「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

月日の残像 Long Good-bye 2023・09・11

2023-09-11 06:41:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は、山田太一さんの「 月日の残像 」から 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

  「 映画は 、つくる時だけ人が集まり 、終れば散って行く 。

     それはそうだが 、つくっている時の一時的共同体気分は

     時にかなり強いものがあるし 、業界にいて歳月を重ねれ

   ば 、一緒につくる仲間もできて来る 。 」

  「 ひとりの 、たぶん三十代後半の男を思い出す 。ある映

    画で助監督が足りなくなるということがあった 。そんなに

    大作という記憶はないのだが 、チーフ助監督が別班を

    つくって 、役者の演技をさほど必要としないロケーション・

    シーンを撮りに行き 、もう一人の助監督が体をこわして

    入院してしまったというようなことだったと思うのだが 、

    四人編成が二人になってしまった 。通常ならあいている助

    監督を応援に頼めばすむのだが 、どういう訳か撮影所の人

   ではないその人がやって来た 。ヴェテランということだっ

   た 。事実 、よく働く人だった 。

     ところが撮影所のスタッフの評判は良くなかった 。声や

   身振りが大きく  、目立つのである 。そのつもりはなかっ

   たかもしれないが 、自分はいまここにいて 、こういうこと

    をしているというアピールが頻繁になされすぎるように 、

    私にも感じられた 。

     椅子に掛けた監督がその人に小声でなにか指示をする 。そ

   れを臣下の侍のように片膝ついて『 ハイ 、ハイ 』とうなず

   き 、終りは 『 ハイッ 』 と大きめの声をあげて 、 その用事を

   果すべくすっとんで行く 。

    『 やだね 、万事おつくりで 』 とカメラマンが 小声で側の

    撮影助手に憫笑するのを聞いた 。

     私は自分がいつの間にか撮影所の内部の人間になっている

   ことを感じた 。撮影所の空気がなにをどう感じるかを承知

   していて 、それに教育されてもいて 、馴れて無理せずに

   振舞っている 。今更私がおつくりをしようにも 、どの程度

   の仕事ができるかできないか 、どういう人間かはとうに周

   囲に見ぬかれているから飾りようもない 。その安息を感じた 。

     もし自分がその人のように 、突然外から 『 ヴェテラン

    の助監督 』 としてほうり込まれたら 、きっと私も自分

    の能力をアピールするだろう 、働きを周囲に念押しし

    たくなるだろう 、品よく控えめにしていたら 、自分の働

    きを周囲は気づかないかもしれないのだから 。

     飛躍するようだが 、アメリカの自己主張の文化にも 、

    似たような 『 せつなさ 』 があるのではないだろうか 。

   よくも悪くも歳月をかけて根付いた共同体を信じられず

    頼れず 、ただもう一人で血も涙もないグローバルシステ

   ムの前に 、裸で立たなくてはならないとなれば 、粋だ

    とかシャイだとか謙譲なんていっていられない 。 」

  「 なんであれ人間の営みは 、どうしても 『 陰の存在 』

   を生むし 、必要ともしてしまう 。それを当然のこととして

   生きるのでは満たされず 、誰しもが光を浴びずにはいら

   れなくなるような孤独が 、今はいうまでもなく日本にも

    ひろがっている 。 」

  「 小道具係 。役者たちの帽子やバッグ 、傘から風呂

   敷包みや本や下駄や靴を管理し 、セットを飾るあらゆ

     る小道具も担当の範疇で 、食事のシーンがあれば飯

     を炊き 、献立を用意し 、犬猫が出ればその手配も世

    話もする 。どこまでも具体性から逃げられないその人た

   ちが私は好きだった 。

    ケーキを食べるシーンがあるとNGが出てもいいように

   いくらか余分に買ってあり 、余ると食べに来ないかと

   誘われたりした 。ある日 、先輩の助監督にたしなめ

   られた 。

   『 君はいまに監督になるのだろう 。彼らと親しみすぎ

   てはいけない 。命令する立場になるのだ 。いまのまま

   だと 、彼らは君を軽く見るだろう 』

    しかし 、私は助監督室の映画論に加わるより 、小

   道具さんといる方が楽しかった 。たぶん下町にうまれ

   て 、親族に大学出もサラリーマンも一人もいない育ち

   のせいだろう 。その結果 、軽く見られたかどうかは 、

   監督にならなかったので分らない 。 」

  「 『 陰の存在 』 もしゃべれば 、いくらでもしゃべること

    はあるのだった 。

     だったら話せ 、書けというのがいまの風潮だが 、

    のうまさと仕事での腕のよさは 、必ずしも一致しない

    映画のスタッフの書いた本を読むと 、時折それを感

    じる 。 」

   ( 山田太一著 「 月日の残像 」新潮文庫 所収  )

   引用おわり 。

   

 

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