3月21日
曇り。
「今日は寒いね」 犬連れたご同輩の朝のことば。.
寒いという陽気ではないが、北風がともかく冷たく、 夕方まで吹く。
Y医院へ検便届ける。
ついでに花粉の薬をもらう。
入浴して 寝違えた腰部と脚部、臀部を温浴して湿布。
【大久保利通】笠原 英彦 吉川弘文館を読む。
大久保と水戸・天狗党との関わりはないのだろうが、その風聞を聞いて 倒幕への道へ始動しはじめた彼の日記はおもしろかった。
去る四日に武田始め27人ことごとく刎首、七日まで赤身になし、東飯にて獣類の会釈(中略)実に聞くに堪えざる次第なり、是を以て幕府滅亡の表と察せられ候、(大久保利通日記)
徳川慶喜を頼っての天狗党行軍は大量死で報復された。
そのむごい仕打ちを利通は「獣類の会釈」としてもはや衰亡まぎれもない幕府の運勢をつかんだ。
だが、このリアリストは藩からはやがて冷たい目を注がれ、孤独であり且つ孤立もしていたことをこの本で知った。
あの久光からも離れ、西郷を討つ。
明治初期の殖産事業や征韓論反対などのリアルな彼の政治感覚は父親が島流しにあったこともあって困苦辛酸をなめた自らの体験にあるのではないだろうか。
ただ「篤姫」での大久保役に原田 泰造が演じてるのには驚いて笑ってしまう。
クイズ番組でのボケ役が魅力的で、そのほうの印象が強いから絵になりにくい。
どうみても大久保とは違うキャラの味わいだ。
3月22日
郷土史研究会 の古文書読む会に出席。
いくつか学ぶ。
江戸時代にあって「壱」とか「弐」の数字は年貢帖には絶対に必要だったことがわかる。一とか二であれば文字加工ができる。
年貢取立ての制度は取立てるほうも、取立てられるほうも、双方の命綱であったことがよく理解できた。
江戸時代の用紙はB判 だったこと。
小以(こい) = 小を表すこと。
大名紋には「表紋」と「裏紋」があり、 場面によって使い分けていた。
たんぼごとに税率は異なること。
「取箇」とは田畑に課した年貢であったこと。
などを、るる学ぶ。
古文書に記録された「木崎村」とは現在の庄和町で深輪工業団地近い旧桜井村だったらしい。
江戸 農民のいのちとは「水」。
水こそいのち、わがいのちであり、土地なくて生きて生けない暮らしぶりが古文書から伝わってくる。
この郷土史研究会というのはどこでも同じような経緯から誕生しているようだ。
地元大学の歴史学者などがまず中核となって、その教え子の教員や学生、役場の文化財担当者や学芸員などが集まって地域史を学ぶ。
「研究会」はその余波として発足していることが多そうだ。
現に、この会の主力幹事の数人は近隣の小中高の校長や教育関係者が多い。
先生役のNさんは高崎生まれ。
このNさんも地元中学の元校長さんだった。
鷲宮町史など近隣市町村の市史類などをかなり編纂している人だ。
それはどうでもいい。
要は近世文書が読めて理解ができて私のような、ど素人にレクチャしてくれれば大いにありがたく、学歴や経歴はまったく関係がない。
1反 とは 991.735537 m2であり、10畝。
1畝は、30歩。
江戸時代の1反の米収穫は2俵半程度だが平成の今は6~8俵に相当だったらしい。
(群馬の 沼田藩は最悪の収奪。7公3民。
4分が1両、4朱が1分、 永の単位は別システム。
3月24日
昼過ぎに地震。この辺りは震度2.震源地は福島沖40キロ、Mは5.3。
「だれでもよかった」荒川沖の殺傷事件で兄に見舞いの電話。
私も帰省するたび、この駅と事件の場所は買いものにもよく使っているところだ。事件には兄も驚いていた。
心配していた彼の難聴は風邪による一時的なものとわかりホッとする。
甥っ子のTは土浦の高校の英語教諭になったとのこと。
3月25日
公民館で香港呉式太極拳を学んでいるクラブがあることを知る。
いま続けているテニスの魅力は代えがたいものがあるけれど、年齢からの対応も考えないとと、思っていた矢先に貴重な情報だった。
昔、友人のTから簡化太極拳を習ったことがあり、その型の基礎はおなじものではないかという予感もある。
ジョイフルで買い物。
任天堂のDSの「えいご漬け」というのは実に面白いゲームだったが、これは中学生になった孫に貸し、「もっとえいご漬け」というのを求める。
ブロッコリー、ネギ、レタス、チンゲンサイなどの苗も購入。
3月26日
公民館の太極拳クラブに顔を出し幹事の好意に甘えていちばんうしろで型の演舞をなぞってみる。
「単鞭」や「雲手」の型原型はほぼ同じと感じた。
あんこうさんから電話。潜血検査の体験など聞く。
菜園作業。
ネギ100本、レタス20株植えつける。
3月27日
近隣で借り農園でやっているSさんと春野菜談義。
チンゲンサイ、ブロッコリー株を植え付け。
3月28日
3人の囲碁・将棋会。
やってきたN君とデジカメで撮っておいた指し掛けの棋譜から前回の続きをやる。負ける。
碁敵のSさんも昼ごろに来る。
SとNの対戦のあいだに、自家製小松菜と豚バラの炒めもの、チャーハン、豚舌ハムなどの肴を作る。
夕方、娘一家がやってきて夜息子一家も来訪。
そのにぎやかなこと。
3月29日
泊まっていたい娘のマゴ二人とあーちゃんも一緒にと北越谷の第五公園に行く。
バードウオッチングの会があることを知り事前に申し込んでおいた。
ここは元荒川沿いにある公園で近くに鴨場もあり、桜も八分咲きでなかなかよいところだった。
3時間の探鳥だったが20種類をトリアワセで確認。
ショックだったのはこの近隣で生息しているはずのシラコバトの姿が見えないこと。
豚舎や養鶏場経営をする人が少なくなることによってかれらの餌場も激減しているらしい。
シラコバトはちいさい小鳩だが、首筋に可愛い横の文様がある。
その姿が見えないのはやはり気になった。
3月30日
泊まったマゴ二人とあーちゃんとでボーリング場に行き卓球を楽しむ。
娘が迎えにきたその足の車でショッピング。
4月に会社で同期生だった2人とN君とで大宮公園で花見をすることになっているので銘酒・八海山や当日のツマミ類を用意する。
3月31日
Sさんご夫婦の車で佐野市の三毳山万葉自然公園「かたくりの里」へ。
小雨の中、カタクリの群生をあちこちで見る。
凛とした野生小花の趣があってたいへんよかった。
満願寺傍の蕎麦屋に寄るが、ここのソバもタラの目、マイタケの天婦羅もおいしかった。
山野草を売っている店でオオデマリ、タイツリソウ、カタクリ(黄色)を
求む。
明日からは4月だ。
桜咲く春にマゴたちは巣立つ。
ピカピカの中学生と小学1年生が誕生する。
5人の孫もそれぞれ年、年、歳、歳の感じがして、去年の今と同じようでもあきらかに違っている。
駄文、拙文でつづってきたブログ日記だったが、ひとまずこの区切りの季節を持って休載としたい。
長いあいだ、おつきあいいただいた方々、励ましを寄せてくれた友に厚く感謝申し上げます。
では みなさまお達者で。
曇り。
「今日は寒いね」 犬連れたご同輩の朝のことば。.
寒いという陽気ではないが、北風がともかく冷たく、 夕方まで吹く。
Y医院へ検便届ける。
ついでに花粉の薬をもらう。
入浴して 寝違えた腰部と脚部、臀部を温浴して湿布。
【大久保利通】笠原 英彦 吉川弘文館を読む。
大久保と水戸・天狗党との関わりはないのだろうが、その風聞を聞いて 倒幕への道へ始動しはじめた彼の日記はおもしろかった。
去る四日に武田始め27人ことごとく刎首、七日まで赤身になし、東飯にて獣類の会釈(中略)実に聞くに堪えざる次第なり、是を以て幕府滅亡の表と察せられ候、(大久保利通日記)
徳川慶喜を頼っての天狗党行軍は大量死で報復された。
そのむごい仕打ちを利通は「獣類の会釈」としてもはや衰亡まぎれもない幕府の運勢をつかんだ。
だが、このリアリストは藩からはやがて冷たい目を注がれ、孤独であり且つ孤立もしていたことをこの本で知った。
あの久光からも離れ、西郷を討つ。
明治初期の殖産事業や征韓論反対などのリアルな彼の政治感覚は父親が島流しにあったこともあって困苦辛酸をなめた自らの体験にあるのではないだろうか。
ただ「篤姫」での大久保役に原田 泰造が演じてるのには驚いて笑ってしまう。
クイズ番組でのボケ役が魅力的で、そのほうの印象が強いから絵になりにくい。
どうみても大久保とは違うキャラの味わいだ。
3月22日
郷土史研究会 の古文書読む会に出席。
いくつか学ぶ。
江戸時代にあって「壱」とか「弐」の数字は年貢帖には絶対に必要だったことがわかる。一とか二であれば文字加工ができる。
年貢取立ての制度は取立てるほうも、取立てられるほうも、双方の命綱であったことがよく理解できた。
江戸時代の用紙はB判 だったこと。
小以(こい) = 小を表すこと。
大名紋には「表紋」と「裏紋」があり、 場面によって使い分けていた。
たんぼごとに税率は異なること。
「取箇」とは田畑に課した年貢であったこと。
などを、るる学ぶ。
古文書に記録された「木崎村」とは現在の庄和町で深輪工業団地近い旧桜井村だったらしい。
江戸 農民のいのちとは「水」。
水こそいのち、わがいのちであり、土地なくて生きて生けない暮らしぶりが古文書から伝わってくる。
この郷土史研究会というのはどこでも同じような経緯から誕生しているようだ。
地元大学の歴史学者などがまず中核となって、その教え子の教員や学生、役場の文化財担当者や学芸員などが集まって地域史を学ぶ。
「研究会」はその余波として発足していることが多そうだ。
現に、この会の主力幹事の数人は近隣の小中高の校長や教育関係者が多い。
先生役のNさんは高崎生まれ。
このNさんも地元中学の元校長さんだった。
鷲宮町史など近隣市町村の市史類などをかなり編纂している人だ。
それはどうでもいい。
要は近世文書が読めて理解ができて私のような、ど素人にレクチャしてくれれば大いにありがたく、学歴や経歴はまったく関係がない。
1反 とは 991.735537 m2であり、10畝。
1畝は、30歩。
江戸時代の1反の米収穫は2俵半程度だが平成の今は6~8俵に相当だったらしい。
(群馬の 沼田藩は最悪の収奪。7公3民。
4分が1両、4朱が1分、 永の単位は別システム。
3月24日
昼過ぎに地震。この辺りは震度2.震源地は福島沖40キロ、Mは5.3。
「だれでもよかった」荒川沖の殺傷事件で兄に見舞いの電話。
私も帰省するたび、この駅と事件の場所は買いものにもよく使っているところだ。事件には兄も驚いていた。
心配していた彼の難聴は風邪による一時的なものとわかりホッとする。
甥っ子のTは土浦の高校の英語教諭になったとのこと。
3月25日
公民館で香港呉式太極拳を学んでいるクラブがあることを知る。
いま続けているテニスの魅力は代えがたいものがあるけれど、年齢からの対応も考えないとと、思っていた矢先に貴重な情報だった。
昔、友人のTから簡化太極拳を習ったことがあり、その型の基礎はおなじものではないかという予感もある。
ジョイフルで買い物。
任天堂のDSの「えいご漬け」というのは実に面白いゲームだったが、これは中学生になった孫に貸し、「もっとえいご漬け」というのを求める。
ブロッコリー、ネギ、レタス、チンゲンサイなどの苗も購入。
3月26日
公民館の太極拳クラブに顔を出し幹事の好意に甘えていちばんうしろで型の演舞をなぞってみる。
「単鞭」や「雲手」の型原型はほぼ同じと感じた。
あんこうさんから電話。潜血検査の体験など聞く。
菜園作業。
ネギ100本、レタス20株植えつける。
3月27日
近隣で借り農園でやっているSさんと春野菜談義。
チンゲンサイ、ブロッコリー株を植え付け。
3月28日
3人の囲碁・将棋会。
やってきたN君とデジカメで撮っておいた指し掛けの棋譜から前回の続きをやる。負ける。
碁敵のSさんも昼ごろに来る。
SとNの対戦のあいだに、自家製小松菜と豚バラの炒めもの、チャーハン、豚舌ハムなどの肴を作る。
夕方、娘一家がやってきて夜息子一家も来訪。
そのにぎやかなこと。
3月29日
泊まっていたい娘のマゴ二人とあーちゃんも一緒にと北越谷の第五公園に行く。
バードウオッチングの会があることを知り事前に申し込んでおいた。
ここは元荒川沿いにある公園で近くに鴨場もあり、桜も八分咲きでなかなかよいところだった。
3時間の探鳥だったが20種類をトリアワセで確認。
ショックだったのはこの近隣で生息しているはずのシラコバトの姿が見えないこと。
豚舎や養鶏場経営をする人が少なくなることによってかれらの餌場も激減しているらしい。
シラコバトはちいさい小鳩だが、首筋に可愛い横の文様がある。
その姿が見えないのはやはり気になった。
3月30日
泊まったマゴ二人とあーちゃんとでボーリング場に行き卓球を楽しむ。
娘が迎えにきたその足の車でショッピング。
4月に会社で同期生だった2人とN君とで大宮公園で花見をすることになっているので銘酒・八海山や当日のツマミ類を用意する。
3月31日
Sさんご夫婦の車で佐野市の三毳山万葉自然公園「かたくりの里」へ。
小雨の中、カタクリの群生をあちこちで見る。
凛とした野生小花の趣があってたいへんよかった。
満願寺傍の蕎麦屋に寄るが、ここのソバもタラの目、マイタケの天婦羅もおいしかった。
山野草を売っている店でオオデマリ、タイツリソウ、カタクリ(黄色)を
求む。
明日からは4月だ。
桜咲く春にマゴたちは巣立つ。
ピカピカの中学生と小学1年生が誕生する。
5人の孫もそれぞれ年、年、歳、歳の感じがして、去年の今と同じようでもあきらかに違っている。
駄文、拙文でつづってきたブログ日記だったが、ひとまずこの区切りの季節を持って休載としたい。
長いあいだ、おつきあいいただいた方々、励ましを寄せてくれた友に厚く感謝申し上げます。
では みなさまお達者で。
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