土佐林日記

日々の日記

日本人の宗教観

2008-02-02 17:24:42 | Weblog
全ての日本人に当てはまるわけではないが、この国の人は、確かに宗教を習慣の一つとして、大事にしている。
しかし、習慣と言っても冠婚葬祭などの儀式を執り行う為であって、教えそのものを知っている人はいない。
家族代々の宗教があっても、教えそのものは日常生活には反映されていないのだ。
いったい大切な日々の生活に影響を及ぼさない宗教に何の意味があるのだろうか。
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6 コメント

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宗教 (ラッキー花子)
2008-02-03 12:13:46
 こんにちは、日本にもいろんな宗派がありますよね。台h行的なおがエホバですが、しゅうきょうによって行く幼稚園がかわったりということもわたしのちほうにはあります。
 わたしもどんな週kょうがあるんぽか、そして自分の家の宗派とか、あんまりそういうことはくわしくないし、しろうともおもわないほうなのですが、やっぱり後々恥をかかないためにもcvはんとそういうことは知っておく必要があるのかもしれません。
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Unknown (ミケ8)
2008-02-03 20:41:58
こんばんは!^^
うちも家族が一人亡くなるまでお仏壇が無かった家なので、同じようなことを考えたことあります。
こんなご時世の中で、人々は無意識に本当の意味での信仰(宗教という枠を超えた)を求めているような気もします。
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Unknown (土佐林日記)
2008-02-05 00:01:02
ラッキー花子さん、コメントありがとうございます。
非常に参考になりました。今後もよろしくお願いします。
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Unknown (土佐林日記)
2008-02-05 00:20:22
ミケ8さん、コメント有難うございます。
さまざまなことを受け入れるだけと言うのでは無く、疑問をもったりすることも大切ないきかただと思います。これからもよろしくお願いいたします。
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八百万の神々 (にゃんごろー)
2008-02-13 16:33:43
一神教が現代の戦争の根源にあります。
日本の多神教は世界を救う可能性を秘めています。
古代のローマは多神教でした。キリスト教にも寛容でしたが、内側から侵食されて滅びました。
一神教は人を誤らせると思っています。
世界平和のためには、本地垂迹説が一番です。
世界のあらゆる神は現われかたがいろいろだが、
根本は一つ。キリスト教もイスラム教も同じ神様だよ、仲良くしよう、とね。
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Unknown (土佐林日記)
2008-02-13 20:54:59
にやんごろーさん、コメント有難うございます。
言われているように宗教や思想が戦争を引き起こしてきたという歴史があります。
また、バックボーンとなる宗教が違うにもかかわらず、共通なことを言っている思想もあります。
やはり思想であっても、宗教であっても精神的に深くまた人道的にも正しいという基準で判断していく必要があるとおもいます。
今後もよろしくお願いします。
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