大地震から早くも10日。
腑抜けた気分のまま、日が経っていきます。
虚脱感といいますか、無力感といいますか。
阪神淡路大震災のときも小さくはなかったのですが、今回の大地震の衝撃は、
まだまだワタシの心の中で整理がついていないのだと思います。
原子力発電所の事故は、原因は何であれいずれ起こる気がしていました。
あとだしのようですが、ある意味で織り込み済み。
それにひきかえ、津波の破壊力のもの凄さと云ったら…。
前職のときに、三陸の久慈に出張に行ったことがありました。
久慈に限らず、三陸では街角のいたる所に津波の避難所を示す標識があるのですね。
田老町の、おそらく世界一であろうという防潮堤も、直に見たことがあります。
で、これだけのモノがあれば大丈夫だろうと、素人目にも感心したのです。
が…。
1000年に一度ともいう大津波。
テレビや新聞で報道される、柱一本残らず破壊された町並み。
やむを得ず、故郷を後にする避難者の人々…。
どうすればいいのだ?
そればかり、思います。
世界が一変してしまったような、気がするのです。
それでも、
何も手がつかないなどと言わずに模型工作とブログへのアップを再開します。
ワタシの場合、仕事も“模型の製造”です。
どんなに頑張ったって、被災された方々には何の役にも立たないです。
大のおとなが、ナニをやっているんでしょうねぇ?
思わず、ため息がこぼれますよ。
だから、今のワタシのできることをやっておきます。
昨日も今日も、明日も、明後日も、
被災者支援と復興に向けて、努力されている方々が、たくさんいます。
もしかすると、そのうちの誰かひとりくらい、このブログを楽しみにされているかもしれません。
あるいは、フル操業で支援物資を生産されているかたがいるかもしれません。
そのよう方々のいっときの楽しみになれれば、このブログにも意義があるのでしょう。
このブログで気分転換になるすべての方々へ。
働きましょう。
そして、遊びましょう。
気分一新です。
計画停電だのなんだの景気の悪い首都圏の電車は、ちょっとお休み。
KATO製の阪急6300系。
先年、とうとう引退してしまった京都線用特急車です。
製品自体は、ワタシが中学生のころからあります。
四半世紀以上たって、ようやく手にしました。
好きな電車のひとつなのですが、なんでここまで後回しにしてしまったのか、自分でも判りません。
出会いは、このページです。
1979(昭和54)年ごろの交通公社のムック本。
高槻に従兄がいまして、
いつだっかの夏休み、大阪に連れて行ってもらった帰りに6300系に乗せてもらいました。
梅田から高槻を通過して、大宮まで。
切符は高槻までしか買っていませんでしたから、乗り越し乗車も初体験。
ずいぶんどきどきしたなぁ。
結局、これが6300系の特急に乗った最初で最後となりました。
ただ1回しか乗ったことがないので嘘つきのようですが、
この電車は好きです。
インテリア、クーラーなどを塗り分けたいですね。
←今後ともよろしく。