智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

青森を旅する、4日目

2015年12月01日 | 国内旅行
昨夜、美味しい海鮮料理で満たしたので、今朝は青森名物市場の海鮮「のっけ丼」は避けて、ホテルの朝食ビュッフェで。

そして4日目は、津軽半島先端、竜飛岬で「上野発の夜行列車降りた時から~」と歌うつもりでレンタカーに乗り込みます。

まず、最初に立ち寄った先は、五所川原市の立佞武多(たちねぷた)



5階建ての大きな資料館、と思いきや、入ってみて「びっくり」

天井まであろうか、20メートル超える巨大なモニュメント、「これが、佞武多か・・・」と口をあんぐり開けて、見上げるばかり。

すると、案内係の女性が、「4階までエレベーターで上がり、スロープに添って降りてきてください。」


4階に上がると、目の前に



合計3体の立ち佞武多が



迫力で迫ってきます。

すると、佞武多の明かりが消され、館内の壁に映画上映されます。

1996年、人口の過疎化によって長らく絶えていた佞武多祭りを、一度限り、復活させようと市民の有志が立ち上がり、

8月の初め、三体の佞武多を奉納し、佞武多祭りを復興させたそうです。

すると、今年限りで終わらせることが惜しくなり、それ以降、毎年続けることになったそうです。


なるほど・・・と感心しているところへ、今度は祭り太鼓と笛の音が・・・・



佞武多が本館から出発するときの、意気揚々としたお囃子と、祭りが終わり本館に戻るときの、どこか寂しいお囃子を、

皆も手拍子で応えます。

私、感動して、涙を止めることができませんでした。


深川で育った私でも、祭りのお囃子とは、太鼓は生でも、笛や拍子、掛け声、歌声はテープでした。

全て、本物の迫力。

観光客相手の、観光演奏なのに、なぜか、胸に迫るものを感じました。


雪深く、長く閉ざされる青森の冬、対照的に短い夏の日に、この鮮やかで眩しい佞武多の元で、華やかな祭囃子が町や田畑に響き渡る・・・

そんな風景が目に浮かびました。

そして、音楽や踊りという愉悦も、本来は自らの手で作り出すもの。

与えられたものを消費する、都会の私たちの生活と、対極にある「自分で作り出す」生き方。

石垣島で、食や衣について感じたことを、同じことを、青森でも感じました。


演奏が終わり、静かになった館内で後始末をしている係員のお姉さんに、いろいろと伺いましたところ、

3体の佞武多それぞれに、16名ほどの専属お囃子がついて町内を練り歩き、また、町会ごとの小さな佞武多にも少人数のお囃子がついて、

お祭りのときは、町や村のあちらこちらから笛太鼓の音が響くそうです。

今日のお囃子チームの方々は、皆さんそれぞれ仕事をする傍ら、毎週日曜日に集まって演奏の練習をして、腕が鈍らないようにしているそうで、

3チームが交代で館内実演をされている、とのこと。


納得です。通る声に、ゆるぎない笛、乱れのない太鼓。

拍子のリズムが、皆さん体に染み込んでいらして、私などは途中からリズムがくるってしまうのです。

幼い時から、歌って、踊っていないと、無理です。

青森の人々の熱い血が、祭り文化を復興させた誇りが、じーんと来ました。


酔うような心地で五所川原を後にして、金木の太宰治の生家を訪問し、



地方財閥の豊かさを見せつけられ、

三味線会館では、津軽三味線とお囃子に踊りを鑑賞し、

さらに北上し、十三湖でシジミ汁を堪能し、あまりにも美味しいので皆へのお土産として発送を頼み、

いよいよ本州の北の果て、竜飛岬へと・・・一路走ります。


民家も無くなり、



野生のサルの群れが、迎える冬に備えて、せっせと木の実を食べている、

4時過ぎて、段々暗くなり、

「遥かに霞み、見えるだけ~」と歌にもありますが、

近づくにつれて、霧が濃くなり、山道のつづら折りが視界不良で、恐怖すら覚えて

「あきちゃん、諦めましょう、引き返しましょう。」


もと来た道を引き返しましたが、宿の浅虫温泉にたどり着いたのは、8時。

田舎道は暗くて運転は疲れます「あきちゃん、お疲れ様、ごめんね、強行軍になっちゃったね。」

青森は、地図で見るより、実際は大きいのだ、と実感しました。








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