ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【9四歩の謎】岡本 嗣郎 集英社 

2005年09月29日 | 2005 読後のひとりごと
【9四歩の謎】岡本 嗣郎 集英社

将棋界名人を自称した坂田三吉が公式対局の一切剥奪され、中央棋界から絶縁される。
16年後初の実力名人制リーグに参加。
覇気あふれる若手強豪と五分の成績を残し1期限りで引退する。  
大切な復帰戦でなぜ坂田は初手に9四歩を選んだのか、なぜ坂田は名人位を自ら名乗って絶縁されたのか、なぜ初のA級リーグ戦には参加したのか、さまざまな謎を追って著者は見事にその回答を示してくれた。
昭和12年2月京都南禅寺での坂田対木村の1週間にわたる闘いは有名。
15年間にわたって公式対局を剥奪された坂田を時の名人の呼び声が高かった木村義雄と対戦企画を実現させたのは読売新聞。  
この闘いで後手番の坂田は9四歩を初手に選んだ。
この端歩突きの手は私のような素人初段でもわかる奇抜な手で、完全に手損の一手として映る。
しかし、この一戦を評して中原は
「たいへん良い将棋で棋譜を残す価値ある内容」
とし
「自分が66歳(坂田の歳)になってあれだけ指せるかは自信がない」としている。
また9四歩の指し手について羽生は
「新手、歴史の謎」
とし谷川は
「非常に純粋な将棋。どう解釈すれば・・・ 精一杯がんばって3手目だったら指す」
とのべ名人経験者クラスが坂田の将棋に一様な戸惑いと畏怖を感じている。

16年の時空を封印させられた68歳の坂田のリーグ戦活躍に現代が見失った男としての影絵を見た。
  「あんたこそ本当の名人です。長い間じゃありません。私はきっとあんたに名人位をゆずりさせてもらいます」
北条秀司の「王将」脚本は関根にしてこの言葉を坂田に語っているが、これは北条が大正14年関根名人位誕生にまつわる取材で内幕真相を知っていた大阪朝日新聞の記者に取材して確かめた台詞だったことをはじめて知った。
 「木村を負かすにはあんたや。あんたのほかにあらへん。あんたの将棋はいい将棋。大きな将棋や」
後年の坂田が升田幸三に残した言葉とされる。
 この南禅寺の対局写真を私は見た記憶がある。
東京神田のガード下に将棋道場があり、坂田、木村など関係者も写っていた珍しい写真だった。
この道場には背が低い小太りの席主がいて、場を仕切っていたが一時はプロを目指した人と聞いた。  
将棋ロマンを語ってこの右に出る本はない。
名作と思う。

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