「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2012・10・12

2012-10-12 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文の続きです。

「 忘れられないワイドショーの報道というか、のぞき見というか、うすっぺらなヒューマニズムと
 いうかがあった。
  ばあさんが、こわれかけた自分の家にしがみついて動かなかった。近所の人も福祉関係の人も
 施設に移る様に再三忠告したが、ばあさんは頑として動かない。ばあさんの家は崖っぷちに立っ
 ている。崖がどんどんけずられて家の半分は下が何にもないのである。空中にうかんでいるので
 ある。金が無いのか家の中の床板にはなんにもない明るい穴がたくさんあいている。
  そこら中腐っているのである。
  ある日ばあさんは腐った床板からころげ落ちて六十メートル下の川で、死んでいた。
  便所の床板が抜けたのである。
  ワイドショーはその家の遠景を映し、ぐーっと近づいて、つき出ている家半分と崖を映し、六十
 メートル下の川っぷちを映した。
  コメンテーターは作りものの深刻そうな表情で『何とも痛ましい事件です』。キャピキャピした
 女の厚化粧のアシスタントも『何とか福祉の問題を私達も真剣に考えなくてはいけないと思います』
 と全然本気じゃないヒューマニスト面で云い、私は胸クソが悪くなった。私はばあさんに心から感
 服した。立派じゃないか。肝っ玉がすわっているじゃないか。多分とんでもない強情なばばあだっ
 たのだろう。近所でも嫌われていたのかも知れない。時流に逆う人は迷惑なものだ。
 『楢山節考』のおりんばあさんは、共同体という小さい閉ざされた世間の了解があったから異端の
 人ではなかった。彼女は小さな世間の笑われ者にならないという、拠って立つべき掟に命をあずけ
 ることが、輝かしい自負であった。共同体そのものの存続の為に、貧しい共同体の智恵に従った。
  だから隣の死にたくないじいさんはみっともない恥ずかしい人なのだ。
  しかし、今、日本中が、いや世界中が一つの共同体に拡大した。
  日本中が、世界中が生命は地球より重いと合唱する。世間が世界中になったのだ。便所板をふみ
 外してころげ落ちたばあさんは世間を一人でふみ外したのだ。
  世間はそういう人が居ると居ごこちが悪い。
  厚化粧のワイドショーのアシスタントの女は『ご近所の人はもう少し何とか出来なかったのでし
 ょうか』と無責任なしたり顔をしたあと、すぐ『さて次は芸能トピックスです』と、誰だかの熱愛
 発覚に実にスムーズににっこりと移行して行った。
  あんたね、今、ご近所は無いんだよ。
  ご近所は少しでも他人から迷惑をかけられたくないんだよ。だから福祉にご迷惑を肩代わりして
 もらって、人と関係を持ちたくないんだよ。」

 (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)



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