智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

アイスランドを旅するー最終日、ANA機内にて

2017年02月07日 | 海外旅行
私にとって、チャーター便を利用する団体旅行は、初めての経験です。

ビジネスクラスの席に座わると、「S様ですね。私は担当の〇〇です。よろしくお願いします。」とフライトアテンダントが挨拶に見えます。

全員着席終えると機内アナウンスが流れます。

「私はチーフアテンダントの〇〇です。機長は誰某。」普通の飛行機は、ここで紹介は終わるはずですが・・・

「副機長は誰某、機関士は誰某、ファーストクラス担当は・・ビジネスクラス担当は・・、プレミアムEとEの担当は、・・・・・」

と全員の名前を紹介しました。

「私ども、ANAでは、アイスランド・レイキャビック直行便は初めての、記念すべきフライトでございます・・・」

なにやら、アナウンスの内容と声と共に、気合が伝わってきます。


上空の安定飛行に入ると、

「皆様、右手にオーロラが見えます。皆様のアイスランドご旅行の最後の想い出となることでしょう。どうぞ、ご覧くださいませ。」

先ほどの担当の〇〇さん、わざわざ見えて「あちらの扉の窓から、ご覧になれますよ」と声を掛けてくれます。

それでは、と見に行くと、かすかに霞んで見えるだけ。

ツアーの他の客も見に来ては、口々に「ちょっとだけね。それより、あのオーロラは凄かったわよね~・・・」

と自分たちが遭遇した、あのスザマしいオーロラの想い出話に輪が広がります。


私は座席に戻り、独り静かにカメラを操作して、オーロラの想い出に浸っていました。

飲み物を給仕しにみえた〇〇さんが、「ご覧になりましたか?」と温かい笑顔で問いかけますので、

丁度手にしていたカメラの録画を見せて、「実はね、こんなオーロラを見たの・・」

彼女は息をのんで、「すごい!すごいです。・・・鳥肌が立ちます・・あの、お給仕終えたら、また、見せていただいてもよろしいですか?」

「もちろん、お手すきの時、いつでもどうぞ」と答えます。


しばらくしてから見えまして、一日目のオーロラ、2日目、3日目と段々強くなる様子を見せて、そして4日目を紹介しまして

私「これまで、北欧や北米のフライトで、オーロラを観察できましたか?」と彼女に問いますと

「見えても、今夜のようなぼんやりとしたもので、オーロラとはそういうものだ、と思っていた」そうです。

私も、最初は同じように考えたけど、実は違ったこと、NHKの撮影班やJTBノルウェー支店長の話も紹介しましたら、

彼女は目を輝かせて聞いてくれました。


そのような気さくで温かい彼女になら、旅の間、ずっと疑問に抱いたことを、問いかけてみようと話を続けます。

「あのね、往きのフライトで、ロシアを縦断したけれど・・・ロシアがソビエトだったころ、縦断できなかったわよね?」

「私が20代の頃、ヨーロッパを旅したとき、ロンドン直行便でも15時間ぐらいかかって、中国の南の景色とか見下ろした記憶があるの。

今、中近東とかテロとか、局地的には戦争はあるけれど、ロシアになって東西の壁が無くなって、世界は概ね平和になったのかな、って感じたんだけど、

他の旅行客にこの話をしても、皆、分からない様子で・・」

〇〇さん、目を輝かせて「実に興味深いお話です。私は即答できませんが、本日はベテランのアテンダントもおりますので、質問して参ります。

お待たせしてしまうかもしれませんが、必ず、聞いてきます。」


お夕食を終えた頃、〇〇さん「今、大丈夫ですか?」と笑顔で現れ、私も笑顔で応えお話を伺います。

ベテラン(おそらく50代か?)のアテンダントと、更に、コックピットの内部で話合われたそうで・・・

「ソビエト時代は、ソビエトの都市に経由する便以外は、上空を通過することは認められなかった。

「ロシアになって協定が結ばれ、通過できるようになったが、航空規制官と英語のやりとりが難しく、敢て「ロシア訛り英語」を学習している。

「ロシア上空を通過する時は、万一のことが起きないように、頻繁に交信するそうです。」

なるほど、なるほど、と肯きます。


彼女の真摯な態度に、意を強くした私は、次なる質問をします。

「あのね、今回の旅ではアイスランドを一周して、田舎の町のホテルに泊まったのだけど、ホテルのロビーにある時計が、



ロンドン、ニューヨーク、ホテルの町の名前、それにトーキョーってね、必ず「TOKYO」の時計があるのが不思議で・・・

経済大国が理由なら、ドイツや中国の時刻があっても不思議じやないのに・・・」

20代で旅行した大英博物館では、プレート表示言語の6言語は、英・仏・独・伊・西とヨーロッパ各国が並び、最後に日本語の表記があり、

日本人が戦後、営々と積み重ねた努力が、このような形で認められた、と感動したこと。

その後、30代で再び大英博物館を訪れた時、紙のパンフレットは中国語、ハングル語をはじめ世界各地の言語が並ぶ中、

大理石の壁にある説明表示版は、以前のまま、6言語の中に、日本語が燦然と輝いて見えました。

今、経済規模では中国に抜かれ、日本の存在が薄くなる中で、アイスランドの田舎の都市で、東京の時刻を知らせることの意味が、気になりました。」


すると、彼女は「実に興味深いご質問です。必ず、聞いてまいります。」と強い表情で応えてくれました。


しばらくして、彼女は私にお菓子と飲み物を勧めて、運んで参りまして、

「このご質問につきまして、ベテランやコックピットの中でも話しまして、

恐らくは、金融関係者がマーケット開けの時刻を確認するためでは。世界の主要マーケットは、ロンドン、ニューヨーク、トーキョウですから。」

「デジタル時計では、世界各地の時刻を知らせる場合が多いですが、

アナログ時計では、例えばシンガポールでも、ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、トーキョー、となっています。」


そうか!中国は経済発展しようと、国際金融マーケットに則っていない。

それでも、過去の日本人が努力した結果、東京マーケットの存在が重要で、これからも頑張っていかないと、

いつの日か、「トーキョー」から「ベイジン(北京)」に取って代わられるかもしれませんね、

そうならないためにも、私たちは、一生懸命、仕事しなければなりませんね。


ANAの、私を担当して下さった客室乗務員の、温かいおもてなしに感謝の言葉を伝えました。


成田に到着し、夫が車を運転し、無事我が家にたどり着き、「我が家が一番」と安堵して、旅は終わります。

アイスランドを旅するー8日目

2017年02月07日 | 海外旅行
アイスランド旅行も最終日は自由行動となっておりまして、

私たちは、オプショナルツアーには参加せず、自由に町を散策することにしました。


8日前、首都レイキャビックに到着し、時差と睡眠不足で寝ぼけた頭でも、トイレ休憩に立ち寄った



港に面して建つ「ハルパ」、オペラ・コンサート・ホールの美しさは印象的で、

しかも内部には、おしゃれな小物を扱うブティックが、閉店の暗いショーウインドウ越に見て取れ、

「最終日にもう一度来よう!」と決めておりました。


ホテルから一路、ハルパをめざし歩きます。  扉を開けると・・・・



そして、建物の中を通ると、



港(ハーバー・ハルパ)が見渡せます。

断熱のため、二重ガラスとなっていますが、そのデザインの源は、



こちらの岩の特徴である、六角形の柱状の岩石が、列をなしている自然造形をモチーフにしているそうです。

教会も同様です。



このオペラハウス・コンサートホールには、おしゃれな毛糸の帽子やら北国ならではの小物が並び、お土産に丁度よいです。

「66°」というスキー、アウトドア・ウエアのブランドがあり、カラフルな配色で、防寒性優れた衣類や小物を扱って、実にかっこいいです。

甥っ子達に毛糸の帽子を・・・節約家の私は選び迷っていると、夫が「大目に買っておけ~!」と励まされ、

赤、オレンジ、グレー2種、紺2種、計6枚、そこにあるもの全てを買うことにして、

夫が「どれもいい物だから、子供たちに選ばせて、残りを、オレ達が使えばいい~」と名案を授けます。


別のお店では、アイスランドの伝統織柄の、シックな商品が並び、

夫が 「これは、普段着に合わせると、いい 」との鶴の一声で、私たち用と、

更に「お母さんにもいいんじゃないか~」と母へのお土産が決まります。

あっという間に時間が過ぎてしまいます。


夫がたばこ休憩している間に、テーブルウエアのペーパーナプキンを選出します。

欧米ではテーブルウエアが充実しておりますが、ここアイスランドではシックで落ち着いた色調のものが多く見受けました。


大急ぎで、国会議事堂に向い、



裏の塀からお庭を撮影し、



大統領官邸らしき建物などを横目で眺め、昼食抜きで足早にホテルへと急ぎます。

荷物を再確認の上、ロビーで集合し、日本人団体客一同が一斉に空港に向いました。


空港で、アイスランド特産品であるチョコレートのお土産を確保して、隙間時間で、気になる洋服を試着し、ワンピースを1着購入します。

先に進んだ夫は、出国審査の前で、私を待っていました。

急ぎ足の速歩で来た私、汗をかきながら夫に

「ここで待っていてくれて、本当に、ありがとう!!! いやあ・・このワンピ、デザインがどうにも気になって、値段もバーゲンで安くて・・・」

言い訳しつつ、我ながら自分の買い物根性に呆れながらも、満足しました。


私は、夫の買い物時の買い方が好きです。

自営業の社長らしく、周囲へ配慮したお土産の選び方は、さすがだな~、と感心しています。

ここぞ、という時にケチケチしません。

あーでもない、こーでもない、と私は迷ってしまい、己の優柔不断さに、自分で辟易するときがあります。


アイスランドを旅するー7日目の夜、よもやま話

2017年02月02日 | 海外旅行
7日目の夜は、首都レイキャビックのグランドホテルで、JTBツアー客全員が一同に集まり、広いロビーに満席、大変混み合っています。

バイキングではなくコース料理を供され、私と主人が着席するときには、円卓の最後の2席で選びようがなく、

左右両隣りは、クセの強い「避けたい」ご夫婦でした。


それでも私は、右隣の、名古屋から参加されたご夫婦の、ご主人と会話しました。

こちらのご夫婦、温泉2か所とも入浴しなかったのですが、そのことで日本から同行した添乗員の対応に痛く立腹していました。

私もバスの中でやり取りを聞いて、添乗員の未熟さ、機転の利かなさ、配慮不足を感じていましたので、肯いて聞いておりました。

生バンドの演奏と周囲の喧騒で、ご主人の奥方まで、私たちの会話が届かず、

奥方が眉をひそめて「自分たちだけで、会話をしないで!」ときつい語調で私を責め、睨み付けます。

ご主人が、「周囲に聞かれては、都合の悪い話だから」と取り成します。


私の受け答えに気を良くしたご主人が、更に会話を続けます。

定期購読している科学雑誌「サイエンス」が主催していた、地球物理学者が同行するアイスランドツアーに申し込んだものの、

最少施行人数にあと2名足りず、このツアーを申し込んだ、というお話。

私は、「そのツアーの存在を知っていたら、私たちはそちらに申し込んでいました。そしたら、人数足りましたのにね、残念ですね。

「そしたら、沢山、質問できましたのに。私、主人を相手に、島の北東部が絶壁になっているのは、なぜかしら?

アイスランドとイギリスの間の海は、活動が休止したから?イギリスとアイルランドの成り立ちは、アイスランドと似ているのか? 

アイスランドやイギリスは、今後、大陸にぶつかるのか? などなど、独り言のように自問自答していました。」

すると、名古屋のご主人も笑顔で応え、通り一遍の解説では満足できなかった点で、意気投合しました。


それから、オーロラも然ることながら、満点の星を前に、星座表を持参しなかったことが悔やまれることなど、会話を楽しみました。

奥様は憮然とした表情で、生演奏に聞き入り、一曲ごとに拍手を「独りだけ」で贈って、目だっております。

「誰も拍手しないなんて、皆、礼儀知らずだわ」と嫌みを放っていました・・・・


この奥様、かなり風変りな服装で、言動も相俟って、私は「おひいさま」と名付けました。

私の想像では、名門の大名、華族の出、女中さんにかしずかれ、命令するのに慣れ親しんで育った・・・・

夫の想像でも、相当の大金持ちであろう、などと噂しておりました。

翌日夜、帰国の便で判明したのは、この名古屋のご夫婦、ファーストクラスをご利用でした・・・・



お次、私の夫の左隣は、夫が特に嫌悪している、富山から参加した夫婦。

夫は、先方から会話を持ち出されない限り、無視しようと決めた様子でした。と申しますのも・・・


2日目夕食時に相席となり、あちらこちら世界を旅している旅自慢をした挙句に、

奥さんいわく「こちらの滝より、ナイアガラの滝の方が、断然いいわ!」

私の夫が、カナダを旅行したことがあることを知るや、「カナダ側からみるナイアガラより、アメリカ側の方が、もっといいのよ!」とえばります。

私、「それぞれに趣が異なって、それぞれに良さがあるのに、日光の華厳の滝と、茨木の袋田の滝を比較するのが、ナンセンスであるように、

アイスランドの滝と、ナイアガラの滝を比較するのは、無粋ですわ 」と言葉を・・・・飲み込みました。

夫は、その旦那に「こいつ」呼ばわりされ、無礼さに腹を立てました。


4日目の夕食時、その奥さんは「この席は、私がとっといたのよ!」と私の正面席の紳士を責め立てます。

紳士は、お食事のお皿も既に置いているのです。反論しますが、富山の奥さんは語気強く返しますので、

私が紳士に「よろしければ、こちらのお席(私の2つ隣)空いております、移りません?」とフォローしますと、

今度は、「私の、置いておいたバックが、無いわ!」と叫びますので、私の夫が周囲を見渡して、

「ここにバックがありますよ」と、私たちの背後の席を示しました。

そこでは、その奥さんの夫が座って、食事をしています。

「なんで、あなた、そこに座っているの!?」

・・・はっとして、ようやく自分が間違えたことに気付き、紳士に「すみません」と詫びました。

その紳士は、顔を真っ赤にして、怒りと恥を抑えて、「いいんです」と小さな声で返していました。


翌朝、朝食バイキングの時、私の夫がその富山の奥さんとすれ違った折、夫は「おはようございます」と挨拶しましたが、無視されたそうです。

なんとも、下品な夫婦です。



ついでに、他のクセある夫婦を紹介しますと、福井から参加された、定年退職後の元教員とおぼしき夫婦。

旦那が説教調で、上から目線で、政治談議をした挙句、「自分だけが正しい」と断じる様子。

ツアーの食事やらなんやら、顔を真っ赤に怒らせて難癖をつけています。

文句言うのが自分の仕事、と信じて疑わない現役時代を過ごしてきたのでしょう。クレイマーですね。



私は、元来、人と会話して楽しむのは好きですから、いろんな方と相席になるようにして、危険分散、リスクヘッジに勤めました。

そうする内に、かの紳士と会話を楽しむようになり、

その会話を聞きつけて、自然と気の合いそうな人々が集まり、最終日の夜には、「あの~、オーロラを見に、ご一緒してもいいですか?」

などと声を掛けてくださるご夫婦が現れ、輪ができて、夜のレイキャビックを港に向って、おしゃべりしながら散策を楽しみ、

灯りの少ない港の公園で、夜空を見上げてオーロラを待ちながら、旅の終わりに、それぞれ感じたことを話し、感動を分かちあいました。

最後の夜、オーロラには逢えませんでしたが、楽しく過ごすことができました。