国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

別れ、そして新たな旅立ち

2011年03月24日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
3月も下旬となり、月日が経つのが早く感じる。
3月は別れ、4月は出会いの季節であるが、
この時期というのは独特の雰囲気を持っている。
温かくなった空気がそうさせるのか、
それとも静かに開こうとする花々がそう思わせるのかは分からないのだが、
心がざわつくように落ち着かなくなる。

人と人が出会い、別れるというのは当たり前のことなのだが、
その当たり前のことの中に時間であったり、つながりであったり、
多くの目に見えない「何か」が存在をしている。
そんな「何か」に気づいてしまうと、もう普通の状態ではいられない。
心を抑えるかのように僕はジャズを聴くしかない。

勢いのあるジャズは僕にエネルギーを注入してくれる。
疲れている時は静かな咀嚼しやすいものが良さそうに思えるのだが、
ここでぶっとい注射を打つことで、明日への活力になることもあるだろう。

だが、心がざわめく時は元気なものでは何か物足りない。
この心持ちに寄り添うようなものがいい。
そんな時は迷いもなく
ビル・エヴァンスの『ハウ・マイ・ハート・シングス』を手に取ってしまう。
このアルバムの1曲目タイトル曲がたまらなく好きだ。

このころのエヴァンスはスコット・ラファロを失ったショックで
アルバム録音が滞っているとされることが多い。
もちろんエヴァンスの言葉も残っているが、
どうもそれだけではないのが歴史の面白い脇道だ。
実際に実験的なアルバムも録音しているところから、
エヴァンスの新しい道探しにも思える。

この『ハウ・マイ・ハート・シングス』は、
そんなエヴァンスの新生ピアノトリオでの録音である。
ショック期とされるエヴァンスが
こんなに明るく、弾むような演奏をするのはなぜだろう。

別れは誰にでも訪れる。
でもその先に新しい道があることも事実なのだ。

キップ・ハンラハンを語るのは難しい

2011年03月22日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
キップ・ハンラハンを語るのは難しい。
まずこの人は演奏を実際にするわけではないらしい。
自分でその時の音楽に合ったミュージシャンをセレクトし、
そのミュージシャンたちに曲を演奏させることで
自分の音楽世界を表現する手法を取っているそうだ。

単純に「ジャズ」という括りでとらえるわけにはいかないだろう。
聴いてみれば分かるのだろうが、
僕がこの人の名前を知ってからアルバムを購入するまでは時間がかかった。
「ジャズ」という括りが難しいためであるが、
ジャズ専門店に行ったときに一体どこにアルバムが並んでいるのか
全く分からなかったからだ。
そのころはインターネットショッピングなどやったこともなかったし、
お店の人に「キップ・ハンラハンってどこにありますか?」などと質問もできなかった。
(アルバムを見つけられないなんて格好が悪いだろ?)
世の中が便利になってインターネットで「キップ・ハンラハン」と打ち込めば
アルバムがどこにあるのか分かるようになり、ようやく購入できた。

今日の1枚はキップ・ハンラハンの『テンダーネス』だ。
キップ・ハンラハンについての説明などはジャズ本やジャズ雑誌に譲るにして、
とにかくアルバムを聴いてみる。
うーん、分からない。
ジャズのようにアドリブや流れを聴くように聴いたのでは聴き所がつかめてこない。
どちらかというとワールドミュージックに近いのか、それともラテン系に近いのか、
まぁ、「ジャズ耳」で聴くには少々チューニングが必要だ。

曲のタイトルも凝っている。
見ていくと16曲、それぞれが独立しているようで、つながってもいるようだ。
何せ「…パンツの中には誠意がある。ペニスの中に、ではない…」とか
「…暗闇と愛の痛みが私を虜にする時、いいえ、この愛が…」などと
物語風のタイトルが付いている。

聴いているうちにコンガの強いリズム感と激しいまでの盛り上がりが生まれる。
歌、それと声が音の中で混じり合い、単純に音楽を聴くというよりも
混沌の中に生まれてくる世界の生成を聴いているかのようである。

一度でピンと来るというよりも聴き込むことで、
ジャズとワールドミュージックの狭間のようなハンラハンの世界が浮かび上がってくる。
「難しい」と頭で思うよりも、まずは繰り返し聴くことだ。

カモメはカモメのように、名盤は名盤なのだ

2011年03月21日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
昨日から再起動をしたオーディオ装置はすこぶる快調だ。
しかも連休中だから思う存分にジャズを聴くことができる。
取っ替え引っ替えアルバムを変えて聴く。

ひさしぶりにタンスの奥から取り出したのは、
アート・ブレイキーの『バードランドの夜』である。
言わずもがな、ジャズを聴く人ならば一度は必ず通るアルバムであり、
あまりにも名盤過ぎて、いつしかタンスの肥やしになってしまうアルバムである。

「ハード・バップの夜明け」と言われるこのアルバム。
アルフレッド・ライオンはライブアルバムをあまり好まなかったというが、
この一夜の記録は本当に残っていてよかったと思う。

僕はこのアルバムをジャズを聴き始めて間もなく買ったのだが、
冒頭のピー・ウィー・マーケットのイントロダクションに痺れた。
たかがイントロダクションであっても、立派なアルバムの出だした。
そして快調に飛ばし始める「スプリット・キック」
この流れは最強だ。

アート・ブレイキーがリーダーとなっているが、
このアルバムに参加しているクリフォード・ブラウン、ルー・ドナルドソン、
ホレス・シルヴァー、カーリー・ラッセルと誰一人かけても成立しない夜だっただろう。
今では知っていて当たり前のメンバーだが、
当時はブレイキー以外は全く分からなかったため
「?」を浮かべながら聴いてみたのだが、
「これがジャズなんだな」とそのエネルギッシュな演奏に感動した。
全体としてノリがよく、非常に聴きやすい。

聴き始めて間もなくともクリフォード・ブラウンの凄みは伝わってきた。
「ワンス・イン・ア・ホワイル」では
クリフォードの艶やかなトランペットが印象的だ。

「名盤はダサイ」というイメージが付いてしまいがちだが、
やっぱり良い物は良いのだ。
いつ聴いても名盤は名盤にしかならない。

3月20日(日)のつぶやき

2011年03月21日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
23:40 from goo
別にオーディオファンではない。でも、いい音は求めたい… #goo_toyokoba1030 http://blog.goo.ne.jp/toyokoba1030/e/8cbacc55486b6a8da450b8265f006e18
23:58 from web
リー・モーガンの『ソニック・ブーム』を近くのショッピングモールで見つけた。探していた物は唐突に出会う。
by Cobaaco on Twitter

マスター、家のオーディオ装置をひさびさに稼働させる

2011年03月20日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
地震があってからジャズを家のオーディオ装置で聴いていなかった。
いろいろと訳があって、しばらく稼働を停止させていた。
(計画停電のためではないだが…)
確かに車のオーディオでも十分に音楽は楽しめるし、
オーディオ装置で音楽自体が変わってしまうわけではない。
でも、自分であれこれと考え、
行きつ戻りつしているオーディオ装置で音楽を流すのもいい。
自分にとって最高の音とは何なのかと考え、
それに一歩でも近づくように日々手塩にかけて育てていく。
まぁ、『たまごっち』みたいなもの?

昨日の『ア・ブローイング・セッション』ではないが、
音を上げればそれなりに細かいところまで聞こえてくる。
でも、やっぱり家のオーディオ装置で聴くのとは違うのだ。

最近耳が敏感に反応をするようになってきた。
そこかしこのオーディオの低音が非常によく聞こえる。
おそらく意識をしてセットしてあるわけではないのだろうが、
長年その場に鎮座していると音が慣れてきて、思わぬ「いい音」で聞こえてくるのだ。

これまた『いーぐる』の話になってしまうのだが、
ジャズ喫茶のオーディオだからそれなりにお金がかかっているのは知っている。
でも、これがいいのだ。
低音のベースがそこにあるが如く「ブーン」と空気を伝わってくる。
リアル感があり、おそろしいほどに力強い。
この音を真似しようと思ってもそう簡単にはいかないのは分かっている。
それでも「いい音」を再現したいという気持ちが生まれてしまう。

一関の『ベイシー』は史上最強の音だという。
2年前に行ったときにはまだ感じることができなかった。
もちろん一人一人に最強の音は違うだろう。
でも望むらくはもう一度あの音に触れてみたい。

そんなことを思いながら
キース・ジャレットの『ザ・メロディー・アット・ナイト,ウィズ・ユー』をかける。
長らく眠っていた(と言っても一週間ほどだが)オーディオ装置が目覚める。
まるでゆっくりと水滴を垂らすかのようにキースのピアノが流れる。
これぞジャズのもう一つの楽しみ!