「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

自分らしく死ぬ自由 2012・10・13

2012-10-13 07:00:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「自分らしく死ぬ自由」と題した小文の続きです。

 「 私も、呆けた母を捨てた。金をかき集めて自分の老後を棚上げにして金と共に母を捨てた、

  有料老人ホームに。

   それまでのなりゆきは五冊、六冊分のことばに換えても不充分だと自分は思うだろう。
  これは私だけではなくその様なところへ親を捨てた全ての家族が、ヘドロを腹の底にた
  め込む様にかかえていることだと思う。
   そして、私は、老人が集っているいわゆる福祉の現場にチャンスさえあれば、吸い寄せ
  られる様に行ってしまう。
   老人病院というものにも、ふらふらと吸い寄せられる。友人の親たちが、そこら中にち
  らばっているのだ。
   かっと見開いたうつろなまばたきしない目で天井を見ている、管だらけの、黄色い顔し
  ているおばあさん、その口は例外なく開きっぱなしの肛門の様にしわが中心に向って集
  っている。
   あるいは、車椅子にしばりつけられて、一日中立派なホールに集っている特別養護の老
  人達、誰とも話をしないでじっとしている。
   あるいは、陽がよくあたるガラス張りのきれいなホールで、円陣をつくって、童謡をう
  たっている身ぎれいな有料老人ホームの老人達。本当にうたなんかうたいたいのだろう
  か。
 
   九十過ぎて三カ月ずつ老人保健施設を、出たり入ったりして、顔役になっているやたら
  元気なおばあさん。二十も若いおばあさんの車椅子を押しながらでかい声で説教してい
  る。
 
   パンフレットを持って、宗教の勧誘に来る人達が一様に同じ表情をしている様に、どの
  老人達の集団も一種独特の表情をしている。私はそれを口で云い表わせない。
   あの人達は多分自分の親や姑の世話をしてあの世に送る事は当然のことと思っていた世
  代である。当然自分達の老後をその様に考えていただろう。家族制度も社会も倫理観も
  住宅事情も変わった。

   彼らはモデルのない老後を呆然と生きている様な気がする。

   ワイドショーの『何とも痛ましい事件』のばあさん。老人施設に行けば、便所の板をふみ
  抜いて六十メートルころげ落ちることはなかったかも知れない。でもあのばあさんは、死
  んでも自分の家を離れたくなかったのだ。
   命がけで、腐った家にしがみついたのだ。
   福祉をたった一人で拒否したのだ。
   私も出来ることなら、便所の板をふみ外してころげ落ちて死にたい。
   もしも私にそれだけの肝っ玉があればの事だけど、世間と世の中の流れにたった一人で
  立ち向かう度胸があればだけど。

   世の中は合唱する。自分らしく生き生きと生きましょう。なら、何で自分らしく死ぬ自由
  は無いのだろうか。
   一日でも長く生きることはそんなに尊いことなのだろうか。
   私は取り乱しているだけである。
   死ぬまで取り乱し続けるのだ、きっと。」

   (佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2012・10・12 | トップ | 2012・10・16 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事