智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

青森を旅する、6日目最終日

2015年12月10日 | 国内旅行
青森旅行も今日が最終日となりました。

浅虫は温泉が有名ですが、もう一つ、推定樹齢700年の赤松の巨木があります。



朝の澄んだ冷気の中、森林公園の落ち葉が敷き積もる山道を、1時間ほど歩くと南斜面に突如現れます。


根を傷めないように、周囲に侵入防止柵があり、また、周辺の木々を払っていないため、

写真では木の大きさを表現しずらく、感覚としてつかめないのが残念です。

幹回り6.6m、樹高28m、だそうですが、

いわゆる一本の「枝」が、周囲にある大きな松の「幹」ほどあり、

7本ほどの太い「幹」のような「枝」が2mほどの樹高から分かれ、スケールが大きいのです。

しばらく眺めて、気のエネルギーを頂きました。

紅葉を楽しみ、野生のリスも観察できて、新鮮な空気で心身ともに清められた感がします。


青森へ移動し、市場で中トロと、ウニと、ボタンエビで海鮮丼を作ってもらいました。

ボタンエビの甘さ、美味しさ、忘れられません。

りんごを試食して、お土産に木箱で送ってもらいました。

そして、新幹線で帰路につきました。

青森では色々な経験をして、旅の前の日々が遠くの出来事になり、

これからの日常を、また新たな気持ちで迎えられます・・・・


青森を旅する、5日目

2015年12月09日 | 国内旅行
浅虫温泉に泊まり、5日目は下北半島、恐山を目指します。

2008年の秋にも、青森を旅しました時は、八甲田山、奥入瀬渓流、十和田湖、そして秋田の玉川温泉を訪ねました。

前回も恐山に行きたかったのですが、断念した経緯があり、

今回の旅では、是非行く、と決めていました。


しかし、資料によると恐山社務所は10月末で閉じる、とのこと。

それでも未練がましく、行けるところまで行こうと進むと・・・・



門は閉ざされ、建設業者が冬支度をしていました。


社務所の正面は湖、裏山は至る所で温泉が湧き出て、



なんとなく「恐れ多い」雰囲気を感じます。


残念ではありますが、気を取り直して、大間のマグロを食べんがため、下北の先端の漁港を目指します。



大間岬から見える北海道の函館


港には10件ほどの食堂が並び、月曜日のその日は、数件しか開いておらず、

親子3代でマグロ釣りをする、という店でマグロの刺身をいただきました。

赤み、中トロ、香りもよく、味も美味、アワビの刺身も、コリッとさっくり歯切れよく、

「北の最果てまで 来た甲斐はあった」と肯けるものでした。


そして、駐車場にもどる途中、「ウニはいかがですか~」と声かけられ、

夫と顔を見合わせて、「入りましょう~」

その店主、アケミさんから、美味しいウニについて、いろいろ教わる中で、

夫が、「イタコは、今、生活の中では、どのようになっているのですか?」と訊ねました。


恐山も閉所して、客も少ない月曜日で、客は私たち夫婦二人だけ、ということもあり、

アケミさん、半世紀前の子供の頃から今に至るまで、日常生活の中でイタコが果たした役割について話し、

彼女自身や、叔母や娘の霊的体験について、幾つか語ってくれました。

社務所に入れませんでしたが、地元の彼女のお蔭で、恐山・青森の風土を感じることができました。


大間から浅虫温泉の宿まで、4時間かかって戻り、

なんとはなしに、若い仲居さん相手に、イタコの話をしますと、

21歳の彼女は下北の陸奥出身でありながら、裏山の恐山に登ったこともなく、しかも「イタコ」という名称すらも知らない!

驚きながらも、今日、アケミさんから聞いたイタコ文化について、かいつまんで話をすると、

彼女は「そのような体験は、私もしています。そういう霊感は、皆、持っていませんか?」


私と夫、「ええっつ!」と驚きながら、「皆、持っていないよ」

と彼女の霊的体験について、もっと話をしてもらうように促します。

親しい人の死の前日に、「蟲のしらせ」があった、幾つかのエピソードを聞きました。

そのような勘は、彼女の父親にもあって、母親はまるで無いそうです。

「あなたには、青森の代々続いてきた民族の血が流れていて、その霊感を恐れず、是非、大切にしてください。」

など励ましつつ、締めくくりました。

青森を旅する、4日目

2015年12月01日 | 国内旅行
昨夜、美味しい海鮮料理で満たしたので、今朝は青森名物市場の海鮮「のっけ丼」は避けて、ホテルの朝食ビュッフェで。

そして4日目は、津軽半島先端、竜飛岬で「上野発の夜行列車降りた時から~」と歌うつもりでレンタカーに乗り込みます。

まず、最初に立ち寄った先は、五所川原市の立佞武多(たちねぷた)



5階建ての大きな資料館、と思いきや、入ってみて「びっくり」

天井まであろうか、20メートル超える巨大なモニュメント、「これが、佞武多か・・・」と口をあんぐり開けて、見上げるばかり。

すると、案内係の女性が、「4階までエレベーターで上がり、スロープに添って降りてきてください。」


4階に上がると、目の前に



合計3体の立ち佞武多が



迫力で迫ってきます。

すると、佞武多の明かりが消され、館内の壁に映画上映されます。

1996年、人口の過疎化によって長らく絶えていた佞武多祭りを、一度限り、復活させようと市民の有志が立ち上がり、

8月の初め、三体の佞武多を奉納し、佞武多祭りを復興させたそうです。

すると、今年限りで終わらせることが惜しくなり、それ以降、毎年続けることになったそうです。


なるほど・・・と感心しているところへ、今度は祭り太鼓と笛の音が・・・・



佞武多が本館から出発するときの、意気揚々としたお囃子と、祭りが終わり本館に戻るときの、どこか寂しいお囃子を、

皆も手拍子で応えます。

私、感動して、涙を止めることができませんでした。


深川で育った私でも、祭りのお囃子とは、太鼓は生でも、笛や拍子、掛け声、歌声はテープでした。

全て、本物の迫力。

観光客相手の、観光演奏なのに、なぜか、胸に迫るものを感じました。


雪深く、長く閉ざされる青森の冬、対照的に短い夏の日に、この鮮やかで眩しい佞武多の元で、華やかな祭囃子が町や田畑に響き渡る・・・

そんな風景が目に浮かびました。

そして、音楽や踊りという愉悦も、本来は自らの手で作り出すもの。

与えられたものを消費する、都会の私たちの生活と、対極にある「自分で作り出す」生き方。

石垣島で、食や衣について感じたことを、同じことを、青森でも感じました。


演奏が終わり、静かになった館内で後始末をしている係員のお姉さんに、いろいろと伺いましたところ、

3体の佞武多それぞれに、16名ほどの専属お囃子がついて町内を練り歩き、また、町会ごとの小さな佞武多にも少人数のお囃子がついて、

お祭りのときは、町や村のあちらこちらから笛太鼓の音が響くそうです。

今日のお囃子チームの方々は、皆さんそれぞれ仕事をする傍ら、毎週日曜日に集まって演奏の練習をして、腕が鈍らないようにしているそうで、

3チームが交代で館内実演をされている、とのこと。


納得です。通る声に、ゆるぎない笛、乱れのない太鼓。

拍子のリズムが、皆さん体に染み込んでいらして、私などは途中からリズムがくるってしまうのです。

幼い時から、歌って、踊っていないと、無理です。

青森の人々の熱い血が、祭り文化を復興させた誇りが、じーんと来ました。


酔うような心地で五所川原を後にして、金木の太宰治の生家を訪問し、



地方財閥の豊かさを見せつけられ、

三味線会館では、津軽三味線とお囃子に踊りを鑑賞し、

さらに北上し、十三湖でシジミ汁を堪能し、あまりにも美味しいので皆へのお土産として発送を頼み、

いよいよ本州の北の果て、竜飛岬へと・・・一路走ります。


民家も無くなり、



野生のサルの群れが、迎える冬に備えて、せっせと木の実を食べている、

4時過ぎて、段々暗くなり、

「遥かに霞み、見えるだけ~」と歌にもありますが、

近づくにつれて、霧が濃くなり、山道のつづら折りが視界不良で、恐怖すら覚えて

「あきちゃん、諦めましょう、引き返しましょう。」


もと来た道を引き返しましたが、宿の浅虫温泉にたどり着いたのは、8時。

田舎道は暗くて運転は疲れます「あきちゃん、お疲れ様、ごめんね、強行軍になっちゃったね。」

青森は、地図で見るより、実際は大きいのだ、と実感しました。







青森を旅する、3日目

2015年12月01日 | 国内旅行
青森旅行3日目は、業界団体の皆様と共に、弘前から平川市「盛美園」に立ち寄り、



「仮ぐらしのアリエッティ」のモチーフになった建物に、

紅葉の真っ盛りの庭園



庭園管理を請け負った業者から、管理内容について説明を伺いながら、庭を散策します。

次に、三内丸山遺跡へ。巨大なタワーは、栗の巨木で出来ていたそうです。



東北地方は、縄文時代の生活様式、春は山菜、夏は漁業、秋は木の実、冬は狩り。

弥生式の稲作文化が入ってきても、自然の恵みを活用した狩猟生活を継続してきたそうです。

一帯の広い範囲に渡り、栗の木が栽培されていたことが分かっています。

確かに、旅行を通して、海の幸山の幸をいただきましたが、本当に美味しくて、

縄文時代の人々も、あの土器に火をくべて、お鍋でおいしく食していたのだろうな・・・

と想像できます


新青森駅で皆様とお別れをして、私たちは青森で宿をとり、旅を続けます。