ月半も前のことで申し訳ありません。
ここは多武峰<とうのみね>と言われる山で、古事記の時代より有名な所ですが、訳有りでここに神社が祀られているのです。
サクラを撮るにはちょっと早かったのですが、所々違う種類のサクラが咲いていて、とてもきれいなところもあります。
ここは誰も訪れようとしない藤原不比等の塔=お墓です。
不比等が嫌われているのか、こちらの方面に行こうとは思ってないのか、殆ど誰も来ていません。
まぁ、本殿の方とは全く違った所にあるし、不比等は直接この多武峰とは関係がありません。
関係があるのは親父の鎌足です。
幹は完全にサクラなのですが、花がかなり小さくて赤っぽく、なかなかきれいです。
どこかで見たような碑、亀の上に碑文が建てられています。
鎌足公が中大兄皇子を補佐して中国の律令制を導入、日本の今日の基礎を築いたと絶賛しています。
長子・定慧、次子・不比等がこの多武峰の地に墓を改葬、十三重の塔を建立し供養したと刻まれています。
定慧が渡唐していたので、このような中国式の碑を建てたのでしょうね。
南北朝動乱が開始された年(1331年)、後醍醐天皇がこの燈篭を寄進したらしい。重要文化財ですが公開されています。
ここまでが境内に入る前でした。