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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2012・10・07

2012-10-07 07:00:00 | Weblog


 今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「あれも嫌いこれも好き」から、
「三代先は猿」と題した小文の冒頭。

「 〇子様

  私の友達が結婚する時、相手方が『』というものをよこし、それは家系図だったそうで
 なかなかの家柄だったようです。私の友達は父親に『こんなもんが来たよ』と見せると父親は
 『うちは三代先は猿だったと書いておけ』と言ったそうで、それから四十年たちますが、猿の子
 孫もなかなかの家柄も仲良く家族やっているので、本当に日本は民主的国家となっています。」

(佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)



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あれも嫌いこれも好き 2012・10・06

2012-10-06 06:20:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、 佐野洋子さん (1938-2010)のエッセー「 あれも嫌いこれも好き 」から、「勝手にしぶとい」と題した小文の冒頭。

「紀元二〇〇〇年でなんだか大騒ぎでしたが、もっと昔から人は生きている。二〇〇〇年という時間が

実感としてとらえどころがありません。仕方ないのできんさんぎんさんの頭の上に二十人のっけてみま

した。なんだ大したことないか、ぎんさん二十人で、キリスト様のところまでとどくのか。

しかし、二十人でも永遠の長さのような気もします。」

(佐野洋子著「あれも嫌いこれも好き」朝日文庫 所収)



 
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2012・10・05

2012-10-05 07:00:00 | Weblog



今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「役にたたない日々」から。

「二〇〇四年夏

 ×月×日



 私は役所っぽいところに行くと必ず喧嘩ごしになる。いや役所の玄関から喧嘩ごしで入ってゆく
のである。いつか市役所に何かの証明書をとりに行ったら委任状がないと駄目だと云われた。
『委任状の紙ってどこかで売ってるんですか』『いや、別に何の紙でもいいです』『ハンコは実印
なんですか』『いや、三文判でいいです』『じゃ、私が、ここで書いてもいいんですか』『いや、
それは駄目です』『だったら見えないところで書けばいいんですか?』『そうです』

 何だこりゃ、私は腸(はらわた)が煮えくり返るのである。『じゃあね、私今から、あの柱のかげで
書くからね』『けっこうです』。けっこうですだって?私は柱のかげで委任状を書き、ハンコを押し
た。
『はい、委任状』『はい、けっこうです』
 これで、いいじゃん、とにかくくれるんだから、でも云うの私。

『筆跡鑑定とかするの?』『いいえ』『じゃあ、他の人が私と同じ事してもいいんだ。証明書くれる
んだ』『……規則ですから』『委任状なんて、あってもなくても同じじゃん』『規則ですから』

 役所は混んでいるんだ、窓口でいちゃもんをつけてる人は、他の人に迷惑である。しかし、私は止
めようとしてもだまっていられない。役所を出て来る時は、自己嫌悪の固まりでズーンと落ち込んで
いた。ああ、調布市役所の玄関が目に浮かぶ。

 しかし、私は、自分なりの原則はあるのである。『上の人に代わってよ』と云うことは絶対にしな
い。彼らには、妻も子もあるのである。私だって、そこまではしない。えらいじゃん、私。えらかな
いよ、別に。

 水道局の職員は、『やっちゃいられないよ、更年期のヒステリーババア』と私の悪口を云っている
だろう。悪いね、更年期なんかとっくに過ぎた。老人は攻撃的で機嫌が悪いのだ。」

 (佐野洋子著「役にたたない日々」朝日文庫 所収)





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2012・10・04

2012-10-04 07:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「役にたたない日々」から。

「ニ〇〇五年春

×月×日



 一年前乳ガンの手術をした。ガンと聞くと私の周りの人達は青ざめて目をパチパチする程優しくなった。
私は何でもなかった。三人に一人はガンで死ぬのだ。あんたらも時間の問題なのよ、私はガンより神経症の
方が何万倍もつらかった。何万倍も周りの人間は冷たかった。私の周りから人が散っていった。

 人を散らす様な私になっているのだ。やがて私は死にたくもない死ねない廃人になって生きながらえるの
か、心底ガンの人が羨ましかった。そんな事を口に出したらわずかに残った心優しい友人達も飛びはねてど
っかに行ってしまうだろう。私の神経症は一生治らない。今でも治らない。

 ガンはおまけの様なものだ。

 でもね、ガンを手術したお医者さん、いくら私がバアさんでも余った肉をギャザー寄せて、脇の下にまと
めて欲しくなかったのよ、この年で風呂以外で裸になることはないのだから形はどうでもいいからまとまっ
てギャザ―寄せ肉の固まりを脇に作らないで欲しかったのよ。一年たっても治んなくてすれて腕もギャザー
も痛いのよ。若い美人だったらお医者さんちったあ、いや入念に腕をふるったでしょうが、正直に云いな。
私にはギャザーもおまけってわけになってしまった。」

 (佐野洋子著「役にたたない日々」朝日文庫所収)




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2012・10・03

2012-10-03 07:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「役にたたない日々」から。

「二〇〇四年春

 ×月×日

 目が覚めたら、八時半だった。ベッドの中から足でカーテンをあけたら、とんでもなくいい天気
だった。天気がいいと気分が少しよいような気がしたかといって、飛び起きたいような気分でもな
い。おしっこがもれそうだったが、めんどくさかった。トイレまで行くなら、がまんした方がいい
なあと思ってぼーっとしていた。

 いやに重い本『日本人の老後』(グループなごん)を昨夜の続きから読んだ。どこを読んでも立派な
人達ばかりだった。すべての人が前向きに、くよくよしないと云っていた。」

「本当に立派である。天気がいいのに読んでいたら、落ちこんだ。どうして立派な人に私は落ちこむ
のだろう。落ちこむのにあきたから、がまんしていたおしっこをしに行った。もう止まらない、実に
長いおしっこが出る。たらたらたらたらいつまでも出る。もう終わったかなと思って、ちょっといき
むと又、たらりたらりと出て来る。たらたらでもおしっこが出ることはありがたいことだ。一度どれ
位の量が出るかはかってみたい。

 子供の頃は庭でしゃがんで小便をすると小便の勢いで地面に穴があいた。その穴に蟻がおぼれたり
すると本当に嬉しかったものだ。
 だから、私は蟻の巣めがけて小便することもあった。こっそり快感に酔っていたら、兄にみつかっ
て、『どけ』と云われて、おしりをずらすと、兄は半ズボンからチンチンを出して、私のみつけた蟻
の巣めがけて、高いところから、シャーッと小便をした。本当に口惜しかった。兄は十一歳で死んだ
から、かわいそう。もっと沢山蟻の巣みつけて、小便かけさせてやりたいと、六十五のバアさんの私
が、水洗便所に坐ったまま思っている。兄ちゃん栄養失調で死んだからかわいそう。

 私は北朝鮮やアフリカの飢えた子供を見ると兄ちゃんを思い出す。目がでかくてぎょろついていて、
ばかに歯が白く見える。目がでかく見えるのはやせて顔がちぢんでいるからだ。兄ちゃんがあれ程飢
えていたわけではないが、かわいそうに生まれつき目がすごくでかかったのだ。赤ん坊の兄ちゃんを
乳母車にのせると、人が集まって、『何て大きな目でしょう』と人々が云ったそうだ。その頃家はま
だ金持で、イギリス製の立派な乳母車にのっていたのに、生まれた時から、アフリカの飢えた子供と
同じ位でかい目玉を持っていたのだ。三歳位の私と五歳の兄ちゃんが並んでいる写真を見ると、その
でかい目がひどく利口そうに見える。十一歳で死ぬまでひどく利口そうな目に見えた。兄ちゃん、あ
んたのこと覚えているのは世界中で六十五の私だけなんだよ。たった一人だけなんだよ。私が死んだ
ら、兄ちゃんのこと思い出す人世界中誰も居なくなるんだよ。でもはげてしわくちゃの六十七の兄ち
ゃんなんか見られなくて、よかったかも知れない。

 兄ちゃん、あんた知らずに死んだけど、生きるのも結構大変なんだよ。死んじまいたい位大変なこ
と何度もあるけど、生きているうちは死ねんのよ。風邪ひいただけで死んじゃった兄ちゃんは、今な
ら死なないと思う。子供が内臓移植するのに、億という金をかけて、他人の内臓ととり替えようとし
ているのを見ると、私は、コロリと死んだ兄ちゃんを思い出す。子供の時から、人は死ぬ時死ぬんだ
なあと思っていたけど、このごろは死ぬ時も死なないのだと思うと、私は意見というものがなくなる。
でも同じ地上で、兄ちゃんと同じにコロリと死ぬ子供は沢山沢山いるんだ。

 トイレから出て来て起きることにした。」

 (佐野洋子著「役にたたない日々」朝日文庫 所収)


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2012・10・02

2012-10-02 07:00:00 | Weblog



今日の「お気に入り」。


 「人間は生まれながらにして障害者である。たまたま現在健全であるに過ぎない。」


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役にたたない日々 2012・10・01

2012-10-01 07:00:00 | Weblog




今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「役にたたない日々」から。

「骨に再発した時転移と思わなくて、ガードレールをまたいだ時ポキッとしたから、整形外科で
レントゲンをとったら、オッパイを切った医者が顔色をかえた。

 ガン研を紹介してくれた。ガン研は今の病院を紹介してくれた。

 私はラッキーだった。担当医がいい男だったからだ。阿部寛の膝から下をちょん切った様な、
それに医者じゃないみたいにいばらない。いつも笑顔で、私週一度が楽しみになった。七十ババ
アでもいい男が好きで何が悪い。

 初めての診察の時、『あと何年もちますか』『ホスピスを入れて二年位かな』『いくらかかり
ますか死ぬまで』『一千万』『わかりました。抗ガン剤はやめて下さい。延命もやめて下さい。
なるべく普通の生活が出来るようにして下さい』『わかりました』(それから一年はたった)

 ラッキー、私は自由業で年金がないから九十まで生きたらどうしようとセコセコ貯金をしてい
た。

 私はその帰りにうちの近所のジャガーの代理店に行って、そこにあったイングリッシュグリーン
の車を指さして『それ下さい』と云った。私は国粋主義者だから今まで絶対に外車に意地でも乗ら
なかった。
 来たジャガーに乗った瞬間『あー私はこういう男を一生さがして間に合わなかったのだ』と感じ
た。シートがしっかりと私を守りますと云っている。そして余分なサービスは何もない、でも心か
ら信頼が自然にわき上がって来た。最後に乗る車がジャガーかよ、運がいいよナア。

 そしたらやきもちをやいた友達が、『佐野さんにはジャガーが似合わない』と云ってたそうだ。
何でだ、私が水呑百姓の子孫だからか。口惜しかったらお前も買え、早死すれば買えるんだ。私は
七十で死ぬのが理想だった。神は居る。私はきっといい子だったのだ。

 買って一週間たったらジャガーはボコボコになっていた。私は車庫入れが下手でうちの車庫は狭
いのだ。ボコボコのジャガーにのっていて、その上毎日カラスがボンネットの上にふんをする。

 私は今、何の義務もない。子供は育ち上がり、母も二年前に死んだ。どうしてもやりたい仕事が
あって死にきれないと思う程、私は仕事が好きではない。二年と云われたら十数年私を苦しめたウ
ツ病がほとんど消えた。人間は神秘だ。

 人生が急に充実して来た。毎日がとても楽しくて仕方ない。死ぬとわかるのは、自由の獲得と同
じだと思う。」

 (佐野洋子著「役にたたない日々」朝日文庫 所収)


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