鉄道模型・色差し三昧

精密な模型製品だからこそ、色差しを施しませんか?
より、魅力を引き出しましょう。
お気に入りができますよ。

飯田町に貨物駅があったころ(前篇)

2016年08月07日 | 駅めぐり
オリンピックが始まりました。
高校野球の全国大会も、始まりました。
その気になれば、24時間ぶっ続けでスポーツ中継を見続けることができますね。
やるひと、いませんか?

そのたびに思うのですが、オリンピックは高級幕の内弁当ですね。
超一流の、いろいろな競技がてんこ盛りなのですから。

予算だのなんだのと問題は山積みですが、4年後の東京大会も盛会でありますよう。
じつは、学生時代の同級生にひとり東京都の職員がいるのですが、先日、リオデジャネイロに立ちました。
勉強して、実感して。
彼女の仕事にも期待します。
ちょっと、楽しみになってきたかな。

さてと。
飯田橋駅の隣近所に、飯田町駅がありました。
現在はJR貨物の本社となっています。
ここに紙の流通拠点がありました。
土地柄、出版社や印刷会社が多いところです。
全国から、毎日、紙専用の列車が到着していました。

施設がコンテナ化に対応できないという理由で、廃止が決まったのは1997(平成9)年3月。
直前、2月22日の記録です。

まずは、中央線四ツ谷駅。
266列車飯田町行を見送りました。


行き交うの緩行線は、103系。
このタイプの架線柱が、導入間もない時代です。


飯田橋駅に着きましたら、すでに入れ換えが始まっていました。


へたくそ。
入れ換え機の車番が読めません。


この日、新宿から266列車を牽いてきたのは、岡山区のEF6585でした。


係員が誘導します。


折り返しを待つべく、四ツ谷駅に戻りました。
黄色い201系も、懐かしいです。


この列車の次のはず。


待つこと、しばし。
先ほどのEF6585は、横浜羽沢行2961列車を牽いて、下ってゆきました。


で、飯田橋駅に戻ります。
定期券の区間内なので、行ったり来たり自由自在。


曲線の内側に分岐するレールは、かなり珍しいと聞きました。
もっと、きちんと撮っておけばなぁ…。


飯田橋今昔。


いちばん左の線路が、飯田町駅の引き上げ線です。
引き上げ線ですから、勾配はありません。
いかに、本線が下り勾配なのかが、判ります。


もういちど、飯田橋今昔。
ビルが増えましたね。

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