「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・12・17

2005-12-17 07:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「今は職業に貴賎がないことになっているが、誰も信じてない。ホステスやボーイという職業はやっぱり賤しいのである。それはチップで衣食するからで、チップで暮せば多くくれる客に媚び、少くくれる客をあなどる風が生じるのは人情で、これは私がボーイになってもきっとそうなるだろうから私は戯れに人生ボーイになる勿れと言うのである。
 ご存じの通り戦後はチップというものはなくなった。戦後の一流バーの客はすべて社用族で、社用ならチップの出どこがない。やむなく店は請求書に含めるようになった。その請求書をマダムに頼んで水増しさせ、そのぶん自分の懐ろにいれる客があるという。ホステスもボーイもそれを知っているから、この男を客と思うわけにはいかない。けれどもこれ以外の客がないならやっぱり客なのである。客に対してボーイが能面のような顔になるのは故なしとしないのである。
 要するに彼らは客でもなくボーイでもなく、一つ穴のむじななのである。いま銀座のバーで札びらを切る客がいたら、それは何らかの意味で『お尋ね者』である。その金はうさん臭い金である。それを最も知るのはホステスでありボーイでありバーテンである。いつぞや『蜂のひと刺し』で名をあげた榎本某女の情夫は札びらを切ったという。そのときボーイたちは初めから彼を怪しんでいた。そのうろんなこと客ではない自分たちの仲間だと見破っていた。怪しい者には怪しい者が分るのである。
 ついでながらパリのカフェーのギャルソンは立派だ、紳士だと尊敬せんばかりのことを書く者があるがバカも休み休み言え。フランス崇拝のついでにギャルソンまで崇拝したのだろうが、腹が出てかっぷくがよくて、莞爾としているからといって紳士だとは聞こえぬ話だ。チップで衣食するものの根性なら洋の東西を問わぬ、紳士なんぞでないこと言うまでもない。」

  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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