今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から
「 海柘榴市 ( つばいち ) 」の一節 。
備忘の為 、 抜き書き 。
引用はじめ 。
「 記録のない古代を詮索するのは 、実証性という レフェリーやリングを
もたないボクシングのようなもので 、殴り得 、しゃべり得 、書き得と
いう灰神楽の立つような華やかさがあるものの 、見物席にはなんのこと
やらわかりにくい 。
ただ 、論者の人 ( にん ) をみて 、
『 あの人だから 、言うことに間違いがよりすくないだろう 。ときに奇
矯の説を唱えるにしても 、真実があるにちがいない 』
という判定法は見物席に権利としてある 。」
( ´_ゝ`)
「 ミワ 、というのはなんでしょう 」
「 私には 、むろんわからない 。
言葉の意味はわからないが 、ミワという地理的な物 ( ぶつ ) について
は 、多少いえる 。
三輪山は面積ざっと百万坪 、倭青垣山 ( やまとあおがきやま ) という
その別名でもわかるように 、大和盆地におけるもっとも美しい独立丘陵
である 。神岳 ( かみやま ) という別称もある 。秀麗で霊気を感ずる独立
丘陵を古代人は 神南備山 ( かんなびやま ) ととなえて山そのものを神体と
してまつったが 、神南備山である三輪山は 、日本におけるその古代信仰世
界の首座を占める 。伊勢神宮の形式など 、はるかにあたらしい 。
『 日本最古の神社 』
とよくいわれるが 、その程度の言い方でもなおこの三輪信仰の霊威の古格
さを言いあらわしがたいであろう 。
なにしろ 、むかしむかしのその昔で 、いつごろからこの丘陵への信仰が
はじまったのかは 、測るすべもないが 、しかしどういう民族が祭祀してい
たかについては 、ほぼ想像がつく 。いわゆる出雲族である 。
すると 、出雲族 とはどういうグループかとなれば 、もう霧のむこうの人
影を見るようで 、わかりにくい 。大和土着の種族であることはたしかで
ある 。イヅモとは 、『 倭名類聚鈔 ( わみょうるいじゅしょう ) 』で以豆毛
と発音し 、古代発音では おそらく ingdmo と発音していたかとおもわれる 。
『 出雲国 』
というのは 、明治以前の分国で 、いまの島根県出雲地方をさす地理的名称
だが 、しかし古代にあっては イヅモ とは単に地理的名称のみであったかどう
かは疑わしい 。種族名でもあったにちがいない 。さらに古代出雲族の活躍
の中心が 、いまの島根県でなくむしろ 大和 であったということも大方の賛同
を得るであろう 。その大和盆地の政教上の中心が 、三輪山 である 。出雲族
の首都といっていい 。三輪山は 、神の名としては 、
『 大物主命 ( おおものぬしのみこと ) 』
という 。人格神ではない 。大物主とは 、国土のもちぬしという意味だろう
が 、この神とこの系統の神々については『 記紀 』などの神話には人格に
記述されているが 、それは記述法であるにすぎまい 。要するに 、
『 ミワ 』
という種族は 、大物主神を種族における最大の神として仰ぎ 、三輪山のま
わりに住み 、ふもとの 海柘榴市 で市 ( いち ) をいとなんでいた イヅモ で
あることは 、異論がすくないであろう 。
大和の イヅモ にはもう一派いる 。
『 カモ 』
という 。のちに鴨 、加茂 、加毛 、蒲生などと書き 、地名になってしまう
が 、もともと種族名であったということは 、あらためていうまでもない 。
カモ族 というこの古代の大族は 大和の西部にあたる葛城山麓に住んでいて 、
こんにちでもかれらが祭っていた神々 ―― 高鴨阿治須岐高彦根命 ( たかかも
あじすきたかひこねのみこと ) 神社や鴨都味波八重事代主命 ( かもつみわやえ
ことしろぬしのみこと ) 神社といった長ったらしい名の神社 ―― が 、山麓の
森や林のなかに遺っている 。ほとんど『 鴨 』ということばがつく 。
カモ族の主たる神は 、事代主命である 。
古代のある時期の大和盆地には 、カモ・グループとミワ・グループが併存して
いたことは 、たしかである 。この二つの イヅモ の言語が 、こんにちの日本語
にいたるこの国のことばの主調をなすものであろう 。そこへ出現するのが 、崇
神王朝であったであろう 。後世 、天皇家系の 第十代目 に組み入れられたこの人
が 、征服者として三輪山の地に出現したことは 、まぎれもない 。ミワ族とは
まったく別系統の人物であることは 、『 日本書紀 』のなかの噺 ( はなし ) を
みても想像できる 。」
引用おわり 。
つづく 。
( ついでながらの
筆者註 :「 海柘榴市( つばいち )とは 、かつて大和国にあった古代の市 。
平安時代以降は宿場となった 。海石榴市・椿市・都波岐市の
表記もあり 、読みも 『 つばきいち 』 から 『 つばいいち 』
を経て『 つばいち 』 に転訛した 。現在の 桜井市金屋あたり
に比定されるが 、所在地が移動した とする説もある 。 」
以上ウィキ情報 。)