「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2012・10・03

2012-10-03 07:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「役にたたない日々」から。

「二〇〇四年春

 ×月×日

 目が覚めたら、八時半だった。ベッドの中から足でカーテンをあけたら、とんでもなくいい天気
だった。天気がいいと気分が少しよいような気がしたかといって、飛び起きたいような気分でもな
い。おしっこがもれそうだったが、めんどくさかった。トイレまで行くなら、がまんした方がいい
なあと思ってぼーっとしていた。

 いやに重い本『日本人の老後』(グループなごん)を昨夜の続きから読んだ。どこを読んでも立派な
人達ばかりだった。すべての人が前向きに、くよくよしないと云っていた。」

「本当に立派である。天気がいいのに読んでいたら、落ちこんだ。どうして立派な人に私は落ちこむ
のだろう。落ちこむのにあきたから、がまんしていたおしっこをしに行った。もう止まらない、実に
長いおしっこが出る。たらたらたらたらいつまでも出る。もう終わったかなと思って、ちょっといき
むと又、たらりたらりと出て来る。たらたらでもおしっこが出ることはありがたいことだ。一度どれ
位の量が出るかはかってみたい。

 子供の頃は庭でしゃがんで小便をすると小便の勢いで地面に穴があいた。その穴に蟻がおぼれたり
すると本当に嬉しかったものだ。
 だから、私は蟻の巣めがけて小便することもあった。こっそり快感に酔っていたら、兄にみつかっ
て、『どけ』と云われて、おしりをずらすと、兄は半ズボンからチンチンを出して、私のみつけた蟻
の巣めがけて、高いところから、シャーッと小便をした。本当に口惜しかった。兄は十一歳で死んだ
から、かわいそう。もっと沢山蟻の巣みつけて、小便かけさせてやりたいと、六十五のバアさんの私
が、水洗便所に坐ったまま思っている。兄ちゃん栄養失調で死んだからかわいそう。

 私は北朝鮮やアフリカの飢えた子供を見ると兄ちゃんを思い出す。目がでかくてぎょろついていて、
ばかに歯が白く見える。目がでかく見えるのはやせて顔がちぢんでいるからだ。兄ちゃんがあれ程飢
えていたわけではないが、かわいそうに生まれつき目がすごくでかかったのだ。赤ん坊の兄ちゃんを
乳母車にのせると、人が集まって、『何て大きな目でしょう』と人々が云ったそうだ。その頃家はま
だ金持で、イギリス製の立派な乳母車にのっていたのに、生まれた時から、アフリカの飢えた子供と
同じ位でかい目玉を持っていたのだ。三歳位の私と五歳の兄ちゃんが並んでいる写真を見ると、その
でかい目がひどく利口そうに見える。十一歳で死ぬまでひどく利口そうな目に見えた。兄ちゃん、あ
んたのこと覚えているのは世界中で六十五の私だけなんだよ。たった一人だけなんだよ。私が死んだ
ら、兄ちゃんのこと思い出す人世界中誰も居なくなるんだよ。でもはげてしわくちゃの六十七の兄ち
ゃんなんか見られなくて、よかったかも知れない。

 兄ちゃん、あんた知らずに死んだけど、生きるのも結構大変なんだよ。死んじまいたい位大変なこ
と何度もあるけど、生きているうちは死ねんのよ。風邪ひいただけで死んじゃった兄ちゃんは、今な
ら死なないと思う。子供が内臓移植するのに、億という金をかけて、他人の内臓ととり替えようとし
ているのを見ると、私は、コロリと死んだ兄ちゃんを思い出す。子供の時から、人は死ぬ時死ぬんだ
なあと思っていたけど、このごろは死ぬ時も死なないのだと思うと、私は意見というものがなくなる。
でも同じ地上で、兄ちゃんと同じにコロリと死ぬ子供は沢山沢山いるんだ。

 トイレから出て来て起きることにした。」

 (佐野洋子著「役にたたない日々」朝日文庫 所収)


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