土佐林日記

日々の日記

ロジャー・ウイリアムス

2008-01-29 23:37:30 | Weblog
アメリカに始めて移住したイギリス人達、いわいるピルグリムファーザーズの中心だった人達はイギリスの教会から迫害を受け、やむなく新天地を目指したピューリタンだった。
しかし、それから数十年の後、移住者の指導的立場になった牧師達は、その権力で信仰の統一を図ろうとし、従わない人を迫害するまでになった。
このような状況の中、自らがキリスト教を信仰しているにもかかわらず、権力で信仰の自由を奪う権利は無いことを訴え戦ったのがロジャー・ウイリアムスである。
今のアメリカには、もちろん良い面も悪い面もあるが、先人達の権力との闘争する精神が歴史に脈打っていると思う。
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ある人のブログを読んで思ったこと

2008-01-22 21:59:41 | Weblog
人間の生命の中にはさまざまな心がある。
喜んだり、怒ったり、悲しんだり、いろいろある。
わたしには、無いと思っても死にたいという心もどこかにあるに違いない。
逆に死にたいと思っている人にも生きたいという心があるはずだ。
要は生命が何に引きずられているかだ。
しかし、なにが引き込もうとしようとも、生命の本質は生きようとする事にある。
だから人間は死をむかえるその時までは、何があっても力強く生きていかなければならない。

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崇高な目的と手段

2008-01-18 00:02:27 | Weblog
崇高な目的なら何をしても良いわけではない。
歴史をみても立派な大義名分で、多くの犠牲者をだしている権力者がいる。
そして、そのような手段で崇高な目的に達した者は一人としていない。
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地獄のプログラム

2008-01-10 21:20:11 | Weblog
以前にいた会社に、ある社員がつくった自社作業用のPCのプログラムがあった。
そのプログラムというのはミスがゆるされないのだ。
もちろん入力ミスがゆるされないならわかる。それなら良いプログラムだ。
しかし、そのプログラムは、タイプミスがゆるされないのだ。
タイプミスをすると、またはじめからやり直しになるのだ。
まさしく地獄のプログラム。
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「家族の肖像」という映画

2008-01-05 22:51:10 | Weblog
私が中学生ぐらいだった頃、ルキノビスコンティの「家族の肖像」を見た。
その時は、変な映画だと思った。
しかし、最近この映画の解説を読んだ時に素晴らしい映画だということを知った。
それは、古い考え方と新しい考え方の共存が描かれているということだった。
このことから二つのことを私は学んだ。
一つは、未熟な精神は崇高なことが理解できない。二つ目は崇高なことはよく説明することにより理解させることができる。
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