「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・11・13

2007-11-13 08:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私が兆民・中江篤介(とくすけ)を知ったのは、幸徳秋水の紹介による。秋水は斎藤緑雨の、緑雨は内田魯庵(ろあん)の、魯庵は二葉亭四迷の紹介で知った。
 いずれも故人である。私が知ったとき、すでにこの世の人ではなかった。すなわち、私は死んだ人の紹介で、死んだ人を知ったのである。
 秋水は『大逆事件』に連座して、明治四十四年に処刑された、初期の社会主義者の領袖のひとりである。兆民はその師で、秋水の獄死に先だつこと十年、明治三十四年、喉頭ガンで死んでいる。貴君の命はあと一年半と、医師に見放されたから『一年有半』を書いた。正続二冊ある。一年半たっても死なないので、大急ぎで『続一年有半』を書いた。」

 「大正に生まれ、昭和に育った私が、これら故人を知り得たのは、すべて古本による。はじめ私は二葉亭四迷を読んだ。二葉亭の文より人物に傾倒した。二葉亭は、文学は男子一生の事業に非(あら)ずと言って、政治に志し、失意のうちに印度洋上で客死した人である。
 古来偉人は近づきがたい。しかるに二葉亭には近づきやすい。いわゆる偉人ではなし、さりとて凡夫ではない。
 今人のうちに友人が得がたければ、古人にそれを求めるよりほかはない。私は早く今人に望みを絶った。二葉亭に親炙(しんしゃ)すれば、勢いその友人とも昵懇(じつこん)になる。作品、日記、随筆に作者の友人知己が登場するから、芋ずる式にそれと知りあいになること、死せる人も生ある人に変りはない。
 かくて私は魯庵、緑雨の面々を知るにいたった。緑雨の縁で、のちに一葉女史を知る。女史については改めて言うが、こうして私は、当時の言語、風俗、人情、物価に通じ、明治初年から末年までを、彼らと共に呼吸したのである。」

   (山本夏彦著「日常茶飯事」新潮文庫 所収)
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