国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

「寄付金」にまつわる話 (前)

2011年03月25日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
東北関東大震災の後、人々はかなりストイックな生活を心がけるようになっている。
「計画停電」しかり、「贅沢な買い物をひかえる」しかり…
半ば強制的な部分もあるのだが、人々は全員で困難に立ち向かおうという
ある種「日本人」特有の強さが出ているのではないだろうか。
(一部には行き過ぎという言葉もあるのだが…)

その中でも義援金や寄付金は誰にでもできる、
しかも今CMで流れている目に見える「思いやり」になる。
多くの人が被災地の復興に向けて、必要となるお金を送っている。
それが人の心として自然の理になるのだろう。

この2枚が作られた背景にもそんなチャリティーが関わっていた。
マイルス・デイヴィスの『マイ・ファニー・バレンタイン』
そして『フォア&モア』

1964年2月12日のNYリンカーン・センターで
チャリティーイヴェントが行われた。
まだアメリカで黒人への人種差別が残っていた時期である。
この年に「人種差別撤廃法案」が議会を通過したことで、
一気に市民運動や政治活動がヒートアップしていくことになる。
2月12日はリンカーンの誕生日である。
その日にミシシッピー州とルイジアナ州の市民権登録のために
また、その他の政治や市民グループも合同して
リンカーン・センターで募金イヴェントが実施されたのだ。

リーダーのマイルスは人種差別に対してはかなり根を持っている。
白人の警察官に意味もなく殴られたことがあるからだ。
チャリティーイヴェントにも意欲的に参加をしようとしていたようだ。
一方のグループ側でも代表的なジャズミュージシャンであるマイルスは
目玉の一人だったのだろう。
招待状に事前に名前が載るほどであり、電話でも献金者に参加をうながしていたようだ。

ところが問題が持ち上がる。
チャリティーということで当然ながら無償での演奏となる。
マイルスはコロンビアとの契約があったので
ある程度のギャランティーは確保されている。
だがメンバーたちはそうはいかない。
リーダーであるマイルスからギャラが支払われるからである。
場末で働くジャズミュージシャンにとって日々の貧しさと戦う生活なのである。
それなのに無償で何かをするというのは割に合わないわけだ。

結局マイルスのポケットマネーからギャラは支払われることになったわけだが、
コンサートの前からマイルスとメンバーの間には微妙な空気が作られてしまったのだ。
しかし、それが逆に一世一代のライブ盤を作ってしまったのだから
何が起こるか分からない。