智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

父の命日に寄せて

2017年12月18日 | 日記
寒波押し寄せる寒い深夜、父の様態が急変し、
救急車で搬送された病院で、亡くなってから、
父が鬼籍に入った50歳という年齢を、
ずっと心深く刻んで、
三十年という月日が過ぎ、
私は父の年齢を、無事、越えました。

写真の中の、父は、永遠に50歳のまま、静かにこちらを見つめています。
今でも、美しい空を見上げると、父に会いたい、と込みあげるものがあります。

そして今、私は、平穏に、無事に過ごせる、この毎日が、とても有りがたい。
これからも、日々、大切に生きていきます。
どうぞ、私たちを、お見守りください。



新しい出会い

2017年12月17日 | 書道、絵を描く
書道具専門店へ、客人の少ない時間帯に通い、番頭さんと話すようになり、
大学の市民講座で、講師によってなされた言動が、書道の世界の常識なのか?
私の疑問に、的確に答えてくださいました。
そして、ある先生を紹介してくださいました。

恐る恐る、私の最近の書作を持参し、番頭さんに見ていただき、
「大丈夫、その先生のお教室を、見学して御覧なさい」
とご推薦いただきました。

それならば、と意を決して、
番頭さんに、これまでの親切にお礼の意を込めて、菓子折りを手渡し、
お教室見学に伺いました。

K先生のクラスは、
大学のゼミ室のように、熱気と活気に溢れ、
先生を囲む生徒や、生徒同士で互いに論評しあう様子が、
懐かしく、感動しました。

K先生は神戸から新幹線で月1回見えます。
なんと、朝9時から、10数名が集まり、お昼は出前や弁当を皆で囲み、夕方4時過ぎまで、
先生と生徒(皆、中高年です)が、わいわいがやがや

昼食前に入室した私に、先生は「次回、何か、作品を持っていらっしゃい」
とおっしゃるので、「実は」と持参したものを、お目通りいただきました。
黙ってご覧になり、お昼ご飯のテーブルにつきました。

昼食を終えて、私の傍にお越しになって、
「これまでの書道歴は?」
「高校の授業以来、30年ぶりに、今年の5月から仮名書道を始めました。」

「先生は?」
「先生は、毎日会系、日書美会系の、W先生です。」

「釈迦に説法かもしれないけど・・」
「いえ、先生、私、基礎からやり直したいんです。
これまでの先生の教えで、納得できなくて、白紙に戻して、やりたいのです。」

K先生は頷いて、席に着き、
「中鋒が要」とおっしゃいながら、一本の直線を描き、
「側鋒は、汚くなる」
ずばり、私の欠点を指摘された、と受け止めました。

「先生、筆の持ち方から、教えてください」
先生は再び肯いて、
肩から筆までの位置関係、紙との位置、目線、そして、中鋒とは何かを書き示されました。
そして「いろはから、やっていただきます。」
「はい、お願いします。」
「お手本を送ります」

数日して、お手本とテキストのコピーが送られ、
読む手が震えました。
「書の奥義」に触れた、と心底感動したのです。

私は、W先生の指導の下、様々な疑問を抱き、
特に古典の臨書、つまり名手の筆跡と、W先生の筆跡が合わないので、
密かにああでもない、こうでもないと試行錯誤をして、
書物も次々購入し、研究していました。

その疑問の答えが、ここにあり、全て氷解しました。
その教えの意味深さも、即座に理解できたのです。

もちろん理解したからといって、会得できるまでには、月日が係ります。
それでも、この練習を地道に積み重ねることが、肝要であると分かるゆえに、
私は毎朝、嬉々として、「いろは」に臨んでいます。

「求めよ、さらば与えられん」
多くの出会いの中で、宝のような出会いは少ないものです。
専門店の番頭さん、K先生と出会て、
これまでの苦しみは、報われました。
このご縁を、大切にしていきたいと思います。



大学に物を申す

2017年12月07日 | 書道、絵を描く
D協大学の市民講座「仮名書道」講師の、
教師として不適切な発言、金銭面での不明瞭な提示、法外な謝礼金の要求について、
大学に物を申してから立ち去る、と意を決して、
11月20日に苦情を口頭および文面で申し立てました。

昨日、決着を見ました。
市民講座の総括責任者A氏(経済学部教授)より、大学としての見解を頂き、
私の苦情申し立てが、全面的に受けいられました。

担当が他の受講者への聞き取り調査を実施した結果、
私の主張する「事実」があったと認め、
更に、講師へヒアリングした結果、開講当初説明した大学のルールに抵触する内容の「言い訳」もあり、
講師は「辞任」という形で、幕引きとなりました。

この2週間、すんなり運んだのでは、ありません。

市民講座の担当課員の反応から、意識レベルの低さが伺え、難航するのが予想されました。
「面倒を持ち込んできた」とあからさまに言う男性課長H
メモすらとれない男性係長、
話が通じる女性課長W、と思いきや、
彼女は講師の個人教室にも通い、ホテルのパーティーでは講師の作品40万円お買い上げする熱烈ファン

弱ったな・・・とネットで組織図を見て、総務部人事課に相談しました。
サラリーマンは本社「人事」に弱いもの。
そちらから、「本気で真剣に対応せよ」とプレッシャーを掛けてもらいました。

弱気をねじ伏せ、強い物にへつらうH課長は、
講師一人の責任を負わせて、講師と生徒間のトラブルに、大学は関係ないとばかりの「言い逃れ」に対して、
「市民は大学の案内パンフを見て、大学が招聘した講師ならば安心、と申し込むので、大学の責任は免れない。」
外堀を埋めて、ようやく本丸、「長」のお出ましです。

「長」の前では課長H氏は、いっぱし優秀な課員を演じます。
私の前では、ねちっこい小声で、無責任極まりない放言し放題。
もちろん、課員との打ち合わせ後、会話の内容および当方の反論は、すべて、メールで関係部署におくり、
不用意な発言でこちらを怒らせることが無いよう、
「長」より「課員」に対して厳重注意するよう警告しました。

レッドカードは
日書展申し込み代金49500円の内、半分を講師が「指導料」としてピンハネしていた事実。


私が調べ上げた事実、展覧会主催者側に1万3千円、表具代金1万円前後、が必要経費とみなされるが、
残金2万円超が使途不明金、と大学に指摘しました。

大学が講師に問うと「指導料」としてもらっていた。
これが墓穴となりました。
大学は市民から受講料を得ていますが、
これ以外の金品を、講師が生徒から受領してはならないルールなのです。

ところで、展覧会出展のための「別途指導」を受けていない生徒たち、空いた口がふさがらない。

レッドカードその2
個人教室への勧誘、ホテルニューオータニでの会費1万6千円のパーティー勧誘が、「しつこい勧誘」とみなされた


レッドカード3、市民講座ご案内のカリキュラムからの逸脱
そもそも展覧会出品について案内記載無い中で、後期授業の中核に据えたこと。
筆1500円、半紙1000円の販売「ご案内」に比し、
実際は筆3200円、料紙5000円超を購入しないと授業についていけない流れであること
初級クラスのレベル設定を勝手に引き上げたことで、受講者の3分の2まで欠席者が増加したこと

教師としてあるまじき発言内容
・質問拒絶「お月謝いただいていませんから」(個人教室1万2千円の月謝を得ていないことを理由に)
・侮蔑発言「幼稚園生でもあるまいに」
・展覧会に出品せず、後ろで座っているだけの生徒は辞めて欲しい
は道義上、講師から生徒に謝罪するよう、大学側が求めたそうです。


最初、私一人で声を上げましたが、タイミングが良かったです。
後期の授業が、あと3回残り、大学が出席者に対して、ヒアリングで事実関係を把握できました。

また、大学側の応対に不信感を抱いた私は、もみ消され、嘘つき呼ばわりされることを恐れ、
思い切って、初級と中級クラスの皆様に、大学に苦情申し立てしている内容を知らせ、
アンケートやヒアリングに積極的に応じてほしい、と呼びかけました。

すると、
「私も、ずっと頭にきていた!」
「一活前払いで、お金がもったいないから、我慢して出席していた」
「お金が無いから、紙や本が次々変えなくて、授業についていけなかった」
「よくぞ、言ってくれた」
「一人で、大変だったね」
私の周りに、多くの受講者が集まり、労苦が報われました。

私は高価な教材を次々買い、2つの展覧会出展にも応じ、
周囲には、似た人が集まりましたが、
講義の声を上げて以降、集まってきた人たちは、
講師が辞めて欲しいと示した「出品もせず、後ろで座っているだけの生徒」
しかし、数では、こちらの方が大多数を占めていました。

年金暮らしの地域住民が参加する、大学の市民講座では、
このような方たちが満足する「仮名書道」講座を再開して欲しい。

その時は、「誰かと誰かを比べ、褒め貶す」人物ではなく、
「先週より上達しましたね」と一人ひとりの上達を共に喜べる、
生徒個々人の立場で考えられる、
大学という教養の場に、相応しい「師」を招聘してください

と結びました。