国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

大宮・四谷・根津極楽ジャズ巡り 最終章「仏のようなパウエル」

2010年02月22日 | マスターの紀行文
そろそろ極楽ジャズ巡りも終わりにしよう。
と、いうわけでひさしぶりに根津にある「Lacuji」に足を運んだ。
東京までは出ても根津に一端立ち寄るというのはなかなかできない。
まして土曜日「いーぐる」の連続講演会の後だと、
帰宅時間との兼ね合いから「仕方ない。我慢するか…」といった感じで
ついついその機会を逸してしまっていた。
今回もちょっと迷ったのだが、「ええい、ままよ」と思い、根津の駅で降りた。

前に行ったときは初夏の頃だったため時間は7時といってもかなり明るい様子だった。
ところが今回は駅周辺には人の姿も見あたらず、あちこちの店はすでに閉まっている。
少々不安に駆られながらも「Lacuji」に向かうと
中からはほんのりと明かりが漏れだしている。
ほっと一息ついて、それからドアを開けると懐かしい店内の様子が…

「Lacuji」は、地域というか地元というかいつも常連の人が多くいる。
この日も入るとちょうど夕食時でもあったためか
カウンター席は一杯になっていた。
端の方に一席あったためそこに案内される。
背後には大量のレコードの入った棚がある。
「Lacuji」は、ジャズを流す居酒屋である。
まぁ、今では牛丼屋でもジャズは流れているため珍しいわけではないが、
有線などではなく、マスターがセレクトしたジャズがきちんとアナログで流れる。
加えてここは料理がとてもおいしい。
ビールのお通しにカブの甘酢漬けが出たのだが、
普段は漬け物など食べない僕でもその絶妙な味がたまらなくおいしかった。

この日はピアノトリオが連続でかかった。
最初にヴァーブの『パウエル57』がかかる。
油井正一氏の『ジャズの歴史』で、このアルバムが高く評価されていない。
パウエルは確かに好不調が明確に分かれているため
世間一般の評価としては『パウエル57』は不調であったのは事実だろう。
実際に剃刀でふれれば切れそうなパウエルの凄まじい狂気に満ちた演奏ではない。
だが、存在感あるスピーカーから聞こえてきたのは
「本当にパウエルか?」と思えるほど柔らかく、ほんわりとしたピアノの音である。
言葉を換えれば「好調ではない」となるのかもしれないが、
パウエルにこんな柔らかい演奏があったと知り、
ちょっとパウエルの別の一面を感じることができた。

次にかかったのハービー・ニコルズのトリオ作品である。
その間においしいビールとおいしい料理が出てくるのだから
これを「極楽」といわずになんと言えるだろう。

帰る前にマスターが尋ねてきた。

「あれ、近所でしたっけ?」
「いや、埼玉なんです」
「ああ、また来てくださいね」
「機会があったらぜひ…」

ぜひ、積極的に機会をつくって「Lacuji」には通いたいものだ。

大宮・四谷・根津極楽ジャズ巡り 第2章「なぜ彼女の歌に人は惹きつけられるのか?」

2010年02月21日 | マスターの紀行文
今回の「いーぐる」連続講演は、ビリー・ホリデイ特集だった。
ビリー・ホリデイに興味がある僕としては何が何でも参加するつもりでいた。
今回の講師は金丸正城氏で、本職のジャズ歌手ということだ。
残念ながら僕は知らなかったのだが、
本職の歌手がビリー・ホリデイをどのように解説するのかにも興味が引かれた。

金丸氏は、まずホリデイの後期作品から取り上げた。
コモドアやデッカ(どちらもホリデイの歌を録音したレコード会社)は、
良いのが当たり前で知られているが、
声質が落ちてきたといわれている後期のヴァーブなどにもいい作品がある
というのが金丸氏の考えである。
金丸氏がホリデイを聴いたのがヴァーブ盤からということだからのようだが、
これはよく分かる。
僕の場合はデッカの『ラヴァー・マン』が初ホリデイなわけだが、
常にホリデイにふれるのにいいところからふれるとは限らない。
どこを切り取ったとしてもいいのが一流というべきミュージシャンだろう。

さて、その後期のホリデイだが、
一般的に麻薬や飲酒の影響から声質が悪くなってきていると言われているが、
プロの歌手からするとどうもそれは違うようだ。
声の衰えはあるのだが、ホリデイの発声法が変わったことが大きいそうだ。
円熟期からホリデイはルイ・アームストロングの発声法を真似ているとのこと。
ホリデイは低音の発声をなるたけ使わず、高音で歌うことを得意としたようだ。
確かに歌を聴いてみると高音をしっかりととらえていて、
後期であっても高音が丁寧に歌われている。

また、ホリデイは歌に自分の感情を込めないそうだ。
歌詞に自分の感情を込めて歌うのが当たり前のように思えるのだが、
そういった「泣き」の歌い方ではなく、淡々と声とリズムで歌っていく。
実際に残っている映像を見ても、
ホリデイの目はじっと一点から動かず、見ているのか見ていないのかはっきりしない。
というか、その歌うホリデイの目に見ているこっちが吸い込まれそうなほどで
そのじっと見つめる目は歌の歌詞以上に多くのことを語っているように思えた。
金丸氏は「ブラックホールのように吸い込まれる」と表現していたが、
まさに「歌う」ということで聴客を未知の世界へ誘っている。

そのため「奇妙な果実」のように凄惨な歌詞であっても
怒りや悲しみといった感情で歌うのではなく、
その状況だけを非常に淡々と描写し、それが一層生々しさを与えているのだ。

ホリデイが他の歌手と大きく異なるのは、
声でリズムを取り、時に演奏を引っ張り、時に演奏を押し上げていくのだそうだ。
こういった歌手は古今東西なかなかいないそうだ。
その美しい声と正確なリズム感が、
ジャズに比類無き名歌手として名を残すことになったホリデイの核になのだ。

大宮・四谷・根津極楽ジャズ巡り 第1章「やっぱりやっちまいました…」

2010年02月20日 | マスターの紀行文
年に2度か、
ディスクユニオンが大宮ソニックでCD、レコードの販売会を行う。
別に義理立てをするつもりはないが、
やはり埼玉という土地に住んでいると
「行こっかなぁ」という気持ちになってしまう。

最近は少しCDやレコードを買い控えようと思っているため
「まぁ、何か見つかれば…」という気持ちで
大体1万円ぐらいを目安にして、それよりも少なければ御の字だ。
そんな感じで会場に向かった。
10時半で整理券番号が40番台、
集まった全員が全員ジャズを目当てにしているわけではないし、
それほど気持ちを向上させていなかった僕にとっては可もなく不可もなくの番号である。
今回はイベントが多かったためいつもの場所と違った会場であったが、
開場する前には廊下に折り返し3列の列ができるほどの人が集まっていた。
何故にこんなに人が集まるのかと訝しむ部分もあるが、
やはり何だかんだで音楽好きの人はそこそこいるのだろう。

開場は、ちゃんと並んだ列で入るが、中にひとたび足を踏み入れればそこは戦場である。
エサ箱に向かい、左右の手で素早くジャケットを引き出していく。
これはかなり肩と腕に疲れが来るため、日頃からちゃんと鍛えておく必要もあるだろう。
買うつもりなどあまり無かったはずなのに、
いざジャケットを引き出していくと、
そこには無いはずのレコードやらCDやらがイッパイ…
困ったことに手に取らざるを得ない。

今回の一番の収穫は『ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイブ Vol.1』である。
これがなかなか手に入らないのだ。
盤の状態は芳しくないが、見つかったときに手に入れておかなければということで
予想外の出費が…
こうして結果は目安金額を易々と超えてしまうわけだ…
自分の中にいる魔物に勝つのは難しいということが教訓としてむなしく響く…

チャーリー・パーカーのDVDを手に入れた!

2010年02月19日 | 休業のお知らせ
今日、アマゾンに頼んでいた
チャーリー・パーカーのDVDを手に入れた。
最近ではよくジャズミュージシャンのDVDも出ているが
何せパーカーは時代がかなり古い。
当然ながら残っている映像はあまり無いだろう。

と、いうことで今日はそれを早速視聴するため
臨時休業にします。
後日またその内容などを取り上げたいと思いますので
お楽しみに。

「何か」が僕の胸を締め付ける

2010年02月18日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ビリー・ホリデイといえば
ジャズを聴く者ならば1度は通る歌手である。
というか、1度も通らなければジャズを聴いているといえないのではないか。

自伝でホリデイ自身も語っているが、
黒人としての出生とその家庭環境、男性関係、薬物依存、借金などなど
なかなか波瀾万丈だ。
だから僕らはその歌い方にホリデイの人生を照らし合わせがちである。
だが、それは安直であると彼女自身の歌が教えてくれる。

ビリー・ホリデイ晩年のアルバム『レディ・イン・サテン』を聴いてみよう。
そこに現れるホリデイは、あまりにも痛々しい声で歌っている。
絶頂期の『ラヴァー・マン』と聴き比べてみれば一聴で分かる。
昔にあった声の艶やかさや張りが感じられず、
自由に行き来していた音域の幅が狭まっていることが分かる。
あの胸に突き刺さる「何か」がストレートに伝わってこないのだ。

だが、ちょっと待て…
1曲目「恋は愚かというけれど」
聴くほどに胸に迫ってくるのは一体何なのか?
『ラヴァー・マン』ではストレートに迫ってきた「何か」が、
『レディ・イン・サテン』にも潜んでいることがそこはかとなく伝わってくる。
ホリデイの歌声のずっと奥底に潜み、容易にはその正体をつかませてくれない。
その「何か」は聴き返すごとに胸の内に静かに積もり、
ホリデイが素晴らしい歌手だと教えてくれる。

「歌唱法」か、「表現力」か、それとも別の何かが素晴らしいのか…
残念ながら僕には表現するだけの言葉が不足しているのが何とももどかしい。
1つ言えることは、ホリデイの声には全くの鬱々しさが無い。
明るいわけではない。
けれども決して暗いだけではないのだ。

これほどカタルシスに襲われるアルバムはそうないだろう。
このホリデイの声はぜひ聴いて欲しい。
そして心を締め付けられて欲しい。