「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

自分らしく死ぬ自由 2012・10・11

2012-10-11 06:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文です。

「 私は五十九で、もう何カ月かで、還暦である。(女に還暦があるのかどうか知らないが。)
 老いの問題となると私はとり乱すしか方法がない。平均寿命が延びて、あと二十年余も生き
 るかと思うと、呆然と立ちつくし、あたりをキョロキョロ見回し、何? 何? 私なんでこ
 んなところで、こんなことしているの? とリツ然とし、短くない六十年が、頭の中をぐる
 ぐるかけめぐる。もう充分生きた。これ以上も以下もない私の人生だった。命を惜しむこと
 など何もない。今すぐ死んだってどーってことない。昔は人生五十年だったのだ。しかし、
 私には八十四歳の呆けた母親がまだ生きているのだ。自分の老いを考えていい年齢であるの
 に、まだ片づかない呆けた母親、あと十年はあのままあの世とこの世の間でさまよっている
 様に生き続けそうな気がする。七十七で母が呆けた時、私はまず、親の片がつかないことに
 は、自分の老いの問題は、棚上げしようと考えた。物事は、順ぐりに順序というものがある
 とその時は考えた。その決心もぐらついて来た。
  私は新聞のどこを読まなくても死亡記事だけは目を通す。そして年齢だけをチェックする。
 九十過ぎはゴロゴロいる。五十代、六十代の人は病死であっても事故死の様にしか思われな
 い。(夭折と今では云うのだろうか。)
  ウーン九十か。
  新聞ばかりではない。私の友人の親はほとんどまだ生きている。
  九十過ぎも全然珍しくない。
  母が九十過ぎたら私も七十過ぎる。
  七十過ぎてどう老いの設計を立てるのだ。
  本当に事故にでも出合って昇天したくなる。
  長生きは本当にめでたいことなのか。
  豊かな老後など本当にあるのだろうか。」

  (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2012・10・10 | トップ | 2012・10・12 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事