土佐林日記

日々の日記

ものごとを捉える

2007-03-31 16:13:43 | Weblog
職場などで物事をはかることが出来ない人がいると、周りの人は大変になる。
例えばどうでもよい事に大騒ぎしたり、とても重要な事を過小に評価したりする人だ。
ましてや上司にこの類の人間がいたら大変な事だ。
逆に考えれば、人間より良く生きる為には、いかに物事を正しく捉えることが出来るかが大切だとも言える。
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アメリカ

2007-03-13 00:25:25 | アメリカ
敬意を持って失礼なことを言うが、アメリカという国は、そもそも落ちこぼれ、窓際族が新天地を求めてやってきたことによって出来た国と言えるのではないだろうか。
アメリカに始めに渡って来た人は、祖国で悪い待遇でしか向かえられなかった故に、自分には他に生きる場所があると信じ、命がけでアメリカに渡って来た。
そんな人が集まったからこそ、今のアメリカができたのではないかと個人的に(他にもいろいろ意見があるとおもいますが)思う。
そう考えれば、今仕事などで自分の思うように行かないと悩んでいる人にも、アメリカを示すことが出来るのではないか。
それは、アメリカに行くとかそうゆう短絡的な事ではなく、そのスピリットで何かに挑戦するということに。(自分に言い聞かせる為に書きました)
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死について

2007-03-12 22:34:51 | Weblog
私は、なんの為に存在するのか考えたのは6歳の時だった。
なぜその頃にそんなことを考えていたかと今考えると、それは私が6歳の時ヘルニアで入院した時にすぐ近くのベットに高校生が救急で入院して来た。全身やけどをしたとのことだったがその高校生は私の目の前でその日の内に亡くなった。
おそらくそのことが私に生とは何か、死とは何かを考えさせたのだろうと思う。
人間誰しも死を恐れる。
しかし誰しも最後に必ず終着点として訪れる。
目標にむかってスタートすれば必ずゴールが有るように、人間も生まれた以上、死というゴールがある。
このように考えると人生の最終到達点であり、最終目的は死であると言える。
しかし、人間は死というものを通常はさけて考えたいし、怖いものに思う。
そのように考えると、死という事をいかにクリアできるかということが人生で大事なことのように思う。
私自身の課題でもあるが、一日一日を今自分が死んでも後悔がないように生きている人にとって死を恐れるということは無いのであろう。
コメント (4)
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