智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

浜松を旅する

2016年05月10日 | 国内旅行
4月29日から2泊3日で、浜松を旅してきました。

実家の姉が、「 鳥取砂丘は遠いので、日本3大砂丘の一つ、浜松にある中田島砂丘を 子供たちに見せたい。」と言うので、

私は、「浜松~?うなぎ~?それ以外に、何があるの~?」と半信半疑で、低いテンションで同行しましたが、

新幹線こだまのグリーン席に坐して後、観光資料を読み上げ、到着するころには、すっかり浜松旅行のスイッチが入りました。


まず、浜松駅ビルで、ウナギ弁当と甘味のだんごとお茶を仕入れ、いざ!中田島砂丘へ



足腰の弱った母はしばらく歩いて、それ以上はあきらめ、休憩。

私の夫は、4月上旬に左足首を酷く捻挫して、まだ治癒せず、足が踏ん張れない為、母と同じく休憩。

姉は、右股関節を痛めており、休み休み歩き・・・・

元気な小学5年と2年の甥っ子を引率したのは、私でした。

遠くに見える砂丘を越えると、ひらける景色は、



遠州灘。

「灘」とは、「浜」のように遠浅で穏やかに波が寄せる、のではなく、いきなり「砂の際」にドカンドッカーンと打ち付ける荒波で、

波打ち際に近づくのが、怖くてはばかれます。

強く吹き寄せる風が砂を運び、砂粒が頬に打ち付けて、痛いようです。


翌日は、ワンボックスカーをレンタルして、浜名湖を北上して、奥浜松の龍潭寺へ。



ゆるりと、小堀遠州の作庭を鑑賞しました。


彼は有名な作庭家ですが、改めて、彼は「遠州」と名がつくように、この地に縁がある人では?

と調べてみると、安土桃山から江戸初期の人で、家康によって、この「遠州」の地の大名に任じられたことから、

そのように呼び名がついたそうです。


なるほど~!日本各地に小堀遠州作の庭があり、彼の名と作品を知っていましたが、この地で納得しました。

茶人であった小堀は、千利休や古田織部を師匠と慕っていましたが、秀吉や家康によって彼らは切腹を命じられ、非業の最期を遂げました。

小堀は、師匠の二の轍を踏まぬよう、師匠たちのように各大名家への出入りを避け、権力者から疑われないよう控え目にしていたそうです。

最後の任地である遠州で、無事任を終えることができたから、後世に小堀遠州作の庭も残ったのですね。

小堀さん、お疲れさま、そして、ありがとう。



この日は、午後、洞窟を探検してホテルへ戻りました。

翌日は、浜松城と石垣を鑑賞し、ウナギの名店で食し、帰路につきました。


浜松の旅、お勧めですよ~


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