鉄道模型・色差し三昧

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お気に入りができますよ。

八高・相模線用キハ35系のこと・その4/塗装の変遷をみる

2007年05月18日 | 記録と記憶……実車あれこれ
前回は、数字を書き並べながら、
八高線でキハ35系が主力となったのは、北総3線電化のときに大量に転入してきたから
という話しをしました。
今回は、もうちょっとビジュアルに。

キハ35系の塗装の変遷について、まとめておきましょう。

1961〜66(昭和36〜41)年
キハ35系が製造されます。
すべて、朱色とクリーム色に塗り分けられたいわゆる国鉄の一般色で、
紺とベージュの旧標準色で落成した車輌はありません。
車体の色指定は朱色4号とクリーム4号。
屋根などは灰青色1号となっていますが、
この色はのちに色見本の改訂により灰色1号に統合されます。

画像は、関東鉄道でイベントも兼ねて塗装したもの。
だいたい、こんなイメージです。

1963(昭和38)年
ステンレス車体を試用したキハ35 900番台が落成します。
雑誌に掲載された写真からは、屋根やベンチレーターも無塗装のように見えます。

1968(昭和43)年6月
ステンレス車体の900番台には、前面に警戒色として赤帯が入れられました。

1970(昭和45)年4月
早くも、前照灯をシールドビームに改造した車輌が現れます。
第一号は、美濃太田に配置されていたキハ30 80。
一般色で2灯化改造車というのも、あったのですね。

1975(昭和50)年2月
一色塗装を試行した車輌が、相模線に登場します。
キハ10 61でした。

1975(昭和50)年3月
八高線からキハ17形が消えます。
900番台は、銀色の車体のまま新天地で活躍を始めます。

1977(昭和52)年
朱色5号の単色塗りが、
一般形と通勤形ディーゼルカーの新色として、正式に採用されます。
首都圏が発祥の地ということで「首都圏色」と呼ばれるようになった、
あの、タラコ色です。

キハ35 68/1995.10.14.拝島

1977(昭和52)年2月
銀色に輝いていたキハ35 901も、朱色5号単色となります。

1986(昭和61)年3月
相模線に、また新たな塗装が生まれます。
第一号は、へんなところにタイフォンのあるキハ30 25。
なにがヘンな位置なのか、確かめたいひとはこちら
さすが、ツボを押さえていらっしゃいます。

1987(昭和62)年4月
国鉄が分割民営化され、JRが発足します。
イメージアップと称して、各地に新しい塗装が登場しましたが、
いちいちチェックできませんね。

キハ30 27/1992.9.8.高岡

1988(昭和63)年4月
相模線運用車の前面に、形式番号が書き入れられるようになりました。
ちょっとおしゃれに、斜めに入っています。

ざっと、まとめてみました。
キハ35系といえば、都市近郊の路線で通勤、通学輸送に貢献した系列です。
なかでも、関西本線湊町口や千葉地区各線、川越線などでは、
7輌編成くらいの長大編成が見られました。
しかし、これらのうち、
首都圏色に変わってからも7輌編成が見られたのは、川越線だけです。
そのほかの地区では電化完成により、
キハ35系は活躍の舞台を追われていたのです。

ロングシートの、あまり愉しくはないディーゼルカーでしたが、
いっぽうで、どこかに薄幸な気配も感じてしまうのです。

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さすがです! (四角い箱)
2007-05-18 10:35:23
いや~、勉強になりました。
拝島のキハ35 68の画像は「そうそう、こんな感じ!」と思ったのですが、やっぱり95年と最近の画像なのですね。
華のない車両ほど模型栄えする気がするのは個人的な贔屓目でしょうか・・・W

では。
返信する
次回は500番台? (とりのさんぽ)
2007-05-20 00:08:23
だんだん、燃えて参りました。
来るとがっかりのディーゼルカーですが、身近な路線を入っていただけに、愛着もひとしお。
一般色の時代も、もう少し突っ込んで調べてみたいところです。
返信する

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