国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

耳が分かるんじゃない。身体が分かるんだ!

2010年08月12日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
時間のない世の中
音楽を聴き込む時間がないのが残念だ。
そもそも音楽が一度で分かるという状況は珍しいと思う。
一度で「分かった!」と等々力警部並に掌を打てるのは、
「その音楽の雰囲気が分かった!」という感じだろう。

ジャズはよく「分かった」と「分からない」と区別されることがある。
そもそも音楽が「分かる」というのは、
普通のポップスなどからでは分からない感覚のようだ。
表面的キャッチーなメロディーは、すっと耳に入ってきてくれて
いつの間にかその心地よさが「分かった」感を与えてくれている。

だが、ジャズはそんな甘いものではない。
テーマのよさは何となくとらえられる。
だが、その先に待ち受けているのは即興で奏でられる演奏なのだ。
覚えようとすること自体が難しい。
音は時間の流れに乗るようにどんどんと進んでいってしまう。
「あ、いいな」と思った瞬間には次のドラマに進んでいるのだ。
クラシックとも違い、楽譜がないのがジャズのとらえどころがない部分でもあるのだろう。

なら、何が「分かった!」なのか?
それは「身体に聴いてくれ」ということだ。
いつの間にかリズムやメロディーが身体の中に染みつき、
知らず知らずにエクスタシーを感じてしまう状態、
つまりは中毒症状が現れたとき、気づくと自ずから「分かった!」となるのだ。

ルー・ドナルドソンの『アリゲイター・ブーガルー』
最初は全く面白味がなかった。
ところが今はどうだろう。
ルーのアルトが、ロニー・スミスのオルガンが、メルヴィン・ラスティーのコルネットが、
全てが血とまるで溶け合ったかのようにわき踊る。
特にレコードのA面に当たる部分が僕のお気に入りだ。
「ワン・シリンダー」の気怠いながらも訥々とリズムを刻む感が、
「ザ・サング」のラテン的な陽気なノリが、
これほどまでに全身を駆けめぐる「分かった!」はないだろう。

何度も聞き返すことで生まれるエクスタシー。
ヤクやタバコに比べてみれば安全かつ健康的でしょ?
何せ簡単、CDを聞き返すだけでいいんだから。