智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

八月誕生日会

2017年08月28日 | 甥っ子の成長を見守る
夏も勢いを無くした8月の下旬に、母は82歳、甥っ子は12歳、そして私の誕生日がやってきます。

毎年、8月最後の土曜日に、実家近くにあるイタリアン・レストランで合同誕生会を開きます。
ナポリで修行したオーナーが、本式の窯を作り、ピザが名物で、事前に予約しないと、満席で入れない人気店です。
甥っ子長男12歳は「アオサギ」、次男9歳は「ペンギンの親子」の絵を描いて、メッセージを添えてプレゼントしてくれました。
甥っ子から貰ったものは、宝物箱の中に、大切にしまっています。

私は甥っ子に、今の世界を紹介する図鑑を、上野の国立科学博物館で見つけて、
大人が読んでも面白くて、これに決めました。
ちなみに6月、9歳の次男の誕生日には、映画版「羊のショーン」のDVDを贈りました。
智子叔母ちゃんは従来通り、本かDVDしかプレゼントしない、お約束です。

日曜日は、栃木県の那須にあります「元湯鹿の湯」に、行きました。東日本大震災以来の久しぶりです。

温泉の更衣室など、部分的に改修されて、使いやすくなっていました。
いつもは、42度の湯だけに浸かっていましたが、今回は44度と46度にも初挑戦。
外気温は21度で、湯上りが涼しく、温泉日和でした。

夫の新車セレナが来て以来、初めての遠出。高速道路で自動運転を試しました。
手を添える程度で、車が勝手に右へ左へとハンドルを回して、前方車との車間距離も適度に保ち、
急な割り込み車にも、警告音とともに反応し、登り坂下り坂構わず一定速度で走ります。
夫は「楽だ~、10年後は、一般道も自動運転できるようになっているな!
目的地まで連れて行ってくれるぞ!」とノリノリです。
この日帰り温泉小旅行は、夫からのプレゼント、と内心勝手に思っております。

50歳で逝った父の歳を、私は無事に越すことができそうです。
感謝あるのみです。

心境は・・・変化がありまして、
これまでは、自分自身については「いつ終わっても後悔は無い生き方をする」と、生への執着が少ない感覚でした。
ところが、絵と書を始めてから、
自分は、どこまで行けるのだろうか?
元気で、少しでも長く生きられたら、もう一段、上達した自分と出会えるのでは?
と、自分自身への欲が生まれてきました。
不思議なものです。

書と絵をやって気づいたのですが

2017年08月06日 | 書道、絵を描く
六本木の国立新美術館で開催中の毎日書道展に見に行きました。

今、教わっている「かな」の先生の他、近所の先生、神田栄豊斎で教えていらっしゃる先生方の筆跡を鑑賞するためです。

また、表彰された方々の作品を見ることで、「毎日書道会」のトレンドも分かるかと。

諸先生方は、毎日書道会の役員方であり、上席で展示されていました。


漢字もかなも、「気脈」が通じることを優先しているのは分かりますが、

全体的に、直情的で激情を紙面に叩きつけるような印象を受け、

見るものに「しみじみと静かな幸福感」を与える「抑制の効いた理知的な」作品が少ないように、感じました。

美術館のように広大な空間で離れて見るに丁度良い「大画面」サイズで、

現代の居室サイズに比して大きすぎて、私室に飾ると圧迫感がするようです。


特に、「かな」は本来、平安貴族が小筆で巻物にしたためる形状と大きさが、一番自然と私は理解していますが、

人の背丈を越えるサイズの紙に、大きな筆で書くかな作品に至っては、

腹筋や背筋、腕や指の筋力を必要とし、曲線の優美さは失われ、角張り屈折した力んだ線を描いてしまう様に見受けました。


私の目指す方向ではない、と見定めました。

最初、私が書を始めた動機は、親しい人にメールではなく、お手紙を送るとき、

受け取り手の方々が、文面と書と添えた絵から、一瞬にして日常を忘れ、光と風を感じ、

幸せなひと時を過ごしていただけたら・・・、と思い立ったことに始まります。


実際に、筆と墨で書に向き合う時、高い集中力を要して、家人が居ない時にしますが、

電話の音も煩わしく、鋭敏で短気な性格になっていく自分を、発見します。

ところが、植物という自然を手本にして、絵を描くと、おおらかな気持ちで臨めて、

家人の気配も差し障らず、中断しても、すぐに元の世界に戻れます。


書は一瞬にして勝負が分かれるので、緊張感をぴーんと張りつめていなければならないのでしょう。

歳をとり手が震えてくると、書を断念する人が出てきますが、

絵の教室には、80歳、90歳の方々が、思い思いの作品を手掛け、おおらかな空気感が漂っています。

私は、両方の世界を行ったり来たりしながら、表現の世界を模索していくことになるのでしょう。