平成10~13年度にわたる文部省科学研究費補助金によるクイズ共同研究をこの本にまとめたという。
クイズ史の紐解きは、それなりに面白かったので、メモ。
【クイズ文化の社会学】石田佐恵子, 小川博司編 世界思想社
■■ テレビクイズ番組史
● 当てものの司会は徳川夢声翁
クイズという洒落たことばは、まだなかった終戦直後の時代。
なぞや判じ物の類は「当て物」と言われていた。
真空管ラジオから聞こえてきたのは「話の泉」。
初代の司会者は、徳川夢声。 解答者は、堀内敬三、サトウ・ハチロー、渡辺紳一郎、山本嘉次郎ら。
終戦の翌年末から東京オリンピックの年まで18年間、ラジオ第1放送でやってたクイズバラエティ番組だった。
多彩なメンバーの解答には驚くほどの博識とユーモアがあり 、聞いていた大人のほうが唸っていた。
この点、発言の軽さ、内容の薄さだけが目立つ現首相とはかなりの違いがある。
● 記憶はるか 「二十の扉」や「誰でしょう」
わたしはだれ? ここはどこ? となると行く先の危ない年齢になるのだが、頃はわれわれの少年時代の話だ。
同じ世代であればきっとおぼえているでしょう。 「二十の扉」に「私はだれでしょう」
これらに追いかけて続いたあった看板番組が「とんち教室」。
これも終戦直後から昭和30年代にかけてのNHKラジオの人気番組だった。
いまの平成教育委員会と同じく先生と生徒に分かれていたが、「出席をとります」石黒敬七さん、「はい」長崎抜天さん「ハイ」、 玉川一郎さん、春風亭柳橋さん、桂三木助さんとお馴染みの名がいつも呼ばれ返事をしていたから記憶に残っている。
● 占領軍 ラジオを使ってデモクラシー
忘れてならないのは終戦直後は米軍の占領下にあったことだ。
GHQは、敗戦国日本にアメリカン民主主義を啓蒙した。
一方で、特にメディアの役割を重視し、CCD(民間検閲支隊、民間検閲部)による検閲、CIE(民間情報教育局)という機関を設けた。 (映画、新聞も検閲、校閲がきびしくチェックされたがこれは別の話になる。)
その手段にメディアの一つであるラジオがをおおいに利用された。
GHQは上下の一方通行より対話形式を選び、そのソフトとしては、クイズ番組がgoodだった。
民主化の呼び水になったのが「話の泉」と「二十の扉」という指摘が本文にあった。
CIEがNHKに指示、局側は助言と受け取ったというクイズ番組が作られていく。
かくてデモクラシーがひろまったが、でも暮らしのほうは大変だった。
ラジオを聞くより停電もやたらに多かった。
ロウソクで夕食を囲んだ記憶も残っている。
● 私の秘密 知識人が明解答
「三種の神器」ということばが流行語になった1955年。
いまの白物家電で 電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョンを持つことがあこがれだった時代だ。
米屋さんとか豆腐屋さんなど町中のリッチな家にはテレビがあった。
そこで「私の秘密」がスタートした。
米の人気番組『I've Got a Secret』の日本版として製作されたという。 60年代半ばまで人気のあった番組で1961年のNHK世論調査では視聴率は常時30%を記録。
司会者は高橋圭三、「こんにちは 高橋圭三でございます。事実は小説より奇なりと申しまして、世の中には変わっためずらしい経験を・・・」 という明るい声があり、常連組は渡辺紳一郎、藤原あき、藤浦洸、塩月弥栄子らだった。
謎解きに常連者の博学、機転、教養が披露され薀蓄トークショーの一面もあったが、それも人気の一つだった。
並んで人気だったのが「ジェスチャー」。
形態模写で答えを導くもので、柳家金語楼のが絶品だった。
■■ お茶の間という空間
● 父親の席にテレビが座ってた
我々の子供の頃は親父が着座しなければ夕食ははじまらなかった。
親父は稼ぐ人であり、その恩を知るためにもおかずも一品多かった。
よくも悪くも親父あっての茶の間だった時代もあった。
ところがテレビが普及してその座がチェンジした。
テレビというメディアが家族を茶の間に集めることに成功した。
お茶の間の団欒ということばが生まれ、親よりもこどもの方がピぃンーポン と正解率が高くなると、親もにんまりと喜んだ。
有害なシーンがないから親も安心してクイズにつきあっている。
この本で、村瀬敬子さんの「クイズ番組と一家団欒」は的を絞った論考でわかりやすく、共感できた。
朝の連続テレビ小説に茶の間が舞台となることが多いというのも、この頃の流れをひきずっていないだろうか。
● 視聴者が上下の箱で賞金を
視聴者参加型クイズ番組が登場し70~80年代半ばまでが全盛期となる。
その代表番組が「アップダウンクイズ」 解答席がゴンドラになっていての早押しクイズ。不正解にはゴンドラは下がる。
10段までゴンドラが上り詰めるとでハワイ旅行と賞金が出る。
● クイズ番 ああ~あこがれのハワイ航路
「10問正解すれば夢のハワイへ」がアップクイズの呼び声。
今でもそうだが、なぜクイズの賞品にハワイ行きが多いのだろうか。 CIE影響の系譜、成功報酬としての異文化への接触願望、楽園へのあこがれ、などか。
1964年に渡航解禁になったことも要因の一つだったかも。
●クイズダービー はらたいらにぜんぶ
視聴者が回答するのではない。ダービーのように競馬のような倍率を回答者に賭ける。
回答者のなかで、竹下恵子は三択の女王と言われた。
それにしてもはら・たいらの正答率にびっくりさせられた。
彼が描くモンローちゃんの漫画も好きだったので、尊敬しつつテレビを見ていた。 あまりにも正解率が高かったので宇宙人というあだ名がつけられていたが、宇宙人といえば発言が軽くて薄い今の首相も同様の仇名がある。 でも、できが違う。 このこと、クイズ賞金を自力で稼ぐ人と、1200万円づつ、お母様からお小遣いをいただいている人の違いでもあるが・・・。
● 視聴者は知識競ってクイズ番
一方、視聴者参加型クイズ番組の全盛期もやってきた。
もはや解答背景の薀蓄は終わりを告げた。
○ ×式か 1,2,3の3択方式か。 知識というか、自分の知のデータベースを操ることにすべてがあった。
いわば暗記の詰め物の競いの感がなくもない。
アップ、ダウンの早押しの次にはアメリカ横断ウルトラクイズとか全国高等学校クイズが流行った。 クイズ番組の司会者は小川宏を先頭に次々、ワイドショーへ移っていった。
● 正解はただひとつだけという文化
クイズは将棋でいえば詰将棋的な文化だ。
世の中には、答えの存在しない問いかけもありえるし、答えが複数あるというのはいくらでもある。
しかし詰将棋もクイズも絶対正解はひとつということで成り立っている。 そこに賭金と勝ち負けが伴うからギャンブル性の魅力が生まれる。
● クイズよりもんたの動きが気になって
最近の一例だが、クイズ$ミリオネアというのはショーとクイズとギャンブルとの三位一体だ。 だが、この番組、みのの眼がそのままになって正解はCMのあとに待つことがが後半にやたらに多い。
最近のクイズ番組一考。
京大とか早稲田とか東大出身とかやたらに高学歴を売り物にする芸能人タレントが回答するクイズ番組が目立つ。
回答に、へーえっという驚き、尊敬の声が場内に生まれるところも共通。 なんの芸能を以て身を立っているかはわからないが、あちこちのクイズ番組によくでているから出演料もばかにならず、本業でないところで稼いでいる気もする。
その解答に時に感心したり、冷笑したり、ばかばかしさを感じたりしているが、されど見るべき番組もないときはぷちんと切るところまではいかない。
テレビの強みだ。
個の視聴時代になってタレントが茶の間の家族に替わってきているような感じだが、3Dテレビになるのも時間の問題。
その時、茶の間はどうなっているか。
■■ ジッタン・メモ
【クイズ文化の社会学】石田佐恵子, 小川博司編 世界思想社
■■ テレビクイズ番組史
● 当てものの司会は徳川夢声翁
クイズという洒落たことばは、まだなかった終戦直後の時代。
なぞや判じ物の類は「当て物」と言われていた。
真空管ラジオから聞こえてきたのは「話の泉」。
初代の司会者は、徳川夢声。 解答者は、堀内敬三、サトウ・ハチロー、渡辺紳一郎、山本嘉次郎ら。
終戦の翌年末から東京オリンピックの年まで18年間、ラジオ第1放送でやってたクイズバラエティ番組だった。
多彩なメンバーの解答には驚くほどの博識とユーモアがあり 、聞いていた大人のほうが唸っていた。
この点、発言の軽さ、内容の薄さだけが目立つ現首相とはかなりの違いがある。
● 記憶はるか 「二十の扉」や「誰でしょう」
わたしはだれ? ここはどこ? となると行く先の危ない年齢になるのだが、頃はわれわれの少年時代の話だ。
同じ世代であればきっとおぼえているでしょう。 「二十の扉」に「私はだれでしょう」
これらに追いかけて続いたあった看板番組が「とんち教室」。
これも終戦直後から昭和30年代にかけてのNHKラジオの人気番組だった。
いまの平成教育委員会と同じく先生と生徒に分かれていたが、「出席をとります」石黒敬七さん、「はい」長崎抜天さん「ハイ」、 玉川一郎さん、春風亭柳橋さん、桂三木助さんとお馴染みの名がいつも呼ばれ返事をしていたから記憶に残っている。
● 占領軍 ラジオを使ってデモクラシー
忘れてならないのは終戦直後は米軍の占領下にあったことだ。
GHQは、敗戦国日本にアメリカン民主主義を啓蒙した。
一方で、特にメディアの役割を重視し、CCD(民間検閲支隊、民間検閲部)による検閲、CIE(民間情報教育局)という機関を設けた。 (映画、新聞も検閲、校閲がきびしくチェックされたがこれは別の話になる。)
その手段にメディアの一つであるラジオがをおおいに利用された。
GHQは上下の一方通行より対話形式を選び、そのソフトとしては、クイズ番組がgoodだった。
民主化の呼び水になったのが「話の泉」と「二十の扉」という指摘が本文にあった。
CIEがNHKに指示、局側は助言と受け取ったというクイズ番組が作られていく。
かくてデモクラシーがひろまったが、でも暮らしのほうは大変だった。
ラジオを聞くより停電もやたらに多かった。
ロウソクで夕食を囲んだ記憶も残っている。
● 私の秘密 知識人が明解答
「三種の神器」ということばが流行語になった1955年。
いまの白物家電で 電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョンを持つことがあこがれだった時代だ。
米屋さんとか豆腐屋さんなど町中のリッチな家にはテレビがあった。
そこで「私の秘密」がスタートした。
米の人気番組『I've Got a Secret』の日本版として製作されたという。 60年代半ばまで人気のあった番組で1961年のNHK世論調査では視聴率は常時30%を記録。
司会者は高橋圭三、「こんにちは 高橋圭三でございます。事実は小説より奇なりと申しまして、世の中には変わっためずらしい経験を・・・」 という明るい声があり、常連組は渡辺紳一郎、藤原あき、藤浦洸、塩月弥栄子らだった。
謎解きに常連者の博学、機転、教養が披露され薀蓄トークショーの一面もあったが、それも人気の一つだった。
並んで人気だったのが「ジェスチャー」。
形態模写で答えを導くもので、柳家金語楼のが絶品だった。
■■ お茶の間という空間
● 父親の席にテレビが座ってた
我々の子供の頃は親父が着座しなければ夕食ははじまらなかった。
親父は稼ぐ人であり、その恩を知るためにもおかずも一品多かった。
よくも悪くも親父あっての茶の間だった時代もあった。
ところがテレビが普及してその座がチェンジした。
テレビというメディアが家族を茶の間に集めることに成功した。
お茶の間の団欒ということばが生まれ、親よりもこどもの方がピぃンーポン と正解率が高くなると、親もにんまりと喜んだ。
有害なシーンがないから親も安心してクイズにつきあっている。
この本で、村瀬敬子さんの「クイズ番組と一家団欒」は的を絞った論考でわかりやすく、共感できた。
朝の連続テレビ小説に茶の間が舞台となることが多いというのも、この頃の流れをひきずっていないだろうか。
● 視聴者が上下の箱で賞金を
視聴者参加型クイズ番組が登場し70~80年代半ばまでが全盛期となる。
その代表番組が「アップダウンクイズ」 解答席がゴンドラになっていての早押しクイズ。不正解にはゴンドラは下がる。
10段までゴンドラが上り詰めるとでハワイ旅行と賞金が出る。
● クイズ番 ああ~あこがれのハワイ航路
「10問正解すれば夢のハワイへ」がアップクイズの呼び声。
今でもそうだが、なぜクイズの賞品にハワイ行きが多いのだろうか。 CIE影響の系譜、成功報酬としての異文化への接触願望、楽園へのあこがれ、などか。
1964年に渡航解禁になったことも要因の一つだったかも。
●クイズダービー はらたいらにぜんぶ
視聴者が回答するのではない。ダービーのように競馬のような倍率を回答者に賭ける。
回答者のなかで、竹下恵子は三択の女王と言われた。
それにしてもはら・たいらの正答率にびっくりさせられた。
彼が描くモンローちゃんの漫画も好きだったので、尊敬しつつテレビを見ていた。 あまりにも正解率が高かったので宇宙人というあだ名がつけられていたが、宇宙人といえば発言が軽くて薄い今の首相も同様の仇名がある。 でも、できが違う。 このこと、クイズ賞金を自力で稼ぐ人と、1200万円づつ、お母様からお小遣いをいただいている人の違いでもあるが・・・。
● 視聴者は知識競ってクイズ番
一方、視聴者参加型クイズ番組の全盛期もやってきた。
もはや解答背景の薀蓄は終わりを告げた。
○ ×式か 1,2,3の3択方式か。 知識というか、自分の知のデータベースを操ることにすべてがあった。
いわば暗記の詰め物の競いの感がなくもない。
アップ、ダウンの早押しの次にはアメリカ横断ウルトラクイズとか全国高等学校クイズが流行った。 クイズ番組の司会者は小川宏を先頭に次々、ワイドショーへ移っていった。
● 正解はただひとつだけという文化
クイズは将棋でいえば詰将棋的な文化だ。
世の中には、答えの存在しない問いかけもありえるし、答えが複数あるというのはいくらでもある。
しかし詰将棋もクイズも絶対正解はひとつということで成り立っている。 そこに賭金と勝ち負けが伴うからギャンブル性の魅力が生まれる。
● クイズよりもんたの動きが気になって
最近の一例だが、クイズ$ミリオネアというのはショーとクイズとギャンブルとの三位一体だ。 だが、この番組、みのの眼がそのままになって正解はCMのあとに待つことがが後半にやたらに多い。
最近のクイズ番組一考。
京大とか早稲田とか東大出身とかやたらに高学歴を売り物にする芸能人タレントが回答するクイズ番組が目立つ。
回答に、へーえっという驚き、尊敬の声が場内に生まれるところも共通。 なんの芸能を以て身を立っているかはわからないが、あちこちのクイズ番組によくでているから出演料もばかにならず、本業でないところで稼いでいる気もする。
その解答に時に感心したり、冷笑したり、ばかばかしさを感じたりしているが、されど見るべき番組もないときはぷちんと切るところまではいかない。
テレビの強みだ。
個の視聴時代になってタレントが茶の間の家族に替わってきているような感じだが、3Dテレビになるのも時間の問題。
その時、茶の間はどうなっているか。
■■ ジッタン・メモ
よく更新されていてすごいですね。
私ももうちょっと更新しないとなぁ・・・
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