智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

セメント樽の中の手紙

2016年05月15日 | 読書、観劇、映画
高校生の頃、雰囲気のある美しい国語の先生がいらして、

色白面長、ほっそりとした柳腰、夢見るように大きく見開いた瞳の彼女は、竹下夢二の絵の中の人、などど思ったものです。


「授業が、順調に早く終わったので、皆さんに、先日見ました演劇のお話をしたいと思います」

生徒一同、わーっと喜びます。なんせ、テストとは関係ないので、脱線は歓迎です。

「その演劇は、一人芝居で、一人の女優が何役もこなし、舞台はいたってシンプルで、照明の明暗だけで状況が変わり・・・」

そうして、その一人芝居を、再現して見せてくれました。


私も、かなりな文学少女であり、一時期は漫画家を目指すほどの、想像力はある方ではありましたが、

始まると、教壇は舞台に変わり、先生の創り出す世界に引き込まれ、鳥肌が立つほどの感動を覚えました。


話は飛びますが、

中国の大学で日本語講師をしたとき、乏しい辞書を前に、学生たちにどのように日本文学を伝えたらよいか思案したとき、

この国語の先生を思い出し、一人芝居の会話劇をしてみたり、文章の世界を想像して黒板に描いてみたり、

日本語を使って出来上がる作者の世界観が伝わるよう、心がけました。


話は戻り、

国語の教科書に「セメント樽の中の手紙」と題する文章があり、

予習として自宅で先に読んだ時、衝撃な内容に、独り涙を流しました。

翌日、授業でこの課題に入ることになり、先生が「誰に読んでもらおうかしら・・・?」

とつぶやきながら生徒たちを見渡し、私に目を止めて「Mさん、読んでください」と指名を受け、

「ドキッツ」と心臓が鼓動します。

あこがれの先生の、期待に応えたい・・・・と席を立ち、一呼吸して、読み始めました。


前段、コンクリートミキサーへセメントを投げ入れ続ける重労働に、毎日、セメントまみれになって追われる労働者の描写と

疲弊しきった彼の、心の中のぼやきから始まります。

夜、貧乏人の子だくさんの騒々しい長屋に戻り、昼間の仕事中に、セメント樽の中に木箱を見つけたことを思い出し、

箱を壊して開けると、手紙が入っていました。


既に長い文章なので、この区切りで読み手が交代するかと、私は顔を上げて先生をチラリと伺いますと、

先生は、続けて・・・とつぶやきます。そこで、本題の後段に読み進めます。


セメント工場で袋を作る女工によるもので、内容は・・・・

同じ工場で働く恋人が、砕石を粉砕機に投げ入れる仕事の最中、転落し砕石の渦に沈み、共に砕かれ、

ベルトコンベアーに細かい断片となって運ばれ、更に、高炉で焼却されて、セメントの粉となってしまった、

恋人の死を悼む女工は、恋人がセメントとなって、どんな風に使われたのか、

道になったのか、橋になったのか、建物になったのか、・・・教えてください、と結びます。


教室中が、しーんと静まりかえって、私の朗読は終えました。

先生が私を見つめて「ありがとうございました」と応えられました。

当時の私は、愛する人を突然の事故死で失う女工の心情に同化して、鑑賞し涙を流すばかりでした。


あれから・・・幾歳月も流れ、

ふと、この物語と教室の風景を思い出し、こうしてブログに書く私は・・・


もし、我が家で新築の家を建てる時、業者が仕入れたセメント袋の中に、「奥さん、こんな手紙が入ってました~」

手渡されて、開封しようものなら、「なんて縁起悪い、不吉なもの!」と怒り心頭に達し、

住宅メーカーからセメントメーカーまで、陳謝を求めるでしょうし、

セメントメーカーは女工に営業妨害で解雇と慰謝料請求を求めるでしょう。

そもそも、労働災害で死んだ労働者の遺族は、企業に対して訴訟を起こし、マスコミに知れ渡るところとなり、

そのセメントは売れずに廃棄処分になるのでは・・・・?

もし、販売ルートにのせたことが、世間にバレたら、そのセメント会社は倒産の憂き目にあうでしょう?

いやいや、この小説は大正期だから、すべての矛盾、理不尽を、労働者は黙って飲み込まされる時代か・・・


かつての文学少女も、法律を学び世間の荒波にもまれると、こんな風に考えるようになってしまうのか・・・

あの、美しい国語の先生と、もう一度、語らいあえるなら、

色白な表に、切れ長の涼しい瞳がきらりと光り「そうなの」「ふふふ」と微笑んで下さるでしょうか












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