鉄道模型・色差し三昧

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南武線の17m級旧型国電の履歴をたどる(後篇)

2016年06月21日 | 車歴表三昧
聞いた話し。
あるお宅で、最近、愛犬が亡くなったそうです。
15歳といいますから、大往生ですな。
で、飼い主さんはていねいに、自宅の庭に埋めたのだそうです。
そう、土葬ですね。
言われてみればという感じですが、人間と違って埋葬許可は要らないですからねぇ。
愛情は、感じます。

さてと。
前回取りこぼしの南武線17m車の履歴。

片運転台の制御車クハ16形です。

旧31系のクハ16000代は6輌はがいましたが、16000だけは短命でした。
状態が悪かったのかもしれませんね。

二重屋根を更新して低屋根となった旧30系の16200代は、わりあい早くに地方線区へ転出したものがいます。
16234は、阪和線からさらに福塩線に追われた気配。
同じことは16302にもいえますが、こちらは丸屋根旧31系ですから、短いところが嫌われたのか?

台車などに流用品を用いた旧50系65形だった16400~16500代は、入れ替わりが激しいことが読み取れます。
初期には中央線から、のちに京浜東北線や常磐線、そして総武線からというように、
各線区が73系や101系、さらには103系へと揃えられていくにしたがって、次々に転入してきています。
昭和35(1960)年ごろにはすでに17m車の淘汰方針が出ていたようですから、
あるいは検査期限のあるものが転入し、期限切れの車輌から廃車していったのかもしれません。
末期の蒸気機関車と同じですね。

なお、このグループには一時期クロハ16800代として半室2等車だったものがいます。
もとをただせば、戦後の進駐軍専用車ですね。
2等室とはいえロングシートでしたから、格下げ後も座席はそのまま。
奥行きが深かったといいます。
ちょっとだけ高級だったせいか、地方線区への転出は少ないように思えます。

鉄「道ファン誌」77号によれば、南武線用車輌の17m級から20m級への置き換えは、昭和42(1967)年12月ごろからです。
川崎などの各駅のホームの延伸が終わったからだそうな。
ですから、この後でも廃車されずに残った車輌は、支線用もしくは本線の増結用と見て差し支えないでしょう。
鶴見線に転出していた16003、16007、16211、16215が戻ってきたことで、
16002、16006、16824、16840が廃車になったように思われます。

中間付随車サハ17形。

大半が、山手線からの転入です。
ほとんどが転用先もなく、廃車になりました。
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