「この世は嫉妬で動いている」
「やきもち」というタイトルが付いた山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの冒頭です。
「この世は嫉妬で動いていると、少年のころから私はみていた。そしてその嫉妬の念が薄弱なのが
自分の欠点だと思っていた。
尋常な人なら嫉妬するところを私はしないから、相手もしないだろうと、うかと思ってそうでないこと、
動機は嫉妬だと知って驚くことがある。もうなれっこになった。」
山本老人は、「安部譲二」と「中村武志」のお二人を例に引いているのですが、とくに「中村武志」に
文壇の長老「内田百閒」がやきもちを焼いたという解説は秀逸です。
「中村武志は初対面から三年経て訪ねて、以後百閒が死ぬまで通って犬馬の労をとったが、あまりとったので
犬馬だと思われてしまったようだ。中村が同業者としてあらわれたのでさえ面白くないのに(目白三平とは何
たるネーミング!)たちまちベストセラーになり大金が舞いこんだのがやきもちがやけてたまらない。」
中村が書いた最初の自費出版の本に序文をと請われ、百閒老がいやいや書いた文章が、大方の「序文」と異なり、
「よく見ると悪口である」こと、百閒老がやきもちを焼いていることを読み取ります。
「年は親子ほど違う。作風も全く違う。百閒が文章道の天才だとすれば、武志は凡庸陳腐だ。嫉妬の対象でさえない
のに金は魔物である。」と山本老人は見て取りますが、序でに中村武志の作品を切り捨てることも忘れません。