ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【異常性愛の精神医学】小田 晋 ふたばらいふ選書 

2005年09月29日 | 2005 読後のひとりごと
 渋沢龍彦がとりあげた文学の異常性愛の世界は耽美的な妖しさもあった。
小田は医学の冷めた眼で異常性愛者の精神的病理の世界をとりあげているだけに読後感は深い闇の暗さに浸るやりきれなさが残った。
 宮崎勤事件や神戸事件などに共通しているのは、かれらの引きこもりがちな病理とマスメディアの中に自分を誇示しようとする特異な表現方法だ。
ネット時代になると、こうしたいびつな自己主張はさらに変質をたどっててゆくのではないだろうか。
 今の世の中は、女性のなかに「男性性」が大きく育って増えてきている状況と、母的なやさしさと甘さを求めようとする男性とのギャップが大きくなっている。
性のモノ化傾向が強まり、相互性への求め合いの関心が乏しくなって活力としてのエロスは薄められた。
従来の「性」の快楽を味わえない若者が増えてきているのは、ゆゆしきことだ。
異常性愛事件が起こりやすくはなるが、ここからは社会的活力は生まれまい。
 かって1960年代頃には、仕事から解放された男たちはその夜、居酒屋で「おかあさん」バーでの「ママ」を求めた。
その擬似恋愛の環境は今はもうない。
求めても若いいまの女性にはそれを上手に表現することはできまい。

 定年直後、職能訓練で中級パソコン教室に通った。
30名近くの生徒の中で男は二人だけ。
3ヶ月の教室のなかの日々の彼女たちを見ていると、各年代とも自立欲求と欲しいものを手に入れる逞しさは相当なものだった。

 女が男を選ぶ時代など、ろくなことはないのだが・・。 

 ところでこの本。
裏扉の著者略歴が1993年大阪生まれとあった。
小田氏は72歳のはずで、これでは12歳になってしまう。
ひどい誤植なので電話でクレーム、担当は平謝りだった。

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アーチャンとNPO農園へ。
自転車で片道25分の距離にあるが、今日はペアを組んだ赤とんぼが秋風に乗って無数に流れてくる。
時々は”ひとりもの”もいたが、ほとんどが対をなし同じ方向に向かって飛んでいた。
農園ではレタスの覆いを修復、先日種を撒いた小松菜とほうれん草への水やり。
長柄の柄杓で川水をとりバケツで運ぶ。
ピーマンなども収穫。
 稲田に残っていた水溜りに、赤とんぼが産卵をしていた。
先頭のオスが空中でメスを誘導し、メスは尻先を水面につつくようにして卵を産む。子供のころによく見た光景だったが、つい忘れていたなつかしい眺めでもあった。
このあとカップルを組んだ赤とんぼはどこへ飛んで、どうなるのだろう、などと話ながら帰る。



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