「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・11・17

2007-11-17 08:35:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「メカニズムは人類の発明で、我々の抽象の才を示したものである。走るという機能だけを、自然界から抽(ぬ)きだして、それだけで構成したのが、自動車のたぐいである。
 そしてメカニズムの欠点は、一つことしか出来ないところにある。たとえば鳥なら、飛びもするが歌いもする。ところが、飛行機なら飛ぶばかり、蓄音器なら歌うばかりで、聞く耳は持たない。
 だから、おもちゃは無限に生まれる。走るもの、さらによく走るもの、さらに――と際限がない。バタのついたパンが、とび出してくるトースターが発明されれば、旧式のパン焼とは別に、も一つこれも買わなければならぬという寸法である。
 私は自動車を認めていない。近ごろこれを珍重して、ほしがって、よだれをたらさんばかりの老若(ろうにゃく)があるのを苦々しく思っている。
 自動車の便利は、何より歩くより早いということだという。けれども私は、この世に走る用事はない、この世は走るに値しないと、まじめに信じている。
 万一あっても、それはメカニズムの助けをかりてはならない、と思っている。
 自動車の持主が、世界に一人しか居なければ、つまり車が独占できるのなら、それは人より早かろう。その利は歩く人のなん倍だか分らない。
 けれども、いくら秘密にしたところで、人はメカニズムを独占できない。人知のレベルは同一だから、原水爆は独占できない。アメリカが持てば、ソ連も持つ。中共もそのうち持つだろう。
 自動車なら、アメリカ人はすでに、一人一台持つという。あんなにほしがっているのだもの、日本人も持つだろう。皆さん自動車の持主になれば、生活のテンポ(足並)は自動車並みになってしまう。
 一人早くなるのではなく、日本中早くなるのだから、それなら、歩いた昔と同じである。よけいなものをこしらえて、よけいな金を遣って、免許だ、車庫だ、駐車場だと目の色かえて、歩いた昔と同じでは、損であろう。
 自動車を持つ者は、持たない者をあなどるようだ。電気のつく時代は、つかない時代を憐れむようだ。電気は行燈(あんどん)の十倍明るいという。それなら現代人は古人より十倍幸せか。
 古い譬(たと)えでは分るまい。つい十年前まで、テレビはなかった。テレビがないころ、我々は不幸だったか。その生活の内容は貧弱だったか。
 痛くも痒くもなかったじゃないか。」

   (山本夏彦著「日常茶飯事」新潮文庫 所収)
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