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鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

石垣島3日目

2024年02月09日 09時46分09秒 | 旅行














一昨日の2日目に航空券以外は何も決めていない友人Kと私は石垣人宅の近くにある宿に3日間泊まることにする。
独り暮らしの友人宅に泊めてもらい続けることにあまり遠慮は感じないし、そのようにと言ってくれるけれど、互いの不便と窮屈を考慮したら贅沢は素敵だ。
石垣人のふだん寝ているベッドの凹みが私にはフィットせずぎっくり腰になりそうだったのと、蚊に刺されたことも節約を押しやった。
ロフト付きの民泊はKが電話で予約したあとの手続きはすべてインターネットなので、スマホなしでは事がすすまないから私の出番。
ドアの暗証番号が送信されてきて宿帳もタブレット記入という無人宿は、少しお金を出したらこんなにも世の中快適なのね、という感じ。
早く目が覚めて宿のWi-Fiさくさくとブログ更新をしたあとに住宅街から八重山農林高校まで散歩をする。
旅先での独り早朝散歩は決め事ではないけれど、そうしないではいられない身体の欲求のようなもので、どこでもやってきたこと。
朝から全員集合後に西表島観光をすることに決めていたのだが、VIP闘病者Wから電話があり、強い痛みが起きてしまったのでパスする、と言う。
迷惑を掛けることを彼は一番に気にしていて、自分はホテルで休んでいるから気にしないで予定通り西表の行ってきてよ、とこちらを気遣う。
天気も思わしくなく、上原港行きは北風が強くて欠航となり、南の上原港へと1時間の船旅は渡船レベル。
うつらうつらしているうちに、それほど揺れることもなく船は西表に着いて、予約したレンタカー屋が迎えにきていた。
予約時点で軽自動車でも4人なら可能だけれど、普通にしたのを、3人でも軽に変更せず普通車はホンダピットを借りる。
霧雨程度ではあるけれど、台風が来ているわけでもないのに、斜めや横に霧雨が当る。
道路脇にヤマネコ注意看板があるけれど、イリオモテヤマネコを目撃することはなく、カンムリワシは民家の庭に降りているのを撮った。
街路樹に止まっていたりもして、保護が行き届いているのか、人馴れという感じではなく人に無関心という自然体が良い。
道路脇にはアダンの木が田中一村が描いた絵そのままにいくらでもあり、ときどき木生シダのヘゴがあり、巨大ススキといった感じのサトウキビ畑もあり、小さな川にもマングローブが生えていてさすが亜熱帯。
子午線モニュメントの123456789というのがあって、それがなにか、と思うものの撮ったりして最期は勿忘石(わすれないし)の碑を観にいった。
太平洋戦争時に波照間から軍部の命令で強制疎開させられ、マラリアで命を落とした方々のことを忘れるな、という碑なのであった。
Kは一度夫婦で西表島観光をしていて、あまり観光客が行かない勿忘石を観ているということに石垣人は感動していて、OKINAWANとして感謝の念を抱いていることを表明していた。
大原港4時発の船に乗り、着いてから、痛みがかなり治まったというWを迎えに行って、前日の敵討ちで当初予定のステーキハウスに行く。
割安なのにおいしくて、キャベツ千切りもご飯も食べ放題で、ステーキに掛けるソースも豊富で言うことなしのリーズナブル。
Wに痛みは完全に治まったか聞いたら、軽くはなったけれど持続していると言い、痛み止めは軽い麻薬成分なのだと。
昼食は抜いたが、腹の中に食べ物が入っていたほうが痛みは軽いのでとのことでのステーキハウスに付き合ってくれた次第。
突然痛みがなくなることもたまにあると言っていたが、ということはほとんど常時痛みを感じているということで、やはり自制心克己心と気の持ちようと奇跡的な何かしらがあっての延命中であるということだ。
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石垣島2日目

2024年02月08日 05時04分05秒 | 旅行







鍋敷きならうちの実家にもあるぞ、と思ったら、頭当てという女性が使う荷物運び用であった。







当初、若い頃の仲間6人で会おうとしたけれど、1人は訳ありで連絡が取れないようになっていて、もう1人は硬膜下血腫だったかの爆弾を抱えていても参加の意向だったがたぶん家族の反対でキャンセルとなり、4人だけで会うことになったクラス会が今回の旅。
膵臓がんが肝臓にも転移しているという1人はホテルを予約していて3泊4日の予定。
私の田舎にいろいろとしょっちゅう手伝いにきてくれる千葉の友人が4泊5日の予定。
私はこの際ゆっくりと決めて、行き帰りの格安航空券以外は全く未定5泊6日の予定。
当地生まれでUターンした友人宅にて、ホテルを予約していない2人は泊めてもらう。
そして次の日になり、ホテル泊まりのVIP扱い闘病者を、石垣人の軽乗用車で迎えに行く。
先ずは、観るのは好きでも自分でスポーツをやることのない石垣人が唯一10年(?)ほどやり続けているというピンポンの会に朝からお邪魔する。
ラージボールという少し大きめで軽い球のネットの高さも僅かに高いのだという高齢者向けピンポン。
私は中学生時代に卓球選手だったので、40年振りほどだったけれどシロウトに負けるはずがないという自信があり、今までブログを通じて彼にいろんなアドバイスなどもしてきた。
ところがいざやってみると、ラケットに球が当たらない。
硬式卓球の感覚が残っているので、ラージボールの遅い球足に全く合わせることができず、自信ががらがらどころではない大恥巨泉(古っ)。
少しだけ慣れてきた時点で試合をやろうということになり、やってみたらシロウトと侮っていた彼に全く歯が立たない。
彼がサーブミスをした1点が取れただけの11対1の惨敗は、いつかリベンジしたいと心に誓ったものの、トラウマになりそうだ。
その後、川平湾にドライブして、世界に誇れる景観だという青い海を観て、白い浜で珊瑚の欠片を拾い、蝶を追った。
止まるまで追いかけようと思ったけれど、止まってくれずに、亜熱帯の藪に入り込んで動きが緩慢になったところを激写。
調べてみるとリュウキュウゴマダラで、ほかにもオオゴマダラを観たが撮るには至っていない、なお画像はトリミングした。
その後は、石垣人の家に帰り、車を置いてタクシーでステーキハウスに向かったが、目的の店が臨時休業という間の悪さ。
別の店に行ったけれど、選択を間違え、にんにくまみれのとんだステーキだった。
そうして口直しというのか、気分を変えるためでもないけれど、口の臭い4人は八重山博物館で高尚な文化的考証に浸ったのであった。
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ピーチと島豆腐と八重山ソバ

2024年02月07日 08時03分08秒 | 旅行






格安航空会社のピーチに乗って石垣島に来てから島豆腐と八重山そばを食べた。
島豆腐はもちもちした食感で大豆のはずはないと思ったら南京豆が原料とのこと。
ゼラチンが独特なのか、多いのか、クリーム状のピーナツがそうさせるのか、独特のもちもちで美味しい。
沖縄に来たのだからソーキソバを食べたいと思ったが、ソーキそばは那覇のものだそうで、石垣なら八重山そばということだった。
ソーキそばが幅広で縮れていて白いのに対して、八重山そばは丸くてストレートで黄色。
美味しくはあったけれど、ソーキそばを食べようと思っていたのに無かったということで、やはり残念な味と感じた。
汁は残さず飲んで、美味しかった。

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長岡市寺泊水族博物館にて

2023年10月28日 07時58分58秒 | 旅行






ウミガメの水槽には3匹のウミガメがいて、水面に浮いているのと底にじっとしているのと絶えず水槽面をなぞるように同じ行程を繰り返すのがいた。
ライオンなどの大型動物が狭い檻に入れられている場合に見られる反復行動は強いストレスからだとかなんとかいう記述を読んだことがある。
この亀もそのような状態に違いないと思われて、精悍な吊り目とくちばしではあるけれど哀れを感じる。
アオウミガメとアカウミガメのどちらなのか確認しないでしまったが、食用に乱獲された歴史を持つというアオウミガメだと思われる。
尚、アオウミガメでも赤っぽい個体がいるそうで、肉が青いからアオウミガメなんだとか。

ケムシカジカという珍妙なヤツが正面を向いていた。
説明板には、『・・外見に似合わず煮つけ、鍋物などにすると非常においしく、卵も大粒でしょうゆ漬けにしたものは珍味・・』とある。
ぶよぶよしているからケムシカジカと名付けられたとも書いてあったが、ケムシは棒状に細長いのだから、相応しい名付けではないと思う。

ミズダコは生きてるときでもこんなにも赤いのか。
蛸は頭が良くて、餌入りのビンを水槽に入れておき、人が水槽の前で同じビンの蓋を開けて見せると、それを学習して足を絡ませ蓋を開けるという実験映像を観たことがある。
ヤギの目に似た目つきでこちらを観察する姿は妖しげで、たぶんヤギなんかとは較べようがないくらい頭が良いはずで、哀れというより怖い感じがする。
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マス席で長岡花火

2023年08月03日 12時21分12秒 | 旅行








幼なじみから、思いがけない話が持ち上がり、いつの間にかマス席で長岡花火を観ることになった。
長岡はなにかと縁のある地で、長岡花火は子どもの頃から、何回か観る機会はあったが、会場直下で観るのもマス席も初めて。
今回私は友人夫婦の車に乗せていってもらうことになり、早めの昼過ぎに出発した。
渋滞もなく長岡に着き、幼なじみの親戚宅に車を置いて、会場まで10数分の距離を歩いていく。
コロナの飲食制限が一切なくなって、会場までの道中にさまざまな出店があり、スーパーも長岡花火仕様になっていて面白い。

1マス6人分の券になっていたので、6人にするべく直前まで周りを誘ったけれど結局3人しか集まらなかった。
後期高齢者は、渋滞と人混みと歩く距離を心配して、自信がないと辞退するのだ。
早めに着いてみれば、マス席と言えど仕切りもなく、お大尽気分になれる雰囲気でもなく、ただただだだっ広い板の間キャンプ場といった趣。
ベニヤ板2枚分(1坪)が1マスで、私達は敷物を持っていかなかったけれど、敷物で縄張りを主張するのが正しいやりかたのようだ。
イス・テーブルは持ち込み禁止だそうで、ビールサーバーを持ってくる1団も居たけれど、弁当を広げるにしてもちんまりと皆がおとなしい。
新潟県の三大花火は、早い順に、海の柏崎、川の長岡、山の片貝と続くのだそうで、連れの夫婦は全部観たというお祭り好き。
花火大会はテレビで各地のものを観ているけれど、新しい花火の発見が楽しく、現地直下でしか味わえないのは炸裂音の心地よさ。
尺玉100連発にはしびれた。
7:20分に始まり、9:10分過ぎに終了したが、帰りの人混み渋滞もあり、帰ったら12時前になっていた。
それでも案ずるより生むが易し、ですよ、後期高齢者の皆様。
最後の画像は、今朝のうちのビオトープの花火。
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魚沼芝桜まつり最終日に

2023年05月17日 08時37分08秒 | 旅行




昨日は関越自動車道の堀之内PAの北側丘陵に作られた『根小屋 花と緑と雪の里』に行ってきた。
最終日だから行こうと上手に誘われて、ババ同級生2人を後ろに乗せて運転手になる。
わが十日町市から越後三山を見ると、右から中ノ岳、八海山、越後駒ヶ岳なのに、この場所から見ると、八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳の順になる。
最終日だから大変な人出になるだろうと予測して避ける人が多かったのか、駐車場もすんなり入れて、ゆっくり散策できた。
ほぼ同じ頃に生まれたに違いない、歩き出す前の乳児を連れたママ友3組が、持参のバスケットに座らせては撮影して、はしゃいでいた。
盛りを過ぎていたからか、高級カメラ持参カメラマンは一人二人しかいない。
桃色に白筋模様のピンク系芝桜が綺麗だと思ったのに、しゃがむ気になれず撮らず仕舞いになったのは、木を見て森を見ずと思われたくないカッコつけだったかも。
入場協力金(200円以上)を払うと、魚沼芝桜まつり応援キャンペーンというものがあり、その後しっかりと、そのサービス付きレストランへ。
そこで言われたのが、駐車場にすぐ入れたかということで、ラッキーでしたね、と。
サービスのアイスクリームが美味しかった。
サービス品ではあるけれど、終わり良ければの〆は大切だなと思った次第。
6月末まで有効で、サービス参加店舗は30あるので、魚沼市に行くなら証拠提示のポストカードを持参すべしだ、まず行かないけれど。
1枚目は八海山で、2枚目は越後三山をバックに運転手をしたジジイ。
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飯山城跡にて花見の敵討ち

2023年04月12日 08時34分34秒 | 旅行










三日前の帰省途中は雪が降り、ヘッドライトに薄っすら浮かぶ満開らしい桜と菜の花が続く道を残念無念な気持ちで走らせた。
千曲川の土手が国道になっていて、川側歩道の縁石に沿わせて菜の花が一直線に続き、反対側は桜並木がずっと続いている。
その話を幼友達同級生に話したら、まだ今年は行けてないから行きたいということになって話が進み、昨日は私にすれば花見の敵討ち気分ででかけた。
ところが、夜目に観て美しいはずと思い込んだ桜並木は、もう散り加減でさほど美しくはない。
少しがっかりしながら走らせて飯山市街という標識に従って折れ、桜が見える高台に何も知らないまま向かった。
それが大当たりで、枝垂れ桜が見頃なら他の桜も競い合っているような見事さの飯山城跡なのだった。
連れの二人も『高田城址公園より良い』などと大はしゃぎで、思いがけない穴場発見となった。
城は明治の初めに壊されたそうだが、他所に移築されていた城門と推定されるものを元に戻したという門があった。
屋台テントが4店だけでている芝生の大きな広場があり、敷物をして弁当を広げる人達もいて、駐車場も料金をとるなどという了見はなく開放的。
保育園か幼稚園の年中組くらいの園児15人ほどが付き添い3人に連れられてきて、滑り台で遊んでいるのをしばらく見学した。
天守閣が在ったはずの場所には神社が建っていて、そこへ登るゆるい石段に幼児と若い母親の姿があり、ほかの場所にも同じような母子を見た。
城址公園の南側には広い敷地の小学校があり、北側には高校もあるのが見下ろせて、こんな環境で遊びながら育ったら・・などと思わせる。
『人は城、人は石垣云々』を思い出し、誰の言葉だったかと確認してみると、この城は『・・武田信玄の侵攻に備え、・・信濃出陣の拠点となった・・』などと説明板にある。
市民の憩いの場となっているに違いないこの飯山城跡は現状維持を保って欲しいものだ、などと老爺心を起こさせる。
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道の駅のカボチャ陳列台

2022年12月18日 10時00分55秒 | 旅行




地元野菜コーナーに大きなカボチャ陳列台があり、さまざまな格好の物にそれぞれの値札が付いていた。
こんな小さなものでも商品になるのかというのもあった。
おそらくは、ヘタ部分がしっかりコルク状になるまで畑に生らしておき、収穫後も 時間を置いて熟成させたからこそ大きさ形に関係なく商品として売られているのだろう。
私の車の中にも見た目の悪い貧弱なカボチャが積まれていて、積むときに気後れもあったけれど、これを見て自信たっぷりに持ち帰ったら良いのだと思えた。
築30年の家は築90年の生家に比べたら気密性がよくて温かい。
宇治は暖かい。
田舎の天気予報は終日雪なので申し訳ないような気分もするけれど、これで冬季避寒生活に入る。
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雪国を脱出

2022年12月17日 01時52分52秒 | 旅行








雨予報だったのに雪にかわり、その雪も湿った綿雪となれば、屋根から一気にずり落ちる音とか、竹藪の撓った竹が雪を振り払って起き上がる音などもして、どさどさと雪が降っているという感じになる。
急ぎ脱出しなくてはと気がはやり、やればこんなにも素早く出来るのに今までなんでやらなかったんだと自分に呆れながら出発を繰り上げた。
ところが10km進んで街なかに入ると、雪はせいぜいみぞれだし、道路は消雪パイプからの水で雪は無く、拍子抜けだ。
でも、長野県との県境付近は雪が降っていて、橋も多くて凍結していそうで、シャーベット状の雪への轍もすぐにおぼろげになる様子はそこそこ危険を感じる状態。
道の駅「花の駅 千曲川」に着いて、ようやく雪国を脱出したという安堵感が湧いた。
キャンピングカーが何台か停まっていて、湘南ナンバーの車にはスキーが括ってあった。
『羨望の視線にさらされながら走る気分は格別ですか!?』。
『こちとら、これ以上積めないという位に諸々を詰め込んで逃げてきましたから、のろのろ運転しかできなくて、あおり運転されないよう譲るばかりでまいります』
いつもの姨捨S.A.は『月のさと』とあるけれど、曇り空で星の1つも見えなくて、代わりに善光寺平の夜景がくっきりと見えた。
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故郷を後に

2022年11月14日 09時28分09秒 | 旅行






前日に農産物を車に積み込んでおき、昨日の朝、故郷を後にした。
本来の本拠地であるべき、妻子もいる場所に向かうのが出張のような旅のような気分だ。
わずか数日だけの滞在予定だけれど、やるべきことは指折り数えて両手ほどもある。
越後三山(越後駒ヶ岳、八海山 、中ノ岳)を見納めのように観てから、しばらく走って信濃川を見下ろし、左岸の細い山道をわざわざ走って鹿渡にある巨大な水力発電所を見上げた。
朝に出発して、道中は雨も降り工事渋滞もあり眠くなったら直ぐに寄り道をして、いつもながらの12時間後に着いた。
一応の気構えをしてはいるけれど、無くてあたりまえ、想定外のトラブルには遭うこともなく、500kmの道のりをいつものように一定時間で通過している自分に驚く。
田舎の皆が、よくまぁ大変なことをと驚いたり呆れたりするけれど、独りで長距離移動のドライブをする時間は無駄でも浪費でもないと私には思われる。
昔、適性検査を受けた時に、車の運転手が向いているという結果だったのは意外だったが、そういう性分ということかも知れないなどと自宅の炬燵でいま思う。
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姨捨S.A.にて休憩

2022年10月02日 00時52分52秒 | 旅行








長野自動車道を走ったら、必ずいつものように姨捨S.A.にて休憩。
長野道を長野方面に向かっているのだから上り線だと思ったら、下り線なのだった。
先日休憩した上り線S.A.より斜面の上方にあるので、善光寺平の眺めが少し良い。
標高616mという標識が立ててあった。

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姥捨山S.A.の句碑群

2022年09月20日 00時42分42秒 | 旅行










おもかげや 姨ひとりなく 月の友  芭蕉
姨捨や 月をむかしの かがみなる  白雄
名月や 仏のやうに 膝をくみ    一茶
名月や 雪の様なる そばの花      一翁
あひにあひぬ 姨捨山に 秋の月    宗祇法師

俳句の庭という趣の句碑群が造られてあった。
ごろごろとした石をコンクリートに埋めてある、歩きづらい広場の周りを句碑が取り囲んでいて、萩が咲いていた。
蕎麦の花は見えなかったけれど、善光寺平を遠望する柵のすぐ真下に、色づき始めた実をたくさん付けた林檎の樹の列があった。
台風14号がこれからやってくるのに、はかない景色だ。
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寺泊へドライブしてスナップ

2022年07月16日 06時06分55秒 | 旅行
海を目指して県道326号小白倉木落線で柏崎に向かい、先ず港に行ってから海岸沿いに北上した。
港湾や護岸に興味のある友人と一緒なので、寄り道や途中休憩が多く、それは私も歓迎なのでなかなか目的地に着かない。


中越沖地震から15年ということでテレビでさかんにやっていた柏崎刈羽原発。


展望所におしゃれなトイレがあり、そろそろ終わりかもしれない紫陽花が咲いていて、海の向こうにうっすらと佐渡ヶ島。


展望所の裏手岩場に自生するオニユリ(鬼百合)。


霧雨に濡れそぼつ鳩は警戒する元気もなくて、あまり近づくのもためらわれ、海へ突き出た展望台が邪魔だったけれど入れて撮る。



コロナに感染しそうな気がすると言うので大勢の中には入らず、買ってきたものを家で調理して食べた(バイ貝、岩牡蠣、鯛のアラ、スルメイカなど)。
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旅の途中

2022年06月05日 06時23分23秒 | 旅行






運転中に携帯電話の画面を見るのは交通違反になるけれど、信号待ち停車中に操作するのは違反にならないと聞いた。
滋賀県を走っているときには、信号待ちのときに撮りたくなる交差点名が色々と有り、『途中』とか『酢』とか『妹』とか『飯』など。
そうして、今回は『今』を撮った。
撮った瞬間、左の信号は赤から青になったけれど、右の信号が点灯していないのは停電ではなくて、両方点かない一瞬があるのだ。
一瞬一瞬が過ぎていく今という時間は、そのような今であることを表す示唆的画像になった、などと独りで嬉しがる。
2枚目は、コンビニに飲み物とお握りとパンを買うために入ったら、迷彩服の男が二人ほど居て、なんと靴までそれっぽいと思ったら、本物のソルジャーであった。
戦闘服を着てパンなんぞを選んでいることに非常な違和感を覚えたが、外に出たら駐車場隅に軍用トラックがきれいに並列駐車状態。
走り出す前に運転席から撮ったのが2枚目の画像。
3枚目は、私がコンビニ駐車場を出たら、前を走る車が、これまた自衛隊車両で、小さいように見えても隊員が10人程乗っているのか。
まじまじ見ると、やはり車高が高いと言うのか、そうとうな悪路なり道なき道でも走れそうにシンプルな造りで頑丈そう。
そんな事に感心しながら、これも赤信号待ちの時に撮ってみると、我が車のフロントガラス内側に飾ったミニチュア傘が間抜けに見える。
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古民家村を訪ねる

2022年05月21日 07時21分07秒 | 旅行










【カールさんとティーナさんの古民家村だより episode1「2020初夏」】がNHKきらっと新潟で放映される、その半日前に、まさにその風景を観に行ってきた。
築120年以上のかやぶき屋根の家をリノベーションして暮らし始めた、ドイツ生まれの建築デザイナーと、アルゼンチン出身で元国際線キャビンアテンダントだった妻が、テレビの中でとってもいい感じだ。
限界集落だった十日町市竹所(たけどころ)の古民家を次々とリノベーションしてよみがえらせ、新しい人達も移住しているのだそうだ。
それぞれの家の壁が今までの日本の家屋にはない色に染められているのに、違和感なく自然と調和しているのが面白い。
帰りには、カールさんの建築事務所兼カフェの、まつだいカールベンクスハウスに寄ってコーヒータイム。
コロナ騒ぎの始まる前年、2年半前にもここに来たのだが、そのときにはカールさんが居合わせて、本人から再生古民家の2階部分を紹介してもらうことができた。
私の生家も昭和6年築の中途半端な古民家だということを話し、彼からは古民家を放置するのは、本当にもったいないということを聞かされた。
人なつこい笑顔で「もったいないですよ」という言葉を発するのを聞いて、即刻ファンになった。
降って湧いたようなお金があるならば、『金に糸目はつけないので、是非ともわが家をカールさんのお好きなようにリノベーションをお願いします』と申し出たいのだが。
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