国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

「寄付金」にまつわる話 (後)

2011年03月28日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
1964年2月12日、マイルスにとってこの日はチャリティーだった。
「帝王」は気まぐれのようにそんなことをする。
しかし根本にあるのは同じ黒人に自分の音楽を聴いてほしいという
至極当然の思いがあったのだ。

一方で他のメンバーにとってチャリティーよりもとりあえず生活の保障が必要だ。
ジャズ・ミュージシャンで食べられるのは本当に一部の人で、
それこそ安いギャラでステージに立って演奏をしている。
それが後年に残ろうが、芸術として評価されようが、
とにかく当面の生活費の方が大事なのだ。

ジャズ界で一番の売れっ子のマイルスの下で働くというのは
安定した生活を得ることができ、そこから音楽的発展が目指せる。
それを実践していったのが、
トニー・ウィリアムスであり、ハービー・ハンコックであろう。

この日のもう1枚のアルバム『フォア&モア』には、
そのトニーの凄みが惜しみなく発揮されている。
『マイ・ファニー・バレンタイン』では
ハービーの耽美でありながらも骨太の演奏が注目されているが、
『フォア&モア』ではとにかく耳に入ってくるのはトニーのドラミングだ。

1曲目「ソー・ホワット」では、
『カインド・オブ・ブルー』の時の演奏とは全く異なる。
ロン・カーターのゴリゴリッとしたベースと
ハービーのピアノが出だしを緩やかにスタートさせる。
そこに「チチチチッ」と細やかなスティックさばきで、全体のスピードをアップさせ、
マイルスと同時に高速スタートを切る。
追い立てるようにトニーは全体を仕切っていく。

当時のマイルスバンドにおいてトニー・ウィリアムスは大きかった。
マイルスに練習しないことを責めたり、ジョージ・コールマンと仲違いをしたりと
とにかく音楽的発展を貪欲に求めている。

後にウエイン・ショーターが加わり、いよいよ黄金のクインテットとなるのだが、
『フォア&モア』とこの後の『ライブ・イン・ベルリン』は
マイルスにとって最高の「ジャズ」ライブアルバムであるだろう。

『マイ・ファニー・バレンタイン』には曲調が暗めのものが集まっているが、
『フォア&モア』に明るく、パワフルな演奏を集めたのは
やっぱりテオ・マセロの作戦と言えるだろう。
もし当日演奏された曲順に聴いても、ここまで感じるものがあったかどうか分からない。

さて、問題のチャリティーなのだが、
会場の雰囲気からかなり人がいるように聞こえるのだが、
この日は少々空席があったようだ。
歴史は人が聴いていないところで生まれるのだ。