国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

3月19日(土)のつぶやき

2011年03月20日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
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ガソリン狂想曲
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恐ろしく並んだ。二時間以上。ようやくスタンドの中へ。そして後ろで売り切れが……
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月がデカイ!
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ガソリン狂想曲 #goo_toyokoba1030 http://blog.goo.ne.jp/toyokoba1030/e/0b49213ee250addf95d3fbd91b38b819
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ガソリン狂想曲

2011年03月19日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
ガソリンが無い。
ここ数日前から懸念をしていたのだが、
車のガソリンメーターがあと僅かになってくると急を要する。
テレビのニュースでも時折取り上げられるが、
ガソリンがなぜだか知らないが市場から消えている。
東北地方の被災者のためというのは仕方のない理由なのかもしれないが、
こちらも仕事で車が必要となる。
来週以降には元の状態に戻るだろうという予測も立つのだが、「今」必要なのだ。
この休日中には入れなくてはならない。

ところが市内のガソリンスタンドは火が消えたかのように静かだ。
普段はあれほどあちこちにあって、営業をしているのに、
ガソリンスタンドの前には行列しかできていない。
開いているか、開いていないのかさえわからない。

その様子はまさに狂想曲と称するに相応しい。
ガソリン値上げを避けようと列ができたのは、これは個人の欲望だ。
だが、今は実際にガソリンをどうしても得なくてはならない。
まさかいつも帰り道に見かけるガソリン渋滞の1ピースに
自分がならなくてはならないとは…

前の見えない列に並ぶのは勇気がいる。
いつ終わるとも知れない列の先頭はどうなっているのか、
「もしかするともう無いのかも…」という不安さえも過ぎる。
脇をスイスイと抜けていく車たちのガソリン事情は一体どんなものなのか?

2時間かかった。
その間ずっとジョニー・グリフィンの『ア・ブローイング・セッション』を聴いた。
グリフィンとコルトレーン、そしてモブレーの3テナーマンが繰り広げるセッション。
1曲目の「今宵の君は」のソロの聴き分けがまだよく分からない。
繰り返し、繰り返し聴く。
分厚くも豊かな響きがグリフィンのテナーにはある。
まさかグリフィンもガソリン渋滞で聴かれるとは思わなかっただろう。

やがてゴールが見えた。
と、僕の4台後、店員が「売り切れ」の看板を上げる。
ダンボールで作った即席のヤツだ。
無情にもガソリンスタンドの出入り口が細い縄で封鎖される。
境界を越えた者と越えていない者…
何だかスッキリしない…

まさに映画のようなアルバム

2011年03月17日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
あるインタビューでエルトン・ジョンが
「レディ・ガガはジョン・レノンと似ている」とかいう発言をして
そのことがネットニュースで流れていた。
僕はレディ・ガガが
「派手な服装をしている奇抜なオネーさん」程度でしか知らないため、
どこら辺がジョン・レノンと似ているのかはよく分からない。
雰囲気なのか、それとも歌で作り出す世界なのか…
まぁ、それをまた奇抜な生活をしている
エルトン・ジョンが言っているのだから、一体どんな意図があったのか不明だ。

芸能ニュース的にもエルトン・ジョンという人は様々な話題提供者であるが、
その音楽センスはかなり高いものだと思う。
しかも独特の世界観をきっちりと表現ができている。
コンセプトアルバムを作り出そうとしても、
統一された世界観を音楽で表現するのはかなり難しい。
だが、エルトン・ジョンはそれを難なく、しかもポップに創り上げてしまう。

『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』
邦訳して『黄昏のレンガ路』と、言葉のセンスがたまらなくいい。
しかもジャケットには、ポスターの中に入り込もうとするジョンの姿が描かれている。
このブックレットを見ていくと、
歌詞に合った絵が添えられていて、しかもそれが映画のように統一された世界である。

もちろん、これだけならばアルバムコンセプトが優れていたものだろうと言える。
だがその中身も十二分に濃い。
オープニングを飾る「葬送~血まみれの恋はおしまい」では、
ジョンの力強さ溢れるピアノ演奏に激しい演奏が絡み合う。
「風の中の炎のように」は後にリメイクされるが、
ピアノだけで語り弾くだけよりも、
ロッカーとしてのジョンの姿勢をうかがい知ることができる。
ポップあり、ロックあり、ブルースありと多様な才能を見せてくれる。
まさにエルトン・ジョン・ムービーだ。

オルガンは手だけではなく、足でも弾くものだ

2011年03月15日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
電車通勤ができなくなって、ここ数日車での通勤をしている。
朝はラジオを聴きながら行くのだが、
帰りはその日にチョイスしたCDをかけるようにしている。
ここ数日の忙しさでCDを持っていくのを忘れてしまったのだが、
とりあえずカバンの中に入れっぱなしだった物を流した。

『ソウル・フィンガーズ』
パッと見て、ブルーノートのマークも入っているからそれらしく思えるのだが、
これコンピレーションアルバムである。
元々コンピには痛い思い出があるため買うわけではないのだが、
これは意識的に購入したものである。
このコンピを編集したのが、音楽評論家として活躍するピーター・バラカン氏である。
書店で黒人系音楽、ないしソウル系音楽の著書を見かけるが、
その中にバラカン氏の名前はよく見かける。
といっても僕はその著書を持っていないのだが、
今まで読んできたジャズ本の中にもバラカン氏は時折登場する人だ。

このコンピの目的はオルガンである。
そもそもオルガン・ジャズは隅に追いやられるという不遇の時代を過ごしてきた。
僕たちもついつい小学校の教室にあるオルガンを思い浮かべてしまうから
どうしても安っぽい印象になってしまう。

だが考えてみて欲しい。
ジャズのルーツであるアメリカ系の黒人達は
教会での合唱や演奏を通して音楽に慣れ親しんできた。
教会で欠かせない楽器といえばオルガンである。

ブルーノートにも多くのオルガニストが参加をしている。
有名なジミー・スミスは当時ブルーノートの最も稼ぎ頭だった。
だがジミー・スミスだけではない。
ジョン・パットンやロニー・スミス、そしてジミー・マグリフなど
コッテリとした、しかもどこかエレキチックな音が他にはないノリを生み出している。
特にジョン・パットンの「アルフィーのテーマ」は一聴の価値ありだ。