ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【上海1930年】尾崎 秀樹 岩波新書 

2005年09月27日 | 2005 読後のひとりごと
【上海1930年】尾崎 秀樹 岩波新書 

 ゾルゲ事件で死刑となった尾崎秀実は昭和4年、朝日新聞記者として上海支局に赴任する。
当時の上海は列強国の特権や野望、抗日の空気が渦巻いている社会だった。
内山書店や東亜同文書院を舞台に魯迅、スメドレー、尾崎、ゾルゲ、反戦工作の日本人学生などが交錯、地下活動をくりひろげる中国の抗日左派面々の人間模様が実録的に描かれている。
尾崎はドイツ語や英語が堪能で上海行きに選抜されたようだ。  
当時、朝日の上海支局は10人に満たない支局だったとあるが、彼の思想はほぼ完璧なコミュニストとして固まっていた。
そのことに周囲の同僚の記者たちは、まったく気がつかなかったのだろうか。
あるいは尾崎や読売の鈴木東民にしても当時の個々の記者の主体性や思考は比較的自由であり、仕事ができる記者であれば経営者にとっては「思想性」は問題外としていたのだろうか。
この本、1930年代の激動する上海は描かれていたが、文体は別人のように硬く強い違和感が残った。
大衆文学をほしいままに料理し、歴史へのきびしい視点と洞察を持つ著者の鋭い切れ味が見られない。

尾崎さんのトレードマークは和服姿。
山形酒造組合主宰の会が東京・赤坂前のホテルで数年行われたことがあるが、必ず出席されていた。
小生も近くで飲んでいたが、こちらは名前を名乗るほどのものでもなく、ただ山形酒を愛でる会の雰囲気の中で盃を手にする作家を見つめていた。
尾崎氏は93年にペンクラブの会長をつとめたあと、99年の9月に亡くなっている。
ゾルゲ事件での兄の処刑から50年目に弟がペンクラブの会長に就任したことは、時代の大きな流れ節目を感じさせるものがあった。

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