「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

額田王 Long Good-bye 2023・09・09

2023-09-09 05:30:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、歴史作家 関裕二さんの著作

  「 古代史の正体 」から 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

  「 天智7年( 668 ) 夏5月5日 、天智天皇は 、

     大海人皇子( のちの天武天皇 )や諸王 、内臣( 中

     臣鎌足 )、群臣らとともに 、蒲生野( 滋賀県東近江市 、

     蒲生郡日野町の周辺 )に薬猟( 不老長寿の薬になる

    鹿の新しい角を取り 、薬草を摘む儀式的な行楽 )を行っ

   ていた 。この猟の後の宴で 、歌が披露された 。その時の 、

   額田王の 『 天皇 、蒲生野に遊狩したまう時 、額田王の

   作る歌 』 が 、次の一首だ 。

 

    あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

 

   ( 大意 )紫野を行き 、標野を行って 、野守に見られて

   いないでしょうか 、あなたが手を振っているのを ・・・ 。

 

   『 野守に見られていますよ 』 と 、はにかむ額田王を連想

  してしまう 。手を振るしぐさは愛情表現なのだが 、古代人

  にとってはさらに大きな意味があって 、魂を招き寄せる行

  為だった 。一見して朗らかな歌なのだが 、これには 、裏が

  ある 。というのも 、このとき額田王は 、大海人皇子のもと

  を離れて 、天智天皇に嫁いでいたからだ 。『 元夫 』が野

  原で手を振ってきた  ( 魂込めて愛情表現してきた ) ことを 、

  みながいる宴席で 、暴露してしまったわけである 。もちろん 、

  今の亭主も 、目の前にいたにもかかわらず 、『 野守に見ら

  れてスキャンダルになっちゃいますよ 』と 、その状況を告白し

  てしまったのだ 。これに 、大海人皇子はどう応えたのだろう 。

 

   紫草 ( むらさき ) のにほへる妹 ( いも ) を憎くあらば人

  妻ゆゑにわれ恋ひめやも

 

  ( 大意 ) ムラサキ草のように照り映えるあなたを 、もし憎い

  いと思っていたら 、人妻と知りながら 、どうして恋をしまし

  ょうか ・・・ 。

 

   微妙な歌だが 、天智天皇だけでなく 、一堂に会してい

  た群臣たちも 、歌を反芻したにちがいない 。『 憎いと思

  っているなら? 』『 何で恋をするでしょう? 』ということは 、

  『 憎くない? 』『 だから 、手を振った? 』『 要は 、好き

  なんだ ~ !!  』 。」

 

 「 民俗学者の折口信夫はこれを 、『 戯れ言 』とみなし 、

   この解釈が通説となっている 。たしかにそう考えなければ 、

   その場は凍てついていたはずだ 。

   ( 中 略 )

   政略結婚で天智天皇と額田王は結ばれたが 、大海人

  皇子と額田王が 、いまだに愛し合っていたとなれば 、天

  智天皇のメンツは丸つぶれになる 。だから和やかな雰囲

  気の中で 、大海人皇子も額田王もケラケラ笑いながら

  この歌を交わし戯れ事にしたと考えたのだろう 。

   しかし 、本当にそうなのだろうか 。額田王は 、腸 ( はら

  わた ) が煮えくりかえっていたのではなかったか 。彼女は

  近江遷都の際にも 『 なんで三輪山から離れなければな

  らないのだ 』 と 、天智の政策を批判する歌を作っている 。

  好きでもない ( 憎んでいた可能性もある ) 人のもとに嫁

  ぎ我慢していたのに 、大海人皇子はのんきに手を振って

  くる 。それならばと 、猟のあとの宴席で二人の権力者に

  一泡吹かせたのではなかったか 。男の度量を試したので

  ある 。

   額田王が歌った瞬間 、緊張が走り 、群臣たちはポー

  カーフェースを決めこんだろう 。天智は顔をこわばらせ 、

  大海人皇子も青ざめ 、たじたじだったにちがいない 。

   天智と大海人皇子は 、反蘇我派と親蘇我派に分

  かれて 、骨肉の争いを演じてきた仇敵である 。天智

  天皇は親蘇我派を懐柔しなければ 、政権を運営で

  きなかった 。だから 、やむなく大海人皇子に娘を大勢

  差し出し 、その見返りに 、額田王ひとりをもらい受けた 。

  屈辱の交渉を経て 、今 、ここにある 。いわば額田王は 、

  娘数人と対等の人質だ 。その額田王が 、『 大海人

  皇子とまだ恋愛中 』 と 、歌にしてみなの前で発表した

  のである 。最も権威ある地位に立っている天智が 、コケ

  にされたのだ 。殺意を抱いたとしても不思議ではない 。

    そして 、大海人皇子が必死の思いで返した歌に 、天

  智は顔を赤らめ怒り心頭に発し 、群臣はさらに緊張し 、

  額田王はほくそ笑んだ  ・・・ 。そんな情景が伝わってく

  る 。

   ならばなぜ 、天智天皇は大海人皇子を殺さなかった

  のか 。そしてなぜ 、大海人皇子は 、額田王の問いか

  けに 、『 憎いわけがないだろ 』 と 、殺されても文句が

  言えない歌を返したのだろう 。

    答えははっきりとわかる 。すでに述べてきたように 、天

  智朝で重用されていたのは 、蘇我系豪族たちだった 。

   彼らが集っている宴の場で 、天智は迂闊に手を出せ

  なかったのだろう 。それを知った上で 、額田王と大海

  人皇子は 、歌をやりとりし 、心の中で舌を出したので

  はないか 。

    痛快な事件と言っていい 。これほど胸のすく愉快な

  事件が起きていたことを 、『 万葉集 』 は伝えたかった

  のだろう 。女性の度胸に 、頭が下がる 。 」

   ( 関裕二著 「 古代史の正体 」新潮社 刊 所収 )」

  引用おわり 。

  異論もあろうが 、面白い 。いつの時代も ・・・  。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする