土佐林日記

日々の日記

2013年2月24日

2013-05-26 07:38:01 | Weblog
川柳について調べていたら、「柳多留」なる二百数十年前の川柳が集められている本があることを知った。
私は、これは面白そうだと思った。
その理由は、その当時の人の生活を知ることができると思ったからだ。
すぐに購入し読んでみると、それは大きな間違いだと気付いた。
ほとんどの川柳がただ読んだだけでは理解できないのだ。
それでわかったことは、要するに川柳というのは、その当時に生活している人の解釈があって成立するというものだということだ。
そのようなことを思っているうちに、私にとっての以前からいだいていた疑問も同じように理解することが出来た。
それはゲーテの「若きウェルテルの悩み」がなぜ当時ヨーロッパでセンセーショナルが巻き起こったかということだ。
ようするに、キリスト教社会では無い日本人が理解できないということは当然なことなのだと思う。
従って、日本では理解できないことがある意味正解なのである。
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2013年5月25日

2013-05-25 09:40:57 | Weblog
教えてくれることに満ち溢れている社会であるといいと思う。
こんなことも知らないのか。とか、俺はこんなことも知っていて凄いだろう。とか言っている人が過去の人となる社会。
また、この世の中には、特別な人しか知ることの出来ない秘密など存在する必要はない。
良いものであるほど誰にでも知ることが必要であるはずだ。
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2013年5月5日

2013-05-05 07:01:26 | Weblog
釈尊は自身が悟った多くのことを説き、それが経典として残された。
ゆえに、その悟ったことの内容を伝えることが仏教ということになる。
最近、知人が私にこのようなことを言っていた。
「釈尊が何をいっているかは知らないが、法事は大事なことである」と。
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