土佐林日記

日々の日記

2016年11月20日

2016-11-20 11:45:56 | Weblog
日本の戦中の運動家の言葉を要約して、佐藤優がこのように紹介していた。

アメリカ型民主主義がポピュリズム※と結びついて排外主義的傾向を強めると、政治エリートもその流れを抑えるとができなくなる。と。
まさに今回のアメリカ大統領選挙の結果を約80年前に分析的に予言していたといえると思った。

※ポピュリズムとは大衆に迎合して人気をあおる政治姿勢。
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ある俳句

2016-11-11 22:31:07 | Weblog
有名な俳句の同人誌の俳句集を読んでいたら、こんな句があった。

人に飽き世に飽き梅の主かな

もしかしたら有名な俳句なのかもしれないが、私にはかなり引っかかるものがあった。
人や世間を離れた芸術に一体なんの意味があるのだろうか。
梅の主でありたいのであれば、やはり人の主でもなければならないのではないか。
ようするに人との関わりこそ芸術、更には文化のすべてであると私は思う
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2016年11月11日

2016-11-11 19:51:37 | Weblog
有言実行といえば良い事、当然の事と思っていたが、今度ばかりは逆になってしまった。
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2016年11月8日

2016-11-08 20:01:08 | Weblog
松下幸之助は、部下から土地を売る事業を始めてはどうかとの提案に対して、それが利益になることを認めた上で、本当にその土地を欲しい人に渡らなくなるとの理由で却下したという話を聞いたことがある。
松下幸之助にとって利益とは人にとっても有益であることとの信条が伺えるエピソードである。

以前、友人と飲んでいたら隣で飲んでいたいかにもサラリーマンという人たちが飲んでいて、その内の一人が戦争をすれば景気が上がることを力説していた。

たしかに、戦争の為に働いて利益を得ている人がいるのは事実かも知れないが、例えば一人の利益の為に、何十人、何百人が犠牲になるとすれば、そんなものを利益と呼ぶことができるのだろうか。
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獅子文六の「自由学校」という本

2016-11-05 18:38:22 | Weblog
獅子文六の「自由学校」という小説を読んだ。

1950年の作品なので、66年前に世の中に出たということになる。
この本は最近、かつて面白い本があったということで、少し話題になっているようだ。
タイトルからはピンとこないが、一組の夫婦が描かれていという内容だが、読んで思ったことは、面白い本というのは、読み手がこの後が気になるように書いて、最初から最後までそのことが貫かれているということを感じた。
また、さらに現代の私たちにとって戦後間もない頃の空気を感じることができるとい面白さのプラスアルファもある。

この「自由学校」という小説は当時もかなり話題になっていたようで、今では信じられないことだが、この原作で2本映画が製作され同じ週に上映されたとのことである。ちなみにこのことが連休を「ゴールデンウィーク」と言われる由来になったと何かにかかれていた。
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