「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

淡海の海 Long Good-bye 2023・09・17

2023-09-17 05:47:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 楽浪 ( さざなみ ) の志賀 」の一節 。

  備忘の為 、抜き書き 。いつ読んでもほっこり落ち着く語り口 。

   引用はじめ 。

  「 『 近江 』

   というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう 、私には

   詩がはじまっているほど 、この国が好きである 。京や大和が

   モダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつ

   あるいま 、近江の国はなお 、雨の日は雨のふるさとであり 、粉雪

   の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう 、においを

   のこしている 。

   『 近江からはじめましょう 』

   というと 、編集部のH氏は微笑した 。お好きなように 、という

   合図らしい 。 」

 

  「 はるかな上代 、大和盆地に権力が成立したころ 、その大和権力の

   視力は関東の霞ケ浦までは見えなかったのか 、東国といえば岐阜県

   からせいぜい静岡県ぐらいまでの範囲であった 。岐阜県は 、美濃と

   いう 。ひろびろとした野が大和からみた印象だったのであろう 。

    さらには静岡県の半分は駿河で 、西半分は遠江 ( とおとうみ ) と

   いう 。浜名湖のしろじろとした水が大和人にとって印象を代表する

   ものだったにちがいない 。遠江は 、遠 ( とお ) つ淡海 ( あわうみ )

   のチヂメ言葉である

    それに対して 、近くにも淡海がある 。近つ淡海という言葉をちぢ

   めて 、この滋賀県は近江の国といわれるようになった 。国のまん

   なかは満々たる琵琶湖の水である 。もっとも遠江はいまの静岡県で

   はなく 、もっとも大和にちかい 、つまり琵琶湖の北の余呉湖 ( よ

   ごのうみ ) やら賤ケ岳 ( しずがたけ ) のあたりを指した時代もある

   らしい 。大和人の活動範囲がそれほど狭かったころのことで 、私は

   不幸にして自動車の走る時代にうまれた 。が 、気分だけはことさら

   にそのころの大和人の距離感覚を心象のなかに押しこんで 、湖西の

   道を歩いてみたい

    ちなみに湖東は平野で 、日本のほうぼうからの人車が走っている 。

   新幹線も名神高速道路も走っていて 、通過地帯とはいえ 、その輻輳

   ( ふくそう ) ぶりは日本列島の朱雀 ( すざく ) 大路のような体 ( て

   い ) を呈しているが 、しかし湖西はこれがおなじ近江かとおもうほ

   どに人煙が稀れである

   『 湖西はさびしおすえ

    と 、去年 、京都の寺で拝観料をとっている婦人がいった 。その

   あたりに彼女の故郷の村があるらしく 、あれはもう北国どす 、と

   言い 、何か悲しい情景を思い出したらしく 、せわしくまぶたを

   上下させた 。『 そこへゆくと 、京はにぎやかで 』 といって 、

   私から百円の料金をとりあげた 。 

 

  「 たれか道連れがほしいと思い 、この県の民俗調査をやっている菅沼

   晃次郎氏と大津で落ち合った 。私より四つほど若く 、車内で同席す

   るなり 、

   『 速記から民俗学に入りましてん 』

   と 、そんなぐあいに自己紹介された 。大阪うまれで 、いかにも大

   阪人らしい率直な物の言い方であった 。怪態 ( けったい ) なはなし

   で 、と菅沼氏はいう 。昭和二十四年ごろでしたやろか 、ええ暑い

   ころです 。大阪城のそばの馬場町の営林局の宿舎で柳田國男先生と

   折口信夫先生の民俗学の講演会がありまして 、といわれる 。

   なるほど豪華な講演会である 。日本の民俗学の二人の創始者が二人

   とも顔をならべての講演会だというのだが 、当時の大阪はまだ戦災

   から復興しきっておらず 、その講演会場が営林局宿舎の二階だった

   というのがおもしろい 。聴衆は三 、四十人だったという 。そのとき

   速記をたのまれたのがこの世界に入るきっかけでした 、と菅沼氏はい

   うのである 。 」

  「 上方の話し言葉は語尾が『 て 』でつづいてゆく 。私はラジオ屋の

   子でして 、工業学校を出まして 、それがもう一つ何ちゅうか 、面

   白う無うて 、なにか面白いことがないかと思いまして 、それで速記

   をならいまして 、習った早々に柳田・折口先生の速記をするという

   ハメになりまして 、こっちのほうがおもしろいやないかと思いまし

   て 、それでその講演会の幹事をしておられた鳥越憲三郎先生がほな

   らおまえ民俗学やれといわれまして 、それでいろいろやりまして 。

   ・・・・・・

   『 それでは 、近江はあんまり 』

   『 へい 、あまり縁が 。八年前でした 、来ましたのは 。これだけの

   風土をもちながら県に民俗学会というのがない 、ということでお前

   行ってやってみいとひとに言われてやってきまして 、それで滋賀県

   民俗学会というのをつくりましたけれど 、県が経済的な面倒をみて

   くれませんので 、火の車ですわ 』

   と 、愉快そうに笑った 。 」

   引用おわり 。

   上方の話し言葉がなつかしく 、おもしろい 。

   後段はテープ起こしして 、書かれているにちがいない  。

 

   もう一つ「 お気に入り 」。

  「 淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ 」

                       ( 柿本人麻呂 ) 

  ( ついでながらの

    筆者註 :万葉集にある和歌の代表みたいな歌 。

       原文は 、「 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念 」とか 。

       淡海(あふみ)の海 ( うみ )  夕波千鳥(ゆふなみちどり )

       汝 ( な )が鳴 ( な ) けば 情(こころ)もしのに 古(いにしへ)

       思 ( おも ) ほゆ

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする