死を直前にしたジョン・コルトレーンは、
一体どんなことを思っていたのか?
最初で最後の日本公演が1966年の7月だ。
来日中のインタビューでコルトレーンは「休みが欲しい」ということを言っている。
帰国後、アリスと籍を入れ、生まれたばかりの子どもと新居に移っている。
ライブもツアーのような大規模なものはなくなり、
いくつもの企画が幻に終わってしまったようだ。
年が明けて1967年の2月にコルトレーンは
ニュージャージーにあるヴァン・ゲルター・レコーディング・スタジオに入っている。
ヴァン・ゲルター・スタジオは、
ジャズを聴くものならば一度は必ず聞いたことがあるだろう。
ブルーノートのエンジニアとしても有名なルディ・ヴァン・ゲルターの
私宅を改造したスタジオである。
そこで録音されたものが3枚のアルバムになっている。
『ステラ・レジオンス』と『インターステラ・スペース』、
そして公式盤として遺作ともなった『エクスプレッション』である。
今日の1枚はその中から『インターステラ・スペース』を取り上げよう。
これはコルトレーンとドラムのラシッド・アリのデュオの演奏である。
各曲には惑星の名が付けられ、どの曲もコルトレーンのベル(鈴?)で始まり、終わる。
そもそもラシッド・アリがスタジオに行ったとき、
コルトレーンから「今日は2人でやるんだ」ということを言われている。
つまりコルトレーン発案の企画であるといえよう。
コルトレーンはここではそれまでの曲を取り上げず、
テナー一本で勝負に挑んでいる。
どの曲も最初の1音があまりにも深く、あまりにも清らかだ。
そもそもそれは曲というよりもコルトレーン自身が激しく拡散をしていくかのようだ。
音が掠れようと、それがメロディーを形作っていなかろうと
テナーにすべてを託して、敷き詰められたリズムの上を滑っていく。
渦を巻き、天上へと一気に駆け上がろうとするその音の衝動は、
恐ろしくもありながら、逆にそれが美しくもある。
思わず僕は音をグッと上げなくてはいけないような気がする。
99%は分からない。でも残りの1%が「何か」心に引っかかるのだ。
感傷で聴くわけではない。
でもそこにはこのジャケットのように神々しい
「何か」を残したかったコルトレーンがいたのだ。
一体どんなことを思っていたのか?
最初で最後の日本公演が1966年の7月だ。
来日中のインタビューでコルトレーンは「休みが欲しい」ということを言っている。
帰国後、アリスと籍を入れ、生まれたばかりの子どもと新居に移っている。
ライブもツアーのような大規模なものはなくなり、
いくつもの企画が幻に終わってしまったようだ。
年が明けて1967年の2月にコルトレーンは
ニュージャージーにあるヴァン・ゲルター・レコーディング・スタジオに入っている。
ヴァン・ゲルター・スタジオは、
ジャズを聴くものならば一度は必ず聞いたことがあるだろう。
ブルーノートのエンジニアとしても有名なルディ・ヴァン・ゲルターの
私宅を改造したスタジオである。
そこで録音されたものが3枚のアルバムになっている。
『ステラ・レジオンス』と『インターステラ・スペース』、
そして公式盤として遺作ともなった『エクスプレッション』である。
今日の1枚はその中から『インターステラ・スペース』を取り上げよう。
これはコルトレーンとドラムのラシッド・アリのデュオの演奏である。
各曲には惑星の名が付けられ、どの曲もコルトレーンのベル(鈴?)で始まり、終わる。
そもそもラシッド・アリがスタジオに行ったとき、
コルトレーンから「今日は2人でやるんだ」ということを言われている。
つまりコルトレーン発案の企画であるといえよう。
コルトレーンはここではそれまでの曲を取り上げず、
テナー一本で勝負に挑んでいる。
どの曲も最初の1音があまりにも深く、あまりにも清らかだ。
そもそもそれは曲というよりもコルトレーン自身が激しく拡散をしていくかのようだ。
音が掠れようと、それがメロディーを形作っていなかろうと
テナーにすべてを託して、敷き詰められたリズムの上を滑っていく。
渦を巻き、天上へと一気に駆け上がろうとするその音の衝動は、
恐ろしくもありながら、逆にそれが美しくもある。
思わず僕は音をグッと上げなくてはいけないような気がする。
99%は分からない。でも残りの1%が「何か」心に引っかかるのだ。
感傷で聴くわけではない。
でもそこにはこのジャケットのように神々しい
「何か」を残したかったコルトレーンがいたのだ。