ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

エネルギーシフト

2011-07-08 05:00:00 | 読書
北関東大震災以降、なかなか復興のはかどらない広範な地域にもどかしさを感じながら、福島の原発事故に対しては非常に腹立たしい思いです。腹立たしいというのは復旧の目途が立たないでいるというより、原発は安全なのだと言って沢山の反対意見を無視し、原発建設に邁進してきた政策にも拘わらず、原発は安全でなかったと証明されたのに(証明されない方が良かったとは思うのですが)原発推進の姿勢はなんら変らないという政府や業界の姿勢です。

             

山田風太郎の忍法帖シリーズばかり読んでいるわけではありません。やはりこれからの電力を如何にして賄っていくのかという問題は、残り少ない私の人生でも考えていかなくてはならない問題であり、ひとつ太陽光発電について勉強してみようと思って、この本を買ってみました。

エネルギーシフトとは、現代に必要な電力量を危険な原発から脱却するにあたって、どのようにしたら安全で快適な電力を賄えるのかを追求することだと理解しています。今の日本国の電力消費量からすると今すぐに原発を廃棄することは出来ないだろうとは思っています。国民一人一人が少しでも電力の消費を抑えつつ、太陽光や風力による自然エネルギーを使った発電に切り替えていくことが求められているのだと言う事は十二分に解ります。

                  

しかし太陽光発電を利用するとなると何百万円もの出費が必要であり、一般的な家庭ではいくら太陽光発電が良いと理解できても、実行となると腰が引けてしまいます。今の政府が本当にエネルギー政策を変える必要性を痛感しているなら、原発開発につぎ込む税金を民間の太陽光発電を設置しようとする個人宅に回してやるべきです。

写真は本の裏表紙の見開き、群馬県太田市の『パルタウン城西の杜』、太陽光発電のパネルを設置した家が建ち並んでいます。

             

私も串本に住むようになれば、今の姫の家を改装するのか、新しく少し高台の大津波の被害を受けないところに新築するにしても、太陽光発電は利用したいと思っています。いろんなメーカーのパンフレットを集めては読んでみるのですが、自己PRばかりが目立って何処がいいのかよく分りません。

本やパンフレットばかり読んでいてもよく分らないので、一度消費者の立場に立ったお話を聞きたいものだと思っているところであります。

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忍法帖

2011-06-24 05:00:00 | 読書
山田風太郎の『八犬傳』並びに間違って買った『忍法八犬伝』を読んで、氏の忍法帖シリーズを読破しようと企みました。5月の終盤から現在までこのシリーズ8冊を読みきりました。今回は一つ一つの感想文は省きます。

忍法帖①が『甲賀忍法帖』②が『忍法忠臣蔵』③が『伊賀忍法帖』④が既説の『忍法八犬伝』⑤が『くの一忍法帖』、面白くて惹きつけられ、理屈などないので(忍法なので屁理屈はある)、簡単にしかも時間的にも早く読めました。ようもこんな忍法を考え出すなぁと呆れもし、感心もするのです。

ずっと前に読んだ『魔界転生』が巻の⑥と⑦、その表紙の艶かしさの割りに官能的な部分は無かったのですが、今回のものは表紙と一緒、女の忍者の艶かしい場面が多いのです。でも官能的かというとそうでもない、実にあっさりとした表現で、忍法なのだからそれはそれで闘争なのだなぁと思うのです。

             

忍法帖⑧は『江戸忍法帖』⑨と⑩が『魔界転生』に主演の柳生十兵衛が登場する『柳生忍法帖』、どれをとっても奇想天外、縦横無尽、天衣無縫はちょっと違うか、荒唐無稽と人を驚かすような四文字熟語が当てはまるストーリーの連続、摩訶不思議や奇妙奇天烈というような五文字熟語もあるかな、でも決して支離滅裂ではありません。周到に計算されたストーリーが読者を惹きつけるのです。

全体を通して思うのは、“にっと笑う”という表現が非常に多いこと、如何にも忍者が忍法を成功させた場面に適切な表現なのかも知れません。

                  

忍法帖シリーズ11番目が『風来忍法帖』、この本を読んでいてびっくりしたのは、最近読んだ『のぼうの城』と舞台が同じ忍城で繰り広げられる石田三成と成田家の戦模様であったこと、成田家家臣の政木丹波や酒巻靭負なども同じように登場しますが、こちらではあまり活躍しません。もちろんのぼう様こと成田長親も登場しませんが、城主・成田氏家の妻が登場、『のぼうの城』では珠という名前でしたが、こちらでは麻也姫という名前で登場させ(どちらも江戸城を築いた太田道灌の曾孫・太田三楽斎の娘)、『のぼうの城』で活躍した氏家の娘・甲斐姫のごとく活躍するようになっています。いやいや説明は逆、山田風太郎のほうがずっと先に書いているのですからね(初の文庫化は1964年)。主人公は香具師の7人、ストーリーの前半で風魔忍法を習う羽目になり、やがて彼らの意思に反して、三成の水攻めから麻也姫を助けて忍城を守り抜いていくようになります。

風太郎の忍法帖シリーズはまだまだ続いていきます。

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なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか

2011-06-10 05:00:00 | 読書

日本国って、都市部の駅前には必ずパチンコ屋がありますね。まぁJRの特急や急行が停まる駅なら田舎でも見かけます。現に紀勢線の周参見でも串本でもありますね。姫駅はおろか、古座駅は特急が時々停まるけど、パチンコ屋はありません。古座の衆はパチンコが嫌いなのか?いいことですね。

パチンコ依存症なるものが犯罪を引き起こすのは、もう随分以前から知られていることですし、私の知人だった人もそのお蔭で私達のグループに迷惑をかけたことも経験してきました。まぁ、そういうことをすると、もう私達の目の前には居られなくなってしまって、おそらく悲惨な人生を送っているのではないかと思ってしまうのですが、私が蒙った被害など小さなもの、世の中には殺人まで起こすという物騒な原因がパチンコにもあるのです。

ところでお隣の国・韓国で2006年にパチンコを全廃する決議が国会で成立したって知ってました?当時の日本のマスコミは全く報道していなかったらしい。これだけパチンコがブームになり、そのために被害者も出ているというのに(韓国だってブームになり、被害が大きくなってきたので廃止を決めた)、そんなことは知らん顔を決め込んだのが日本のマスコミだったわけです。勿論知らん顔をしておったのはマスコミだけではなく、知ってるはずの政治家も官僚も警察もなのですが、知らされてない私達も知らん顔をしていました(知らん顔じゃなくてホントに知らんかったのですが)。

             

著者が言うには、この背景には日本のカネに対しての異常さがあることを指摘しています。政治家もマスコミも官僚も警察も、カネの臭いを嗅ぐと我も我もと群がってくるのです。何となく解りますね。何処の業界でも同じですが、ヤバイことを合法化してやっていくには、政治家や官僚や警察を取り込むのがこの国のやり方、それにマスコミも同様な姿勢をとり出したのです。あの戦前・戦中の教訓をもう忘れてしまったのですね。

国民がこのことに気が付かない限り、日本国の政治は良くはならないだろうし、まぁパチンコを無くすことより、政治家や官僚たちの姿勢を糾すことが先決なのかも知れません。官僚といえば先出の川路聖謨は家ではお酒を飲むけど、出張先では絶対にお酒を飲まなかったといいます。

今やパチンコ屋のターゲットは主婦やOL、年金生活者らしい。パチンコ店にはATMが設置され、これで便利になったなどと思いますか、銀行も庶民が落ちぶれていくのに一役買いだしたということなのです。

ビックリさせられたのはパチンコ店に設置されている顔認証システム、このシステムが導入され、店同士で情報を共有化されると、アメとムチによって客は店の思うがままに操られます。今でも絶対に勝てないのが分っていてもパチンコが止められないのに、全ての客に勝たせたり負けさせたりが店の自由意志によって行われるなら、客を店から離れさせないようにするのもいとも簡単にやってのけられるのでしょう。

日本国と韓国との対応の違いは宗教の違いもあるのかも知れません。韓国は主に儒教の国、日本は主に仏教国、親鸞の「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説は、却って現在の憂うべき日本国の現状に一役買ってるのかも知れません。

                  

私もとうとうこんな本を読むような歳になりました。

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三陸海岸大津波

2011-06-03 05:00:00 | 読書
定年後、南紀地方に住むとなると仕事も然ることながら、東南海大地震による大津波による被災が心配のタネです。一旦起きればそれを塞ぐことなど不可能ですから、警戒を深めねばなりません。

“獲らぬタヌキの皮算用”なら獲れればいいなぁぐらいの気持ちでおれるのですが、“来ない津波のナントヤラ”では来てもらっては困ります。大きな津波が来てもいいようにと、三男は高台に家を移すことをしきりに勧めます。

さて津波はどのようにやって来るのか、今回の東北の大津波との相関関係はあるのか、この本の作者・吉村昭は既に亡くなられていますが、取材された明治29年6月、昭和8年3月の大津波がどのようなものであったのかを知りたくて、読んでみることにしました。

             

この二つの津波に共通する前兆は、数日前から漁獲量が格段に増えたということと、井戸の水が枯れたり、濁ったりしたことでした。現在では井戸のある家、あっても使ってる家は殆んど無いでしょうが、漁をしている人は沢山います。この二つの地震・津波の前は特にイワシが沢山獲れたということ、明治29年の四十数年前の安政の大地震の折にもイワシの漁獲量が上がっていたとか、では今回の地震ではどうだったのかって、そういう視点で比べてないからなのか、あまりそんな話は聞いたことがありません。

三陸地方は地震、津波の多いところで、いろんな経験から警戒を強めている場所で、作者が感心しているのは昭和8年の津波以降に造られた田老地区にある大堤防でした。全長1350m、上幅3m、底幅最大25m、海面からの高さ10,6mという巨大なものでしたが、今回の地震はこの規模を嘲笑うかのように田老地区を呑み込んでしまいました。

吉村氏が生きておられたら、この本の地震・津波と今回の地震・津波の共通点から課題を探し出そうとするのだろうけど、もうおられません。そういう仕事をする人はいないのかなぁ・・・。

             

こちらは『おじさんはなぜ時代小説が好きか』という本の中で気になっていた人・佐藤雅美の『官僚川路聖謨(としあきら)の生涯』という面白くもなさそうな小説。何故このような小説を読んだのかと言えば、私の課の課長が描かれた生涯の人と同じ苗字だったからというのは名目で、江戸時代の官僚ってどんな仕事をしていたのか興味を持ったからでした。

『ながい坂』と同じように平侍出身の者が、努力して出世していく話ですが、『ながい坂』は小説ですが、こちらは実在の人物です。

             

平侍の子が出世するために大家の養子になることは当時としてはむしろ当たり前で、そのためには何百両という大金が要りました。主人公は養子に行く前は内藤弥吉という名前で、川路家に養子に行くところからお話が始まります。
当時お目見え以下の者で学問吟味及第者主席の大田直次郎は“歩兵(御徒)還(ま)た禄あり、笑うなかれ、儒と為らざることを”と詩を残してしますが、弥吉の父親は自らの出世を諦め、望みを息子に託すようになります。

川路と名乗った弥助は自分が取り入ってもらうため朝夕著名な屋敷を訪問し続け、そうこうするうちに勘定所が弥助を雇うことに、ここからが弥助の官僚人生の始まりです。

頃は天保、川路が活躍して勘定奉行になったころには、黒船が来るようになり、それらの折衝役を任されるまでになっていきます。殿様の跡取り騒動に巻き込まれるのは『ながい坂』と同じ、そういう騒動に関わりたくない川路も時代の流れの中ではそうもいきません。ついには蟄居を命じられ、それでも復権したりと、なかなか波乱万丈の人生だったようです。しかし最終的にはピストルで自殺という結末でした。

作者は経済的なことに強かったらしく、この当時何にいくら要ったというような記述はかなり詳しかったです。


             

これは『三陸海岸大津波』に着けてもらったカバー、どうやらNHKのBS放送のコマーシャルのようです。フェルメールや岡本太郎、このカバーは美に生きた武将=古田左介というアニメの主人公、後、若冲の絵のものもあったけどGWに姫の家に置いてきたので、写真はありません。

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八犬傳

2011-05-27 05:00:00 | 読書
『おじさんはなぜ時代小説が好きか』という本の感想文の中で山田風太郎の『八犬傳』を読んでみたいのだが、書店に行っても売ってないと述べたことがありました。今は大きな書店に行くと、読みたい本の置き場所などが寸時に判るPCを設置してあって、きっとその検索履歴などを調べて、新たに並べる本を決めてるのかと思う節があります。この八犬傳も最初に探したときは検索しても無かったのですが、GWが終わってからジュンク堂へ行くと時代小説を集めた棚に置かれていたのです。

                  

小学校へ入る前に滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読んでみたことも書きましたが、きっと面白くなくて途中で止めてしまったと思います。孝・信・義・忠・仁・智・礼・悌と言っても何のことやらサッパリ解らない子供のことですから、作者の意図するものが読めず、最初からいやになったんでしょうね。でも信乃や毛野というような名前はおぼろげながらも覚えていました。八つの珠に纏わる儒学的なことは飛ばして読めば、小さい頃でも読めたかも知れません。

さて山田風太郎の『八犬傳』、冒頭安房の国・滝田城に篭城する里見家は食糧も底をつき、自決を待つだけの窮地においやられていました。その年、害虫による不作で年貢を取り立ててなかったからで、上総の国の朝夷が数年前に大不作になった折には5千俵の米を救援したので、今度はこちらから救援を願い出たところ、これ幸いと館山城主・安西景連が攻めかかってきたのでした。

死を待つばかりの城内で犬の八房に城主・里見義実が敵将・景連の首を獲ってきたなら、伏姫を娶らそうと言ってしまったのが発端、水盃をあげて死への決意を示したその時、八房は景連の首を咥えて戻ってきたのでした。

                  

山田風太郎の『八犬傳』はこの足利義政の頃の話を【虚】とし、執筆前にそのストーリーを馬琴が葛飾北斎に聞いて貰う場面を【実】の世界として、江戸の安政期の出来事を織り交ぜながら、話が進んでいきます。この北斎との会話も実に面白い、馬琴は謹直な儒学人、その反対に北斎は貧乏ながら粋な天才肌で、正反対な人間像ながら馬琴は北斎に一目置かざるを得ないように描いています。

途中から北斎は富岳の絵を描くために旅に出てしまい、ストーリーの聞き役は渡辺登(崋山)、息子の嫁のお路と変わっていきますが、馬琴はとうとう28年の歳月をかけて『南総里見八犬伝』を完成させるのです。

終盤に犬江親兵衛なる子供が8番目の犬士として藩主の危機を救うのですが、この場面が相当に痛快でした。

                  

実はこの『忍法八犬伝』、山田風太郎の『八犬傳』が無かったので、こちらの本が言われているものなのかと思って買ってみたのですが、どうやら筋違い。同じ名前は出てくるものの構想が全く違います。犬の八房は8人の犬士に一匹づつ付いているし、犬士は出現しては相手を倒して死んでしまいます。

             

結局、この『忍法八犬伝』の解説に『八犬傳』が廣済堂出版から出ていることを知り、改めて書店を探した次第でした。この『忍法八犬伝』も面白かったものの、『八犬傳』の虚と実の構成の見事さは群を抜くものです。

                  

これはジュンク堂がコマーシャルの載ったカバーということで、当時『忍法八犬伝』に着けてくれたものですが、誰の写真か判るでしょうか?

                  

こちらは左半分、つまり本人の右半分ですが、これで誰だか判る人もいるんじゃないですかね。

             

ハイ、「芸術は爆発だ!!」でした。

今は山田風太郎『忍法帖』シリーズに嵌っています。『八犬傳』の後、『甲賀忍法帖』『忍法忠臣蔵』『伊賀忍法帖』と番号順に進んでいます。

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ながい坂

2011-05-23 05:00:00 | 読書
『おじさんはなぜ時代小説が好きか』の中でその著者によって批判されていたので、読んでみようと思った『ながい坂』です。山本周五郎というと私の若い頃に流行った作家で、チャンチャンバラバラやるのではなく、人生や世の中と言うものをじっくり見ていくというふうに私は受け止めていて、当時は読んでみようとは思わなかったのですが、もうエエ歳ですから、そろそろ読んでみてどんな作家だったのか判断したいとも思ったのです。

主人公は徒士組頭の倅・阿部小三郎、文武両道に優れ、身分の差を越えてめみえ以上の者が通う尚功館で学び、筆頭になります。期待もされますが逆に嫉みも受けますが、自分の道をしっかりと歩んでいきます。

幼い頃にある池へよく釣りに通っていた橋が取り壊され、その橋を渡る足音が家老格の子息の勉強の邪魔になるので取り壊されたと知り、そんなことが通る世の中であってはならん、もっと当たり前のことが当たり前になる世の中にしたいと勉学に励んだのでした。そして元服して主水正と名乗るようになる。

藩主・飛騨守昌治の側に付くようになった主水正が、昌治と領地を視察する際の言葉が先の本では批判の的になっていました。「殿は七万八千石のご領主です、領地内には百姓、町人、御家臣たち、あわせて四千人に近い者どもの命が、みな殿の御肩にかかり・・・」という件、要するに78000石では4000人が食うには足りないというのです。私としては話の内容からしてそんなことはどうでもいいと思う。そういうことをいちいち気に留めて読んでないのです。

             

領土を効率よく利用するために荒地を田畑にするべく大堰の築営を負かされる主水正、藩の主導権争い等から妨害も受けながら、大雨が降った日に途中まで出来ていた堰が洪水を防ぎ、主水正は庶民から一層慕われるようになります。

ところが大堰を指示していた飛騨守が突然失踪、工事は暗礁に乗り上げ、主水正も命を狙われるように・・・これは飛騨守昌治に対して正室の子松二郎を藩主として戴こうとする者供の謀だった。

人生は思い荷を背負い、長い坂を登っていくようなものだと振り返る主水正の話、上下二巻ありますが、現代語調なので読むのはそう難しくありません。子供の頃の誓いを忘れず、目標に向かってただひたすらに生き抜く、どんな考えにも一理ありとし、無碍にそういう人を排撃しない、そういう周五郎の考え方が出ている作品だと思います。

             

ジュンク堂がカバーを変えました。いや拒めば元のものもあるのでしょうが、私は目新しいものが好きですから、それでいいと言ったのですが、上巻と下巻は同じカバーにして欲しかったな。上巻のカバーは2番目の写真、何かなと思うでしょうが、広げるとほら、フェルメールの少女の絵です。

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おじさんはなぜ時代小説が好きか

2011-04-15 05:00:00 | 読書
おじさんはなぜ時代小説が好きか・・・私も時代小説は好きですが、『じ』と『さ』の間に『い』が入ってしまいそうな歳になってしまいました。

確かに何故好きなのか、考えてみたいですよね。

本は、山本周五郎、吉川英治、司馬遼太郎、藤沢周平、山田風太郎、長谷川伸等既に亡くなった作家を中心に解説が進みます。夫々の作家の出自を紹介、主な作品を巡ってこの本の著者の思いが語られます。そして時代小説、或いは歴史小説と書かれた当時とを照合しながら、何故好きなのかを解き明かそうとしているように思えるのですが、私より4歳年上の著者は、その青春時代を過ごしたであろう頃の歴史の風景を自嘲しているように思えて仕方ありません。

読んでいて山本周五郎には結構厳しい、学歴を詐称しているとか、時代の捉え方が間違っているとか、同じような間違いをしていても藤沢周平には甘いように感じます。だからなのか、どうなのか私は今、初めて山本周五郎に挑戦してみようと『ながい坂』を読み始めました。

逆に司馬遼太郎を絶賛に次ぐ絶賛をしているのには空いた口が塞がらん私です。そんなに凄い人なのかと思わずにはおれません。いや凄い人なんだろうとは思うけど、私は好きじゃないのですよね、司馬さんを。とりあげている作品は『燃えよ剣』と『新撰組血風録』と『坂の上の雲』、書かれた時代の流れに逆らって、逆の立場を支持していると言いますが、じゃあ『竜馬がゆく』はどうなんだと聞いてみたいんだな。私も若い頃はこの『燃えよ剣』も『新撰組血風録』も『竜馬がゆく』も心躍らせて読んだけど、今の私とはスタンスが違うんです。

                  

読みたいけど、何から読めばいいか判らないほど出版されている本が多くあって読む気がしない山田風太郎の本、ここでは『八犬伝』を採り上げて解説されています。小学校へ入学する前に貸し本屋で借りたことのある『南総里見八犬伝』は滝沢馬琴の著、その焼き直しらしいのですが、唯一読んだ氏の小説『魔性転生』がとても面白いと思った私は『八犬伝』を読むべく本屋で探したのですが、どうやら売ってないらしい、是が非でも読むなら古本屋で探すしかないのかも知れません。

             

六章まで数人の作家について述べた後、最後の七章でこの本のタイトル『おじさんはなぜ時代小説が好きか』の解明に入るのですが、ここでは森鴎外について述べられます。大正デモクラシーが謳歌される時代に江戸時代の封建社会のモラルを採り上げた鴎外は、当時のいわば反動だったと言えますが、この本の作者はそこから見えてくるものがあると言います。

そこでおそらく高校時分に読んだことがあるであろう『阿部一族』を買って読み直してみました。

                  

革命期にはその前の時代を否定したがる傾向があるが、その前の時代にも賛美されるモラルはあるのだと作者は言います。勿論否定はしませんが、ここで鴎外の『阿部一族』『堺事件』という切腹をテーマにした作品を採り上げるのは何か理由があったのでしょうか。

『阿部一族』は殿様との相性が原因で、殉死することを許されなかったために起こる風聞のために一族総出で立て篭もり、全滅すると言う話。『堺事件』は無許可で上陸したフランス兵を留めさせる際に発砲し、死傷者を出したことを理由にフランス側から死罪を突きつけられ、当の発砲した本人達はお上のためにしたことなのだから、犯した罪は償うとしても切腹をさせろという話。切腹の現場ではフランス人が怖がって逃げたため、その切腹は途中で中止になったので、死なずに済んだ人たちが、これまた困ったという今では考えられないモラルのノンフィクションです。

私などは読んでいて、鴎外はこのような切腹と言う時代錯誤を嘲笑するために書いたのではないかと思ったりもするのですが、作者は切腹自体を賛美するのではないけれど、このような江戸期のモラルに現代には無い何かを求めようとしてるのかなぁ。

野放図な自由はいけないという作者、今政治の場で顕著な新自由主義は、余計な規制は取っ払えと言う金儲け本位の自由を求めているわけだけど、自由について述べるなら、現に今私達が困っているこの新自由主義にまで言及してもらいたかった。
私とは立場も意見も異なるけれど、読んでいてよう勉強してはる人やなぁとは思いました。

でも時代小説を好きなのは、おじさんだけに限ったことではありますまい。

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忍びの国

2011-03-22 05:00:00 | 読書
先週一週間、我社は営業活動を自粛していました。毎日会社を出ると自由気儘に歩き回っている私にとっては、社内に閉じ込められ続けるのは苦痛の連続でした。鳥は大空を飛び回るもの、やはりカゴに入れて飼うのは鳥にとっては迷惑この上ないのでしょうね。

年末に『のぼうの城』を読みましたが、同じ作者の『忍びの国』という小説が文庫本で発売されました。表紙に『のぼうの城』のようなインパクトがありませんが、前回面白かったのですぐに手に入れたのでした。

天正4年11月、織田信雄(のぶかつ)=信長の次男が、伊勢の国の領主=北畠具教を暗殺するために、3人の刺客と共に馬上の人となっていました。3人の刺客は北畠家の元家来衆、そういう人物を選ぶところが信長の非道な所業です。一行4人は具教を仕留めますが、この一部始終を天井裏から見ていたものがありました。これが伊賀の忍者・文吾、後の石川五右衛門です。ここまで読むとこの本の主人公は文吾かと思われるのですが、そうではありませんでした。

所変わって伊賀の国、有力な地侍がお互いに牽制しあっていますが、この国を統率できるような強力な力を持った者もおらず、いつも諍いを起こしていました。その地侍の一人が百地三太夫、聞いたことありますよね。

この百地三太夫と下山甲斐という者が諍いを起こし、下山の砦でチャンチャンバラバラやっています。三太夫は下山家の次男・次郎兵衛を切るよう無門という下人に命令します。無門という男は腕は立つのですが、ゼニにならないことは一切しないという変わり者、百貫文で引き受け容易く次郎兵衛を斬り殺します。それに怒ったのが長男の平兵衛、無門と互角に勝負しますが、ここで鐘が鳴り響きます。この鐘は地侍を集めて評定を開くためのもの、鐘が鳴るとどんなに諍っていてもすぐに刀を引き、評定の場=平楽寺へ急がねばなりません。

評定では伊勢の国が織田方に落ちたので、伊賀の国はどうするべきかとの話、結果として織田と闘っても勝ち目は無いと、織田の軍門に下ることになりました。その使者に下山平兵衛を立て、文吾が付いていくことになりますが、平兵衛の腹は煮えくり返っています。途中、文吾に深手を負わせ、平兵衛は信雄に目通りを願い、伊賀を攻めるよう嘆願します。

             

この平兵衛の伊賀へ対しての裏切りを三太夫は忍法をかけた、下山との諍いも最初から計略であったと明かします。

伊賀を攻めることに意を決した信雄は、伊勢と伊賀の間に丸山城を築くことを決め、その築城のために伊賀者を雇います。伊賀者は毎日ゼニが入るのでせっせと働くのですが、城が出来上がったその日に三太夫は城を焼いてしまいます。

さて城を焼かれた信雄は怒り心頭、伊賀攻めを急ぎますが、一方大金を手にした下人たちは織田と闘ってもゼニは入らんと、伊賀の国から逃げていきます。無門とてもゼニにならない仕事はしたくありません。ここまでは三太夫も計算してなかったらしい。

下人が半減した伊賀の国、怒涛の如く攻め入る織田軍、伊賀一の使い手無門も逃げてしまうのか、ここから以降は作家のためにも明かせません。

面白いですから、買って読んでくださいね。

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枯木灘

2011-03-08 05:00:00 | 読書
先月の釣行時に田子のレストランで見た『枯木灘の中心地』という碑が気になっていて、『利休にたずねよ』の読後、紀州人なら是非とも読んでおかねばならないと思っていた中上健次の『枯木灘』を読んでみました。

話は枯木灘ではなくて熊野灘の方、作者の故郷の新宮から以東の話でした。熊野灘地方の話なのに何故『枯木灘』というタイトルを付けたのか不思議ですが、枯木灘は白浜から潮岬までの海岸で断崖続きの地であり、その断崖には木も葉を茂らすこと無く、いつも枯木が並んでいるような風景なので付けられた名称だとか、そういう地形続きなので船が寄る良港がないという観点からこのタイトルを選んだようです。

でも実際には周参見、見老津、江住、和深、安指、江田、有田、袋と小さいながらも漁港は沢山あるんですけどね。

                  

養父の繁蔵から将来を見込まれ、土方の仕事を実直に働く主人公=秋幸を中心に複雑な家族関係が絡み、実父の龍造との確執が暴走族のリーダーをはっていた弟にあたる秀雄を殺してしまうというストーリー、養父の繁蔵も実父の龍造も秋幸の正当防衛・無罪を願うのですが・・・秋幸には安心して寄港できる港=家族がなかったと言おうとした話だと思います。

和歌山と三重県境の片田舎の噂話のバカらしさや、成り上がりの手法等が話を盛り上げ、或いはそんな話が筋を折ったりも感じられるのですが、おそらく今から数えて40年ぐらい前の話であろう熊野地方の暮らしぶりがよく覗えます。

新宮の街をよくは知らない私ですが、国道42号線から熊野川沿いの道へと曲がる交差点や、国道を直進すると熊野川を渡る橋などは自分の脳裏を甦らせます。

三重県側に入って、鵜殿・井田・御浜というような地名が出てきて、その上に有馬という地名が出てきます。秋幸の実父=龍造が建てたという先祖浜村孫一の碑が実際に有るのやら無いのやら、その有馬の地に行って海よりの寺を散策してみたいと思ったりもします。

             

難点は字が細く小さいこと、近距離も遠距離も焦点の合わなくなった年老いた目には適いません。

それに、南紀地方の方言は理解できるつもりの私でも、これは何を言ってるんだろうと首を傾げたところがありました。TVでも南紀地方の方言は放映される機会などあまり無いのですから、これだけこの地方の方言を織り込んでしまうと、全国的に読んでもらうのは読者にとって労を要することだと思います。

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のぼうの城

2010-12-24 05:00:00 | 読書
天正10年といえば本能寺にて信長が光秀に謀殺された年、その頃秀吉は備中高松城を囲んで毛利家を水攻めで苦しめていました。

秀吉に「佐吉」と呼ばれていた石田光成は、その水攻めの壮絶さを目の当たりにして、自分もこのような戦をしてみたいと思うシーンから、このお話は始まります。

それから8年経った天正18年、秀吉は天下統一のため、最後に残った北条氏を討つべく、石田光成、大谷吉継等を引き連れ小田原城を目指していました。

小田原からは忍城に500の兵力を提出させ、北条への積年の恩顧に応えるよう使者がやってきます。500の兵は忍城の半数です。

タイトル『のぼうの城』は、主人公である成田長親の城という意味であり、では『のぼう』とは何かというと、頭に『でく』を付けると解るのですが、図体だけが大きくて、役に立たないところから付けられた綽名、城下の百姓たちからも「のぼう様」と呼ばれる始末、それでも百姓たちは「のぼう様」を軽蔑しているわけではなかったのです。

                  

長親は城主・成田氏長の従兄弟、田植えや稲刈り、麦踏など百姓の仕事を手伝うのが好きなのですが、その割りに下手で失敗ばかりするので「のぼう様」と呼ばれるようになったのです。

城主・氏長は500の兵と共に小田原城へ、援軍と見せかけて関白に寝返るので、(忍城が)関白軍に囲まれたら開城せよと言い残し、忍城を後にします。

秀吉から忍城を攻めるよう命令された光成と吉継は、20000の大軍勢で忍城を取り囲みます。忍城側は氏長に言われたように戦闘態勢を築き篭城の構えを見せますが、本心は開城です。戦闘態勢を取らないと北条側に疑いをかけられるから。

                  

ここに甲斐姫という男勝りの美人がいるのですが、この姫なかなかの正義感、成田家では加勢侍といって何かしらの特技を持った者を一代限りで召抱えていたことがあり、ある加勢侍が城下の百姓の嫁に手を出し、それを咎めるためにその者を切り捨てたという武勇伝もあるくらいです。その姫が「のぼう様」に惚れているという噂もあったのです。

大軍にて忍城を取り囲んだ三成は、長束正家という位を鼻にかけた男を軍使として、和・戦いずれかを問いにやらせます。関白に降ることを決めていた成田家でしたが、米粒のように小さな忍城を鼻くそぐらいにしか思ってない正家の侮辱的な態度に、内心断腸の思いで頭を下げる成田家の家臣たち、軍使の最後の要求は甲斐姫を殿下に差し出せというものでした。

家臣の苛立ちを他所に、上段に座った長親は澄ました顔で答えます。

「戦いまする。」家臣はおろか、軍使もびっくり、ストーリーは予想しなかった方へ進んでいきます。

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